大晦日の夜、私は大きな溜息をつきました。
今年もまた、夫の実家での年越し。結婚してから30年以上、これが我が家の恒例行事となっています。もちろん、感謝の気持ちがないわけではありませんが、年々、負担ばかりが重くのしかかってくるように感じていました。
夫の実家では、義母を中心に夫の弟や妹家族が集まります。男性陣は居間でテレビを見たり酒を飲んだりしてのんびり過ごし、女性陣は台所に立ちっぱなしでひたすら料理を作る。これが「いつもの風景」でした。私も当然その一員で、義母や義妹たちとともに慌ただしく準備をするのが、いつもの年越しの過ごし方です。
けれど、今年は少し様子が違いました。
「妙子、何か手伝うことはあるか?」夫が不意にそんな言葉を口にしたのです。
驚いて振り返ると、夫は台所にエプロンをつけて立っていました。毎年、大晦日には必ず酒を飲んでいた夫が、今年はそれを控えているのです。その理由はわかっていました。夜になったらホテルに向かうために車を運転しなければならないからです。
「じゃあ、これを切ってくれる?」
私はまな板の上に置いた野菜を指さしました。夫は少し不慣れな手つきで包丁を持ち、真剣な表情で野菜を切り始めました。その姿を見ていると、不思議な感情が湧き上がってきました。
いつもは他の男性陣と一緒に居間でくつろいでいた夫が、こうして私の隣で手伝ってくれる。それだけで、心の中に小さな光が灯るような気がしました。
「こんなふうに手伝うのは初めてかもな」夫が笑いながらつぶやきます。私は「そうね」と短く答えながら、何か言葉にしがたい嬉しさを感じていました。
義母はあんたは座ってたら良いと何度も夫に言っていましたが、飲めないし今年は手伝うよと私たちの手伝いをしてくれました。
準備がひと段落し、義母や義妹たちに挨拶をして家を出ると、冷え込む夜空に息が白く漂いました。
「お疲れ様。今年は手伝ってくれて助かったわ」運転席に座った夫にそう言うと、彼は照れくさそうに笑いました。
「いや、たまにはこういうのもいいだろ。飲まずにいられるならな」車を走らせながら、夫はふと続けました。
「まさかの俺の部屋の床が抜けるなんてな。もう老朽化で駄目だな。あの家も。でもまあこうやって外で泊まれるから、結果オーライかもな」
その言葉を聞いて、私も思わず笑ってしまいました。確かに、泊まるはずだった部屋が急遽使えなくなったのは予想外の出来事でしたが、それがこんな形で私の心を軽くしてくれるとは思いませんでした。
「妙子、ラブホテルみたいなところしか空いてなかったけど、本当にいいのか?」車を走らせる夫が、少し不安げに私に尋ねます。
「他に空いてないんだから……仕方ないよ。初めてね。そんなところに泊まるの。」そう答えながら、顔が熱くなるのを感じました。
夫も「まあ、母さんたちには絶対言えないけどな」と笑っていました。
車を停めた先に見えたのは、昭和レトロな外観の建物でした。どこか懐かしいような、不思議な雰囲気。そのタイムスリップしたかのような光景に、私は思わず息をのみました。
「なんだか、すごいところだな」夫の一言に、私は黙って頷きました。どうなるのか分からないけれど、この夜はきっと、何か特別なものになる予感がしました。
部屋に入ると、薄暗い照明と独特な静けさが広がっていました。大きなベッドに派手な柄のカーテン、壁に取り付けられた巨大なテレビ。そのすべてが、私にとっては初めて見る景色で、少し落ち着かない気分でした。
夫は私の様子に気づいたのか、軽く笑いながら荷物を置きました。
「意外と広くて快適そうじゃないか」
私は何か返そうと思ったけれど、口を開くと同時に笑いがこみ上げてきて、代わりに「確かにね」とだけ言いました。慣れるも何も、これがラブホテルなんだと改めて思い知らされた気分でした。
「妙子、ちょっと座ってみ。肩、凝ってるだろ?」夫がそう言ってベッドの端をポンと叩きました。
「そんなことしなくてもいいのに……」普段ならそんなことしてくれないのに、これもラブホテルだからでしょうか?それでも夫の優しさに従ってベッドに腰を下ろしました。
夫のその手は不器用ながらも温かく、どこか懐かしい感触がありました。
「どうだ?強すぎないか?」
「ううん、ちょうどいいわ」
夫の手が肩から背中、腰へと移動するにつれ、身体の緊張が少しずつ解けていくのが分かりました。こんな風に触れられるのは、いったい何年ぶりだろう。いや、結婚当初以来かもしれません。
「妙子、いつも本当にありがとうな」夫が低い声でそう言いました。その声に胸がじんと熱くなり、何か言葉を返そうと思いましたが、どうしても声が出ませんでした。
しばらくすると、夫の手が徐々に大胆になり、腰からさらに下へと移動していくのを感じました。
「ちょ、ちょっと……何してるの?」
私が戸惑いながら言うと、夫は照れたように笑いました。
「いや、つい……。嫌ならやめるよ」
夫のその優しい言葉に、私は思わず微笑んでしまいました。嫌だなんて思うはずはありませんでした。むしろ、こんなふうに触れ合うことがこの歳になっても出来るんだなと自分たちに驚いていました。
「嫌じゃないけど…」そう思った瞬間、私は静かに身を委ねていました。夫もそれを感じ取ったのか、私をそっと抱きしめてくれました。
いつの間にか触れ合うことすらなくなっていたけど、やっぱり肌を合わせるって良いものだなとこの歳になっても思ってしまいました。
夜が更け、私たちは寄り添いながら静かに話をしていました。
「妙子、いつもありがとうな。でもなんか、新鮮だよな」夫が優しい声でそう言いました。
「毎年大変だったからこんなにゆっくりできるなんて思いもしなかったわ。こんなところだけど…」と私は笑いながら正直な気持ちを口にしました。
夫は少し考えるように黙った後、ぽつりと口を開きました。
「来年からも、実家に泊まらないでどこかで泊まろう。こうして二人で過ごす時間があっても良いよな」
その言葉に私は少し驚きましたが、すぐに頷きました。
「良いの?でも、もう私たちの年だもの。こうしてゆっくりするのもいいかもね」
窓の外には新年を祝うかすかな光と音が漂っていました。私たちは手を取り合い、互いに微笑みました。まさかのこの歳でラブホテルに泊まるなんて。この夜の出来事は間違いなく忘れられない出来事になりました。
そう言うと、夫は頷きながら私をそっと抱き寄せました。新しい年の始まりに、心が温かさで満たされるのを感じながら、私は静かに目を閉じました。
いかがだったでしょうか。年末のハプニングが良い方向に進んで良かったですね。皆様の年末年始はどうでしたか?奥様にストレス溜まっていませんか?発散させてあげてくださいね。それではまた。