私の名前は高田紀江、専業主婦です。今回は既に他界している私の義母について話します。義母は20年ほど前、今の私よりも若い年齢で亡くなりました。義母の性格は、はっきり言えばきつすぎるの一言に尽きます。言いたいことは何でも言葉にして、自分の思い通りにならない時は癇癪を起こしたように怒るのです。言葉だけで聞くと、本当にとんでもない人でしょう。結婚してから3年後に同居が始まり、義母が亡くなるまで同居は続いたのですが、我ながらあの義母とよく何十年も生活ができたものだと感心してしまうほどです。
義母が私にしてきたことを話せば、友人のほとんどが「ありえないでしょ!」と怒ります。実際にそう言われても仕方ないくらいのいびりを私は受けてきました。夫も「母さんはわがままだから限界が来る前に同居解消してもいい」と言ってくれていました。夫や友人たちは、義母のことを悪く言いますし、正直に言えば私だって義母のことがすごく好きというわけではありません。だけど、どうしても義母を憎めない部分があるのです。
同居開始をしてから、私は気負って張り切った食事を用意していました。義父母に認められたい、良い嫁だと思われたいという気持ちが強かったからです。そのたびに義母は「料理にこれだけの時間をかけるなんて要領の悪い嫁だね」なんて言ってきていました。家事全般を頑張っていた時、私は過労から倒れてしまったことがあるんです。だけど、義父母に悪く思われたくないという一心で家事をしていると、義母が怒鳴りつけてきました。
「そんな身体で家事なんてされても迷惑だよ!洗濯や掃除なんて2、3日しなくても死にやしないんだから!」
そう言いながら、私を寝室に押し込めてしまったんです。この時に気づいたのですが料理に時間をかけたりしていることでぐちぐち言ってきたのは「こんなに豪華な料理にしなくていい」と遠回しに言っていたんです。遠回し過ぎて実の息子や夫にも気づかれていないんですけどね。
他にも私は長男を産む前にひとり流産してしまった子がいます。結婚してから6年後に出来た初めての子供だったので流産した時は本当に悲しくて仕方ありませんでした。流産した直後、私は病気で入院をすることになったのでどちらにしてもあの時の子を産むことは出来なかっただろうと先生からも言われました。それでも「私なんかよりあの子が生きてくれていたら」という気持ちを捨てきれずにいると、病室で引っ叩かれてしまったんです。
「子供は残念だったけどあんたの代わりなんていやしないんだよ!簡単に自分を犠牲にするような言葉を言うのは、あんたを大事に思っている人への侮辱になるんだ」
恐らく義母は「子供は残念だけどあんたが無事でよかった」と言いたかったのでしょう。だからと言って心身共に疲弊している私を引っ叩かなくてもいいのに、と思いましたけどね。こんな感じで最初は分からなかったのですが、義母の厳しい言動には理由がある場合がほとんどでした。まぁ、たまに……というか、結構な頻度で自分勝手に癇癪を起こすことがあったので、義母の言動に感動していてもすぐに薄れてしまうんですけどね。
普段は気が強い義母も病気には勝てなかったようで、最後が近い時はまるで骨と皮のようにやせ細っていました。スイーツなど美味しいものを食べることが好きだった義母ですが、病気のせいで何も食べられなくなっていました。
「……私がいなくなったら、あんたはせいせいするだろう」
ぽつりと天井を見上げながら義母が言いました。
「いいえ、お義母さんがいなくなると寂しくなりますし、家の中も静かになっちゃいます」
これは本音でした。義母は自分勝手なところはありますが情に厚い人です。だから、もしもいなくなったらきっと私は寂しくて泣いてしまう日もあるでしょう。
「ふ、ふふ、お世辞なんていらないよ。私は……いい、姑じゃなかったんだから」
それから、ぽつり、ぽつりと義母は言葉を紡いでいきます。自分が嫁入りした時に義母、つまり夫にとっての祖母がひどく厳しい人だったこと。努力しても認めてもらえず、ひどい言葉を投げかけられたこと。自分がつらかったから、お嫁さんには絶対同じことはしないと決めていたことなどです。
「……お嫁さんをいびるなんてことしたくなかったのに。姑になると、自分が嫁だった時の気持ちも忘れてしまうものなのかねぇ……」
その後も義母は言葉を続けました。もっと私と仲良くしたかったこと、優しい姑でありたかったこと、それなのに自分の思い通りの姑にはなれなかったこと、自分が大嫌いな姑と同じことをしてしまったことなど、思い出すようにひとつひとつ呟くように言ってきたんです。その義母を見て、最後の時が近いのかもしれないなんて思いました。走馬燈という言葉があるように、自分に何かが起こりそうな時、人間はおしゃべりになるのだと聞いたことがあります。それは、後悔を少しでもなくすために言葉を紡ぐのだとテレビで見たことがあったんです。
「お義母さんは確かに厳しかったですね」
「……こんな時は、そんなことないっていうもんだろ」
「ふふ、お義母さんにウソをついても仕方ないですから」
義母がしっかりと言葉にしてくれたのだから、と私も伝えたいことを言葉にしました。義母からの仕打ちはつらかったけど、体調が悪かった時や流産した時の言葉は嬉しかったこと、夫が何もしない時「嫁にばかり苦労かけさせるんじゃないよ。あんたも苦労しな!」と言ってくれたこと、義母の言動には愛情が詰まっていたこと、すべてを話しました。
「まぁ、たまに……というか結構自分勝手な時もあって困りましたけどね」
「は、はは、あんたも言うようになったじゃないか」
「そりゃそうですよ。私、お義母さんと何十年も暮らしていたんですから」
「じゃあ、あんたも将来は嫌な姑になること決定だねえ」
意地悪な義母の言葉に「ふふ、将来の嫁に嫌われないように気をつけなくちゃ」と私も意地悪な言葉で返すと、義母はにっこりと笑いました。そして、それから数時間後に義母は亡くなったんです。義母が亡くなって気づいたことですが、私は義母のことを苦手だと感じながらも大好きだったんだと思います。自分勝手なところはあるけど、ちゃんと私のことも気遣ってくれていたのですから。
義母は自分の義母のような姑にはなりたくなかったと言っていましたが、全然違うと思います。私は義祖母に会ったことはありませんが、義母の言動には愛情を感じられたからです。それはきっと、義母が「義母のようになるものか」と考え続けていたからでしょう。ただ、義母の本来の性格がきついものだったから誤解されるような態度になってしまっただけなんです。
「母さんは強烈だったよなぁ。お前にも苦労をかけたよ」
のんびりお茶を飲んでいると夫が話しかけてきました。夫も義母のことが苦手だったそうです。
「私はお義母さんのこと好きだったよ」
義母の言動に泣いたことも1度や2度じゃない。だけど、こうやって義母のことを振り返るとやっぱり好きだったな、なんて気持ちが出てくる。優しいだけじゃなくて、厳しいだけでもなくて、肝心な時に寄り添ってくれる人だったと思う。私の息子も結婚をして、姑という立場になり、あの頃の義母の気持ちを考えるようになりました。義母のように強烈すぎるとお嫁さんから嫌われてしまうので、適度に肝心なところで寄り添える人になりたいと思います。
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