私の名前は大久保清二66歳です。私が40代の頃に妻を亡くし、子供にも恵まれなかったこともあり、妻が亡くなってからはひとりきりで生きてきました。親戚と呼べる人もおらず、私は天涯孤独の身の上と言ってもいいでしょう。友人はいますが、家族と呼べる人はもういません。ちなみに子供ができなかった原因は私です。ただ、不妊は女性が原因と無条件に考えられる時代だったので妻には苦労をさせてしまったと思います。いくら私が原因だと言っても「奥様をかばっていらっしゃるんですね」と勝手な勘違いをして、更に妻を虐げる人が多かったのです。出来る限り妻に攻撃がいかないようにはしていたつもりですが、それが完璧でなかったせいで悲しい思いをさせてしまったことでしょう。
「あなた、好きな人ができたら私のことは気にしないで幸せになってね」
それが妻の最後の言葉でした。病気でこの世を去ったとはいえ、最後まで私のことを気にかけてくれていた素晴らしい女性です。ただ、妻を亡くしてから20年ほどが経っても私は独り身です。幸せになってくれということが妻の願いですが、私はその願いを叶えないまま生きてきました。
「……孤独死にならないよう、どこかの施設に入ることも考えないとな」
独り暮らしの老人がひとりで最後を迎えると、周囲の人に迷惑がかかってしまう。だから、身体が悪くなる前にきちんとスタッフが揃っている施設に入ることを考えていました。ただ、まだ大丈夫だろうと考えて66歳になってもまだ施設探しをしていないのですけどね。迷惑を掛けないようにと考えていても、やはり知らない場所で生活することへの不安や恐怖があるので先延ばしにしてしまっているのです。
それに、施設を前向きに考えていない理由はもうひとつあります。それは最近近所に引っ越してきた女性です。私よりは年下なのでしょうが、どうやら同年代の女性のひとり暮らしのようです。恥ずかしい話になりますが、この年齢になってから気になる人ができてしまいました。老いらくの恋とはよく言ったものですが、これは私の一方的な気持ちです。それだけではなく、私は彼女とどうにかなりたいというわけではありません。普通にご近所さんとして挨拶をしたり、そういうことだけで満足です。だからと言って待ち伏せるようなことはしませんけどね。
さすがにこの年齢から本気の恋愛をするつもりはありませんし、相手にも迷惑でしょう。最近は高齢者のお見合いパーティーのようなものもあるようですが、この年齢になってから再婚をしたいなどは考えていません。これから身体も言うことを聞かなくなるでしょうし、再婚してすぐに介護をさせる可能性もあります。もちろんその逆もありえるわけです。
介護をしたくないから再婚しないというわけではないのですが、恐らく世間体が気になるんだと思います。この年齢で再婚をすれば、不要な邪推を受けることになります。芸能人であれば、高齢者になって再婚をしても祝福されるでしょう。だけど私のような一般人だと「遺産目当て」など痛くもない腹を探られることになりかねないのです。こんなことを考えている時点で、私は再婚には向いていないのだろうなと思ってしまいます。
「こんにちは」
気になっている女性から挨拶をされて嬉しいはずなのに、私はあまり嬉しくありませんでした。
「……こんにちは」
どこかに出かけるのでしょう。どこか楽しそうな表情を見ても、以前のような気持ちはこみ上げてきませんでした。なぜだろうかと自分でも不思議だったのですが、自宅に帰り、とあるものを見た時に彼女のことが気になった理由が分かった気がしました。
「はは、そうか。彼女が気になった理由はこれが原因だったのか」
私が見たもの、それはアルバムです。私は妻が亡くなってから、写真を見ると悲しくなるのでほとんど写真をアルバムに収めていました。アルバムを見た時に思ったのです。もしも妻が私と一緒に年齢を重ねていたら、きっと気になっていたあの人のような感じになっているのではないかと。つまり、私が気になっていたのは彼女自身ではなく妻だったのです。
「なるほど……」
私が再婚をできないわけです。無意識のうちに妻と似た人を探してしまうほど、私は亡くなった妻にぞっこんなのですから。しかも厄介なことに妻に似ていればいいというわけではありません。その証拠に妻に似ているあの女性が笑顔を見せてくれても、私の心は動きませんでした。似ている人ではなく、妻じゃないと心から愛することができないなんて自分でも驚きです。
「あなたってば本当に馬鹿ねぇ」
ここにはいないはずなのに、妻の呆れたような声が聞こえたような気がしました。妻がいくら私の幸せを願っていてくれても、私は妻じゃないと心から愛することはできません。言い方は悪いですが、妻に似た代替品では満足できないということなのでしょう。
「はぁ、本当に厄介だ」
寂しさを誤魔化すために誰彼愛することができれば、もっと楽だったでしょう。現在私は66歳。あとどの程度生きられるか分かりませんが、それまでは妻を失った寂しさを抱え続けなければいけないのでしょう。私は友人は多い方だと思います。そのおかげで妻を亡くした後も、食事や飲みに誘われることも多く、寂しくて仕方ないという気持ちはなかったように思います。だけど、きっとこれからは寂しい気持ちが強くなることでしょう。私が求めている人は、妻ただひとりであることを再確認させられてしまったのですから。
それからしばらく経った後、いつまでも独り身である私を心配して友人が女性を紹介すると言ってきました。正直70歳も間近なのに女性を紹介されても、という気持ちです。
「こんな年齢から再婚なんて考えていないし、私はもうひとりで生きていく覚悟があるんだよ」
「そうはいっても、子供もいないだろ?生活とか大丈夫なのかと心配で……」
「妻を亡くしてから自炊はしていたし最低限のことはできるよ」
どうしても自分で対応できない部分が出てきたらヘルパーを頼むつもりです。既に施設への入居予約もしています。ただ、現状は空きがないので空室が出たら入居できることになっています。だけどすぐには入居できる様子ではないので、その間に身辺整理をしておくつもりです。
「お前はもっと自分の幸せを考えても良かったんじゃないか?」
友人が憐れむように言ってきます。確かに友人は奥さんも健在で、子供や孫にも恵まれているので独りきりの私を見たら哀れに思ってしまうのかもしれません。
「君から見たら私はひとりぼっちで可哀想なのかもしれない。だけど、私は幸せなんだ」
この言葉はウソではありません。近所のあの人が気になるのだと思っていたら、実はその人の中にあるわずかな妻の面影を追っていたにすぎなかったのです。一生を通して、たったひとりをこれほど愛し続けられるという幸せを妻は与えてくれました。幸せとは人によって形を変えるものだと改めて気づかされた思いがあります。
それから私は施設に入居するまでに、気になっていた女性と話す機会がありました。世間話の中で亡くした妻に似ていること、そのせいで一時期気になると錯覚を起こしていたことを言ったのですが彼女は気味悪がることもなく「奥様は幸せですね」と言ってくれたのです。妻が幸せだったのか、それは分かりません。だけど、少なくともこうやって妻を思い続けることができる私はきっとこれ以上ないくらい幸せな男なのだと思います。