私は友枝裕子72歳です。子供や孫に囲まれて幸せな日々を過ごしていますが、20代の頃はこんな日が来るとは思っていませんでした。今の夫とは再婚で子供たちとは血が繋がっていません。3人の子供たちは夫の連れ子で亡くなった前妻さんが産んだ子供たちです。私自身も一度離婚を経験し、今の夫と再婚をしたのは30代の時です。子供たちもある程度大きくなっていて、新しい母親と言われても納得できない年頃の子ばかりだったので不安を覚えていました。最初から仲良くなったわけではなく、いろいろと乗り越えるべきことはありましたが、今では実の親子のように接することができていると思っています。もちろん、子供たちが新しい親を受け入れるという大人の気持ちを持ってくれたことが今の関係に繋がっていると思います。
再婚相手だった今の夫は3年前に亡くなりました。夫の義男さんはとても穏やかでいい人でした。だけど元夫の雄二は今にして思えば最低の男だったと思います。あの頃は結婚したら女は嫁ぎ先の下女のような扱いというのがまだまだ当たり前にある時代でした。前の夫の家に嫁いだ時、元夫や元義母から毎日のように「嫁が尽くすのは当然」と言われ続けて、自分の考えもそうなんだろうという考えになっていました。そのせいで、元夫の妻だった時は人間ではなく、ただの道具でしかないのだと思うようになっていました。
そんな私が今こうやって幸せをかみしめることができているのは実は義男さんのおかげです。元夫は私をぶったりするのが日常茶飯事でした。今でいうDVというやつですね。元義父母も見てみぬふり、何なら元義父母も私に手を挙げることも珍しくありませんでした。ある日、体調が悪くて病院に行ったことがあったんです。その時に対応してくれた医師が義男さんでした。私の体調の悪さや身体に残ったアザなどを見て状況を察してくれたのでしょう。看護師さんを呼んでいろいろと話を聞いてもらえたんです。
「あなたは自分が叩かれているのに、どうして平気なフリをしているんですか」
「私が悪いことをしたから叩かれたんです。悪いのは私なんです」
離婚した後に義男さんが「あの時の裕子さんは洗脳されていたんだよ」と心配そうに言っていたのを思い出します。離婚したと言葉にするのは簡単ですが、実際はそこまで簡単なものではありませんでした。元夫家族にとって私は召使いのような存在だったので、離婚させたくなかったのでしょう。離婚したくない理由は世間体と、自分たちの世話をする人がいなくなるからというものだけです。あの時代は離婚をするということは恥のようなもので、今の時代ほど理解されることはありませんでした。特に「夫からの仕打ちがつらい」なんて言ったら「我慢できないあなたが悪いのよ」と真顔で言われるような人もまだまだいた時代です。
今の時代も女性が生きやすい時代かと言われれば疑問が残りますが、私が若い時よりは若干生きやすさがあるのではないでしょうか。まぁ、生きやすさに関しては個人の価値観などもあるので必ずしも私の思っている通りではないのでしょうけどね。ただ、もしも今のように女性が仕事で活躍できる場があるのであれば、きっと私の人生も違ったものになっていたことでしょう。だけどそうなると義男さんと出会うことがなかったので、そうなると私も困ってしまいますけど。
私が元夫と離婚できたのは義男さんのおかげと言っても過言ではありません。親身になって話を聞いてくれて、今でいうDVの証拠などを揃えてくれたからです。元義家族は世間体が何よりも大事な価値観を持っていました。そのため、義男さんが警察や弁護士を介入させるということを伝えると慌てたように「お前が悪いんだ」と責任転嫁を始めました。
「俺は離婚には応じないぞ。お前こそ裕子とは無関係のくせに口出しばかりしてきて!」
最初、元夫は私と義男さんの不倫を疑ったそうです。私に対しても義男さんに対しても失礼なことこの上ないことだと思います。ただ、どうして義男さんが私に親切にしてくれるのか分かりませんでした。はっきり言って私と義男さんは医師と患者というだけです。一度だけ聞いたことがあったのですが「自分のためだったんだよ」と言っていました。
私が患者として義男さんと出会う数年前に彼は奥さんを亡くしていました。どうやら病気だったらしく、仕事が忙しかったこともあって「大丈夫ですよ」という言葉を鵜呑みにして気づいた時には手遅れだったそうです。姿かたちは全然違うけど、私の「大丈夫です」という言葉が奥さんと重なってしまい放っておけなかったのだと言っていました。だから私を気にかけていたのは、私のためではなく自分のためだったのだと申し訳なさそうに言っていました。だけど、私はそのおかげで元義家族から救われたので義男さんに謝られる必要はまったくないんですけどね。
私が若い頃は肩書に弱い人が多かったです。弁護士や医者に警察など、そういう人たちが言うことは間違っていない、正しい、逆らっちゃいけないなどそういう思い込みを持つ人が多かったんです。今の時代でそれをやったら、色々なハラスメントに引っかかってしまうのでしょうけどね。医者である義男さん、義男さんの知り合いの弁護士さんが間に入ってくれて私は無事に離婚することができました。そして離婚して数年後に義男さんから交際を申し込まれて結婚して今に至るというわけです。
最初、義男さんは私との間に子供を作ろうと言ってくれました。だけど私が断りました。自分の血のつながった子供が欲しくないわけではありませんでしたが、義男さんの子供を全力で愛したいと思ったからです。最初は母親と認めてくれなかった子供たちが、今では数日と置かずに遊びに来てくれるほどまでになりました。自分の子供がいたら、義男さんの子供たちとこんなに良好な関係を築けなかったかもしれません。
「お母さん、いつもお父さんの写真をきれいにしてるよね」
夫婦で撮った最後の写真。その中の義男さんは病気でやつれてしまいましたが幸せそうです。
「お父さんが私を大事にしてくれたから、私も最後までお父さんを大事にしたいのよ。それに、そう遠くない未来にお父さんのところに行くだろうしねぇ」
そんなことを言うと、娘は「縁起でもないこと言わないで」と怒ってきました。隠しているつもりだったのですが私の体調が思わしくないことに気づいているのでしょう。食も細くなったこともあり、以前よりも痩せてしまいました。病院で検査を受けると少し厄介な病気を患っていることを伝えられたのです。子供たちにはまだ伝えていません。そのうち伝えなければいけないと思いつつも先延ばしにしてしまっている状態です。私としては十分生きたし、その先に義男さんに会えるかもしれないと思うとこの世を去ることは怖くありません。ただひとつ怖いとすれば、子供たちや孫たちが悲しむということです。
「お母さん、今度温泉に行こうね。その次はお父さんとの思い出の場所とか」
「そうね。お兄ちゃんたち家族も一緒だともっと楽しいかもしれないわ」
きっと娘は分かっているのでしょう。私が既に最後が来ることを受け入れているということを。悲しくならないように思い出をたくさん作ろうとしているのだということを。はっきり言って私の若い頃は幸せとは程遠いものでした。でも、義男さんと出会って、結婚して、子供たちと出会って、それまでの不幸を笑い飛ばせるくらい幸せな毎日を過ごすことができました。だから、私が義男さんのところに行った時にはちゃんと伝えたいです。
私を幸せにしてくれてありがとう、と。
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