今日のお話は百合子さんのお話です。このようにいびられてきた人は多いのでは無いでしょうか。それではお聞きください。
私の名前は友枝百合子62歳です。夫は友枝太郎73歳で私より11歳年上の男性です。太郎さんは両親の知り合いの息子さんで、親の紹介でお見合いのようなものをしました。私自身、結婚は出来ればいいかなという考えで、できなかったらその時はひとりで老後を過ごそうという風に考えていたんです。きっと両親はそんな私を見て心配していたのでしょうね。知り合いに未婚の男性がいないか探したらしく、見つけてきたのが太郎さんでした。
ただ、私よりも11歳年上で未婚ということが若干気になっていました。令和になった今では結婚が遅くてもあまり気にしない家庭が多いですが、この時代は早く結婚して孫を見せてくれと言うような人たちが多いのです。太郎さん自身は収入や外見など、特に問題があるようには見えませんでした。はっきり言ってしまえば優良物件です。それなのになぜ私と出会うまで結婚できなかったのか不思議に思ったんです。
だけど、私の両親は太郎さんをすごく気に入っていてとんとん拍子に結婚話が進みました。気乗りしなければ断れば良かったのですが、正直私としては両親から「早く結婚しなさい」と言われることが面倒で、特に問題なさそうな相手なら結婚してもいいやと考えていたのです。でも、この時に面倒くさがらずきちんと太郎さんが結婚できない理由を調べておけば、その後の苦労はなかったのかなと思ってしまう部分もあります。
太郎さんが結婚できなかった理由、それは義母が原因でした。義母は何にでも口出しをしてくる人で、掃除や家事、挙句の果てには子作りにまで口を挟んでくる人でした。私が反論をすると「長男の嫁なんだから」や「行き遅れをもらってやったんだから」など言ってくるのです。私自身、気が短いこともあって何度も義母と喧嘩になりました。太郎さんに義母のことを注意して欲しいとお願いしても「上手くやってくれ」しか言いません。義母の味方をしない代わりに私の味方もしないという、ことなかれ主義だったんです。義母は私をいびっても太郎さんが何も言わないことに調子づいたのか、いびりはどんどんひどくなりました。
「離婚したい」と実家に泣きついても、実の両親でさえ「離婚なんて世間体が悪いから我慢しなさい」と言うばかりで私の味方にはなってくれませんでした。話を聞いて寄り添ってくれることさえしなかったんです。こんなことになるなら、安易に結婚をするんじゃなかったと後悔しても後の祭りでしかありません。
誰に相談してもどうにもならないのなら、私は自分で何とかしなければいけません。そこでひとつ心の支えを作ることにしたんです。その時が来るまでは耐えようと。その時が来るまで耐え続けて、義母と太郎さんに復讐をしようと決意したのです。そして、結婚生活が40年になった頃、ようやく待ち望んでいたその時が来ました。
私が待っていたこと、それは義母の介護をしなければいけなくなる時です。介護をしたくないと考えるのが普通でしょう。だけど、私は義母の身体が不自由になって、私の手助けが絶対的に必要になる時を望んでいました。なぜ、私がその時を望んでいたのかと言えば義母に言われたこと、されたことをすべてをお返しするためです。
「お義母さん、こんなに役立たずでよく生きていられますね」
身体が不自由な人相手にこんなことを言うのは最低だと自覚しています。だけど、義母は私が交通事故に遭って入院していた時にこの言葉を投げかけてきたんです。
「お義母さん、あなたをお世話するためにどれだけのお金がかかるか分かっていますか?」
私が入院中、義母はしきりにお金のこと、役立たずだということを言ってきました。金銭的に余裕のない家庭ならば百歩譲ってこんな言葉を言われても仕方ないでしょう。だけど、どちらかと言えば裕福な家庭、しかも私は家事も育児もすべて担っていました。つまり、義母は私をいびりたいからひどい言葉を投げかけていただけに過ぎないのです。
「よ、嫁の分際でなんて口の利き方なんだい!」
身体は不自由になっても頭はしっかりしているので、義母は怒って反論してきます。
「憎まれっ子世に憚ると言いますが、生きている限り迷惑をかけ続ける人っているんですね」
私はひどい言葉は投げかけている自覚はありますが、きちんと義母のお世話もしています。家事も何もしないで文句ばかりだった義母とは違うのです。
「あんた、私の身体が不自由になったからって調子に乗るんじゃないよ!」
「あら、調子に乗っているのはどちらでしょうか」
義母はまだ現状を分かっていないようです。だから、しっかりと説明してあげました。私がここで介護を投げ出せばどうなるのかということを。どこまでもことなかれ主義の太郎さんが義母の介護をするとは思えません。定年して何もすることがないのに介護はもちろん、おむつなどの買い物さえ行こうとしないんですから。つまり、私がいなくなれば義母はどこかの施設に入れられてしまうでしょう。太郎さんは自分に面倒ごとが降りかかることを嫌うので、お金に糸目をつけずにすぐ義母を入れられる施設を探すはずです。そうなった時点で自宅で暮らしたい義母の願いはかなえられません。今、義母が自宅で暮らすことができるのは私が介護を受け入れているからです。
「そ、そんなことはないよ!あの子はやさしい子なんだから」
「優しいですか?今まで私とあなたの喧嘩を1度も止めたことがないのに?」
私の言葉に義母はグッと言葉を詰まらせます。
「あなた、本当に太郎さんが優しいと思っていますか?今この会話を隣の部屋で聞いているはずなのに、あなたの味方をすることなくテレビを見ている太郎さんが?」
嫌味たっぷりで言うと、隣の部屋からガタッと物音が聞こえました。今までこんな嫌味を言ったことがなかったので太郎さんも驚いているのでしょう。
「ねぇ、お義母さん?もっとあなたは自分の立場を分かった方がいいですよ?今まで、この家はあなた中心で動いていましたけど今は違うんです。あなたの身体が不自由になった時から、この家の中心は私になったんですよ」
私はこの日のために何十年も耐えてきました。子供たちは離婚して自分の幸せを探した方がいいと言ってくれましたが、この年齢でどんな幸せが見つかるというのでしょう。熟年離婚なんてしても、貧しくわびしい生活が待っているだけ。子供たちが同居すると言ってくれましたが、私自身が義母との同居で苦労していたから、子供たちやお嫁さんたちに同じ思いはさせたくありませんでした。
介護をすることで復讐をするなんて、とてもくだらないことだと思います。だけど、私は義母も太郎さんも口出しできないこの状況を望んでいました。
「安心してください。しっかりと私はお世話をしますよ」
義母に笑顔を見せながら言いました。この言葉にウソはありません。私自身、しっかりと義母のお世話をするつもりはあります。ただ、そのお世話の間にこれまで言われたことをお返ししていくだけです。因果応報という言葉がありますが、その通りです。義母がこれまで私を大事にしてくれなかったから、義母も自分の身体が大変な時に大事にしてもらえないのです。その中でも私はしっかりとお世話をしているのだから、まだマシだと考えてもらわないと困ります。
「お義母さん?ちゃんとお世話をしますから、長く、長~く生きてくださいね?」
義母が長生きしてくれないと、これまで耐えていた私の復讐が簡単に終わってしまいますから。何十年も耐えてきたのだから、義母にも同じくらい生きてほしいですね。自分でも根性が悪いことをしていると分かっていますが、そうさせているのは義母なのだということを、義母自身もそして太郎さんにも早くお礼くらい言えるように理解してもらいたいものです。
いかがでしたでしょうか。百合子さんのお話でした。それでもちゃんと介護をするだけ私は偉いなと思いますけどね。それではまた。