私の名前は麻美。62歳です。私も随分歳を取りましたが夫よりはまだいいかもしれません。夫ですが二人でいる時は家の中がかなり静かです。
ただ孫が遊びに来ると、家の中が急に賑やかになります。先日も、娘夫婦が3歳になった孫を連れて訪ねてきました。孫は私に似たのか、人懐っこくて、いつもニコニコと笑っています。娘が「お母さん、また抱っこしてあげて」と言うと、孫は小さな腕を伸ばして私に飛びついてきました。その瞬間、心の中に温かいものが広がるような気持ちと同時に、胸の奥がキリリと痛むのを感じました。
孫の小さな手の温もりが愛おしくて、ぎゅっと抱きしめました。でも、その可愛らしさに触れるたびに、ある記憶が頭をよぎります。それは、私が夫にも娘にも言えずに抱えている秘密。今もずっと胸の奥にしまい込んでいる、誰にも打ち明けることのできない過去の出来事です。
あれは、私が30代前半の頃のことでした。当時、夫と私は結婚して10年ほど経っていましたが、あまりうまくいっていませんでした。日常の些細なことが原因で言い争いが絶えず、私は家事や育児のストレスに追い詰められていました。夫も仕事が忙しく、疲れているのか、私に対してそっけない態度が増えていきました。ある日、とうとう大きな喧嘩になり、私は感情を抑えきれずに家を飛び出してしまいました。そこからしばらくして、別居生活が始まったのです。
最初は、実家に戻って一人で過ごしていましたが、何も変わらない日常にだんだんと孤独感が募っていきました。そんな中で出会ったのが、浮気相手となる男性でした。彼とは偶然、友人の紹介で知り合いました。友人が開いた飲み会で、たまたま席が隣だったのです。最初は何の気なしに話していただけでしたが、彼はとても話しやすく、私の心の中に溜まっていた不満や悩みを自然に引き出してくれる人でした。
彼は私よりも少し年下で、明るく、どこか子供っぽいところのある人でした。彼の笑顔を見ていると、悩みが一瞬でも吹き飛んでしまうような感覚がありました。お互いに家庭の話はしていませんでしたが、少しずつ会う回数が増えていきました。いつの間にか、私たちは頻繁に連絡を取り合うようになり、週末になると一緒に出かけるようになっていました。彼と過ごす時間は、私にとって逃げ場所のようなものでした。現実の問題を忘れさせてくれる、そんな安らぎを求めていたのかもしれません。
ある時、彼から「もっと一緒にいたい」と言われました。その言葉を聞いた時、私の心は揺れました。夫と別居をしている間、家に戻る気持ちが少しずつ薄れていたのです。何よりも、私にとって彼といる時間が楽しく、心の支えになっていました。別居が長引くにつれて、家に戻っても同じような喧嘩が続くだけだろうと感じ、離婚の二文字が頭に浮かぶようになっていました。
そんな中、私は彼の子供を妊娠していることに気付きました。初めて検査結果を見た時、驚きと喜び、そして不安が一気に押し寄せてきました。今までに感じたことのない感情が胸に溢れ、どうすれば良いのか分からなくなりました。夫とはまだ正式に離婚をしていなかったし、彼に話すこともどう伝えればいいのか迷いました。それでも、最終的には勇気を出して彼に話しました。彼は驚きながらも、「じゃあ、一緒に育てていこう」とすぐに言ってくれました。その言葉がとても嬉しかったのを覚えています。
彼の言葉を受けて、私はこのまま離婚をして、新しい人生を彼と歩んでいこうと考えました。お腹の中にいる子供と彼と一緒に、新しい家族を築いていけるのではないかと希望を抱いていたのです。そして出産を無事に終えた頃、思いがけない出来事が起こりました。
ある日、別居していた夫から突然の連絡がありました。何の前触れもなく「話がある」と言われ、数年ぶりに会うことになりました。そこで、夫は私に謝罪し、もう一度やり直したいと告げてきたのです。驚きと戸惑いで言葉が出ませんでした。長い間お互いに距離を置いていたのに、どうして今さらやり直したいと思ったのか、私には理解できませんでした。
夫は涙を浮かべながら、私に対してこれまでの非を認めて謝ってくれました。「もっとお前の気持ちを考えてやればよかった。今になってようやくそれが分かったんだ」と、真剣な表情で話してくれました。その時、私の心は大きく揺れました。過去のすれ違いの記憶が頭を巡り、でもそれ以上に、夫のその言葉が心の奥に響いたのです。
さらに、夫は当時、私たちの娘が病気になったことを話しました。体調を崩して苦しんでいる娘の姿を見て、私がいない家での生活がどれほど不安で孤独なものかを実感したと言います。「家族は一緒にいるべきだ」と夫が言うその言葉に、私もまた、娘のことを考えずにはいられませんでした。
その日、私は一晩中考えました。産まれたばかりのわが子、そして夫と娘。私はどちらを選ぶべきなのか、選択の重みに押しつぶされそうでした。翌朝、浮気相手である彼にも正直に状況を話しました。彼は私の悩みを理解してくれて、「君が選んだ道を尊重するよ」と優しく言ってくれました。彼のその言葉が、私の決断を後押ししました。彼と、そして産まれたばかりの彼との子供と別れることがどれほど辛かったか、今でも忘れられません。でも、私は娘のために、夫との生活をもう一度やり直す道を選んだのです。
それ以来、この秘密は私の心の奥底にしまい込んでいます。今もなお、誰にも打ち明けていないままです。
浮気相手の彼との最期はお互いに涙を流しながら、別れの言葉を交わしました。私たちの間に恨みや憎しみは一切ありません。ただ、静かに互いの選択を尊重し、去るべき時が来たのだと悟ったのです。
その後、私は家に戻り、再び夫との生活を始めました。
ちなみに私は二度と彼に連絡を取ることはありませんでした。彼も私の選択を理解してくれて、しばらくしてから自然と疎遠になっていきました。別れた後も、彼がどうしているのか、元気でやっているのか気になることがありましたが、あえて調べることはしませんでした。ただ、偶然耳にした噂によれば、彼も結婚して家庭を持ち、あの子と共に幸せに暮らしているそうです。それを聞いたとき、私は心の中で静かに安堵しました。「元気でやっているなら、それでいい」そう自分に言い聞かせて、その話を胸の奥にしまい込みました。
時々、孫の手を握りながら、あの時のお腹の中の子どもがどうしているのか、今元気かどうかを考えることがあります。養子に出したあの子が、愛情を受けて元気に育ってくれることを願うばかりです。でも、そのことを誰かに話すことはありません。夫にも、娘にも、そして孫にも。私の胸の中だけに留めておくべき秘密だからです。
今では、そんな過去のことを思い出すことも少なくなりました。娘夫婦は幸せそうに過ごしていて、孫も元気いっぱいに育っています。毎週末、娘夫婦が孫を連れて遊びに来てくれるのが私の楽しみになっています。孫が「おばあちゃん、お菓子作って!」と駆け寄ってくると、自然と笑顔がこぼれます。あの子が私に元気をくれているのだと思います。こうして賑やかな家族の中で過ごしていると、あの頃の苦しみが少しずつ癒されていくのを感じます。
過去の選択を後悔しているわけではありません。でも、もしあの時違う道を選んでいたら、どんな未来が待っていたのか、時々考えてしまいます。どんなに考えても、それはもう叶わない夢ですが、それでも今の私には大切な家族がいます。夫と娘、そして孫たち。私はこの家族と過ごす日々を大事にしていきたい。何よりも、これ以上隠し事を抱えることなく、ただ目の前の幸せを噛みしめて生きていきたいのです。
時が経ち、私たちの間には穏やかな日常が戻ってきました。夫は以前よりも優しく、私のことを気にかけてくれます。娘も孫も、私のそばにいてくれる。そんな日常が愛おしくて仕方ありません。過去の記憶が薄れていくわけではありませんが、それでもこうして幸せな日々を送ることで、少しずつその痛みは和らいでいきます。
ただあの子の…いえ、自分のもう一人の娘の存在を忘れることはこの先もないでしょう。
あの子の幸せを切に願う毎日です…
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