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身勝手な夫。でも離婚せずにやってきました。

シニアの体験シニアの恋

私は道子と申します。先日64歳になりました。この年齢でもまだ働けることを、本当にありがたく感じています。今でもスーパーの店員として働いており、夫の年金がもらえるようになるまで、もう少し頑張らなければなりません。60歳を迎えたとき、あと5年もどうやって生きていこうかと不安な日々を過ごしましたが、ようやくここまで来ることができました。

 私には二人の子供がいます。長女の亜紀と長男の秀男です。亜紀は順調に成長し、就職して結婚もしましたが、秀男は少し違う道を歩んできました。秀男が大学を卒業したとき、彼は定職に就くことを選ばず、フリーターとしての道を進みました。その後、苦労しながら自営業に転身し、数年間は一生懸命働いていました。しかし、彼が35歳になった頃、事業がうまくいかなくなり、結局失業してしまいました。それ以来、彼は家に閉じこもるようになってしまったのです。

秀男が家に引きこもってしまったとき、私は何とかして彼を助けたいと必死でした。彼がフリーターだった頃も、自営業を始めた頃も、私は彼の努力を全力で応援していました。けれど、35歳を迎えた息子が失業し、引きこもり始めてからは、私の心は重く沈んでしまいました。どれだけ励ましの言葉をかけても、秀男は反応を示さず、ただ黙って部屋に閉じこもり続ける日々が続きました。時には大ゲンカもし彼はどんどん家を出なくなっていきました。

その一方で、夫との関係も決して順調ではありませんでした。子供たちが高校生になる頃、夫は他の女性に入れ込み、私たちの家庭は揺らぎました。さらに夫は家にわずか15万円しかお金を入れず、残りは自分のために使うような人でした。私もパートで働いていましたが、やがて消費者金融に手を出してしまいました。すぐに返す、そのつもりが借金は膨らみ続け、ついには300万円にまで達しました。どうしようもなくなり、夫にそのことを告白した時、彼は激怒し、すぐに離婚の話し合いが始まりました。

子供達と夫の関係は昔からよくは無かったので、そのとき二人とも「母さんと一緒にいる」と言ってくれました。その言葉は、私にとって何よりの支えでした。ある日借金の話を聞いた義母が我が家に乗り込んできました。家に入るなりすぐに「だから言っただろ!こんな女を嫁にするからだ」と、義母は怒鳴りつけました。あの時の言葉は一生忘れません。義母は夫の兄に運転させて、わざわざ家まで怒鳴り込んできたのです。普段は我慢強い私ですが、そのときは何かがぷつりと切れてしまいました。義母の放った言葉が、私を決定的に追い詰めたのです。

ただ、夫の兄を連れてきてくれたことは私にとって最良の結果になりました。私は長年、良い嫁を演じようと努力してきましたが、もう限界でした。夫が家に帰らず、他の女性にお金を使っていることを暴露しました。すると、それに驚いた義母が「おまえもおじいと同じことしてるんか」と嘆いていました。さらに夫の兄が「いくら家庭に入れているんだ?」と夫に問いただし、15万円と答えると、夫の兄は逆に夫に怒り出しました。銀行員だった夫の兄はそんな金額で生活できるはずがないだろうと夫を叱責してくれたのです。15万円と聞くと多いように思えるかもしれませんが、そのお金から車の保険、医療保険、水道光熱費、電話代などの固定費を賄い、残りはほんのわずかでした。そのわずかな金額と私のパート代で、成長期の子供たちの食費や学費、生活費、医療費などを賄うのは、本当に厳しいものでした。

夫は大手企業に勤め、手取り30万円以上の収入があったのに、私はその明細すら見たことがありませんでした。尋ねればすぐに怒られるからです。夫は何よりも自分を優先する人でした。このようなことがあったおかげで、夫の兄の力を借りて家のローンを組みなおしてもらいました。家を買って15年、ほぼ元金は減らず利息だけを払っていた状態だったことが判明したのです。それも全て夫の兄が手配してくれました。借金300万も一括で払ってくれ一緒にローンとして新たに払っていくことになりました。さらにこれを機に、お給料全額を私が管理することになりました。

ローンや保険を見直したことで生活は一気に楽になりましたが、夫は不満そうでした。ただ、それでもまだまだ育ち盛りの子供がいるとお金がかかります。私は、パートの仕事だけでなく、内職も掛け持ちし、子供たちも時々手伝ってくれなんとか家計をやりくりしました。

 夫にも不満があったのでしょう。ある日、秀男がフリーターの時代に、夫は息子に対して厳しい言葉を投げかけました。「俺は残業1時間で時給5000円だ。お前らは何なんだ」と、私たちのアルバイトでの時給を見下すような言葉を言いました。彼は息子や娘がどれだけ頑張っても、まずは自分が基準。夫には息子たちの努力は届かなかったのです。今でも「親父に褒められたことなんてない。」そう子供たちは言います。

ただ、夫はもしかしたら、愛情の注ぎ方がわからないのかもしれません。夫が生まれた頃、家庭の事情でしばらく預けられていたことがあり、その影響で人に対する愛情をうまく表現できないまま大人になったのかもしれません。詳しい話を聞いたことはありませんが、酔った夫がぼそっと話したり、親戚からの話で、なんとなくそう感じていました。夫は、あの情報の少ない時代の中で、自分で考え、親に相談もせずに一流企業の企業内学校の試験を受け、15歳で家を出たのです。普通に考えて早く家を出たかったのだろうと思います。その努力は大変だっただろうと本当に思います。

ただ自分勝手だった夫にも変化が訪れました。それは秀男が自営業を始め、苦労する姿を見てからでした。彼は会社員がいかに守られているかに気づき、少しずつ秀男を応援するようになっていきました。

そのため、秀男が35歳を迎え、失業して引きこもりになったとき、夫は何も言いませんでした。私は不安でいっぱいで色々と小言を言ってしまいましたが、夫はただただ静かに見守っていました。

それから数年が経ち、突然秀男が「母さん、今までごめん」と言ってきました。久しぶりに顔を見せた彼は、まるで別人のようでした。彼はどうやらネットビジネスを始めており、それがようやく軌道に乗り始めたとのことでした。

「今まで迷惑をかけてごめん。お詫びに家のリフォームをしない?俺が出すから」と秀男が提案してきました。それを聞いた夫は、「そんなことしなくてもいい。全部自分のために取っておけ」と秀男の提案を拒否しました。

定年してからの夫はますます人が変わったかのように優しくなり、子供達を応援しています。その変わりように私は驚きましたが、夫と秀男はお互いに照れくさそうに笑っていました。思えば、秀男の雰囲気もどことなく夫の面影を感じるようになりました。攻撃的だった夫の声が最近は穏やかな声になり、今ではどちらが話しているのかわからないくらい声が本当にそっくりになりました。私たちは苦しい時代もありましたが、何か新しい時が始まるような気がしています。息子が結婚し孫が出来たら良いなと、そんな希望を抱きながら、これからも家族と共に歩んでいきたいと思っています。

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