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今でも良い女でいてくれて

シニアの恋愛は60歳からチャンネル様シニアの話
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私の名前は近藤浩美、今年で六十一歳になりました。

名前だけを見れば、たいていの人は女性だと思うようです。実際、若い頃は電話に出るたび「奥様に変わってもらえますか」と言われて、いちいち訂正するのも面倒でした。

そんな名前のせいで、ちょっとした運命の出会いがあったのだから、人生というのは面白いものです。

私の妻——弘美と初めて言葉を交わしたのも、名前が同じだったからです。

当時、勤めていた会社に新しく配属された女性がいて、書類に「中田弘美」と書かれていたのを見て、「あれ?」と思ったのがきっかけでした。

名字まで同じというわけではなかったけれど、同じ部署に“ヒロミ”が二人いるというだけで、まわりが面白がって、あっという間に私たちは言葉を交わすようになりました。

それまで女性と接するのは得意ではなかったのですが、弘美はなんというか、妙にサッパリしていて、気持ちのいい人でした。声に張りがあって、笑うと歯並びがきれいで、目尻に小さなシワが寄るのが可愛らしかった。初めてマラソン好きだと聞いたときは正直驚きました。小柄で細身な身体からは想像がつかなかったのです。でも、本人は「走ってるときが一番自由なの」と、照れもせずに言っていて、そういうところがいつの間にか好きになっていきました。

あれから、もうすぐ四十年近く経ちます。

子どもたちも巣立ち、それぞれ家庭を持ち、今は二人きりの生活です。

私は会社を定年退職し、しばらくは何もせずに家にいたのですが……どうにも、時間を持て余してしまいました。

もともとじっとしていられる性格ではありませんし、妻もそれに気づいていたのでしょう。ある日、「近くのホームセンターで人手が足りてないみたいよ」と、それとなく話を振られました。

いや、正確に言えば、もっと直接的でした。「毎日ゴロゴロしてるくらいなら、外に出て動いてきたら?」というような感じです。

最初は冗談かと思いました。でも、なんとなく応募してみたらあっさり採用され、今は週に三日ほど、軽作業のアルバイトをしています。身体を動かすのは気持ちがいいもので、何より、家に帰ると妻が少しだけ嬉しそうな顔をしてくれるのが、ちょっとしたご褒美のような気がしています。

私たちは、夫婦としてはけっこう仲がいい方だと思います。

周囲にも「仲良しね」なんて言われることが多いですが、本人たちはそんなつもりもなく、ただ自然に過ごしているだけです。

でも、ありがたいことに、今でも一緒に布団を並べて眠るし、手を繋ぐことだってある。そういうのって、歳を重ねると恥ずかしいことのように言われがちですが、私はそうは思いません。

弘美は、今でも時々マラソン大会に出ています。今でも余裕でフルマラソンも走れるんです。五十八歳で、それってなかなかすごいことだと思うのですが、本人は「まだまだよ」と笑っています。

肌はつやがあって、髪にもツヤがある。細くてスッとしていて、シャツを着ていてもその下のラインが想像できるくらい、しなやかな身体つきです。

私は、正直なところ、この歳になっても彼女と愛し合いたいと思っていますし、実際に週に1回程度ですが今でも行為はあります。

この歳になってもそう思える相手と一緒にいられるというのは、幸運なことだと思っています。もちろん、若い頃とは違いますし、無理はできませんが、それでも、ふとした瞬間に「やっぱりこの人が好きだ」と思えるのです。

彼女の笑った顔、コーヒーを淹れているときの後ろ姿、マラソンのあとにシャワーを浴びて髪を乾かしている横顔。どんな姿を見ても、飽きることがありません。

世間で言えば“年相応”なのかもしれませんが、私にとっての弘美は、今でも一番綺麗な女です。

こういう話をすると、周囲からは「幸せねぇ」とか「のろけかよ」と笑われます。でも、本当にそうなんです。のろけてるんじゃなくて、事実として、私は今でも妻が大好きなのです。

そんな日々の中、ある夜の会話から、思いもよらぬ“発見”がありました。

それが、思い返せば——ちょっとした衝撃の始まりだったのです。

あれは、夕飯の後だったと思います。テレビをぼんやり眺めながら、テレビで女性の生理の話をしていました。

閉経の平均は52歳だということをその時私は始めて知りました。

「え?まだ、あるよな?」と、私は本当に何の気なしに口にしたのです。

その問いがあまりに突然だったのか、妻は最初きょとんとした表情をして、すぐにあっさりと

「あるわよ。だから一応気にして危ない日にはしないようにしてるのよ」と答えました。

それは、まるで「今日は晴れね」とか「醤油切れてたわよ」とでも言うような、なんの感情も乗っていない返事でした。

確かに、弘美は若々しいです。肌にもハリがあるし、体も引き締まっているし、元気そのものです。

でも、それでももう五十八歳。そういうものはとっくに終わっている年齢だと、なんとなく思い込んでいたのです。

けれど、妻はそれを特別なことだとも思っていない様子で、まるで「ずっとそうだったから」とでも言うように、ごく自然に受け止めているようでした。その反応に、私はまた驚きました。なぜなら、自分がいかに「女性の身体のことを知らないまま年を重ねてきたのか」を痛感させられたからです。恥ずかしい話ですが、私はこれまで妻の生理について、ほとんど関心を持ったことがありませんでした。

結婚して何十年も一緒に暮らしてきて、同じ屋根の下で日々を過ごしてきて、それでも、そんな当たり前のことに無頓着だったのです。

子供も二人とも息子ですし、妻もそういう話は全くしなかったためです。

それから私は、気になって自分でこっそり調べてみました。

スマートフォンで検索欄に「60代 生理」と打ち込んでみると、いくつかの情報が出てきました。

確かに、閉経が50代後半になる人はいるのはいるらしいです。でも60を過ぎてというのは珍しいことのようで、ネット上でも「まだある」という人の書き込みに「すごいですね」とか「長生きしそう」といったコメントが並んでいました。

長生き——そう、その言葉が妙に心に引っかかりました。さらに読み進めると、「閉経が遅い人ほど、体内のホルモンバランスが良く、結果的に健康で長寿になる傾向がある」というような記述を見つけました。

私は、ちょっと嬉しくなって、次の日、妻にそれを伝えました。

「お前、長生きするんだってよ。生理がまだある人は、丈夫で長生きするらしいぞ」

すると、妻は微妙な表情を浮かべました。それは、喜んでいるような、でもどこか複雑そうな顔。

少し間を置いて、「それ、嬉しいの?」と聞かれました。

私は「嬉しいだろ?」と即答しました。でも妻は、ほんの少しだけ目を伏せて、ぽつりと言いました。

「私は独りで長生きするのなんて嫌よ」その一言に、胸の奥がギュッと締め付けられました。

冗談めかしたものでも、湿っぽい感傷でもなく、ごく自然な一言でした。

そこに、長年連れ添ってきた夫婦の、どうしようもない現実と、ふいに訪れる不安と、それでもそばにいたいという切実な願いが、まるごと詰まっているように感じたのです。

私たちの年齢になれば、いつかどちらかが先に旅立つ。それは避けられないことで、誰にとっても平等に訪れる未来です。

でも、それをこうして目の前で、大事な人の口から聞かされると、なんだか泣きたくなるような気持ちになりました。

妻は続けて、「万が一、こんな歳で妊娠とかあったら怖いし……。世界記録は57歳だから私が妊娠したらギネスに乗るわよ」と小さく笑いました。

私は思わず笑い返しました。「まさか」と思いながらも、ゼロとは言い切れない現実に、言葉を濁しました。

ただ——そうやって少しだけ弱さを見せてくれる彼女が、私はたまらなく愛おしいと思いました。

歳を重ねて、身体の変化もある中で、それでも今も女性でいてくれる。

それを“嫌だ”とか“恥ずかしい”とか思うのではなく、ちゃんと受け入れて生きている彼女を、私は心から尊敬しています。

この歳になって、「妻が美しい」と思う気持ちが、少しも薄れていない自分に驚きながら、でも、それを素直に嬉しく思っています。

それが、どれほど幸せなことなのか。今になって、ようやく気づいているのかもしれません。

それからというもの、私は妻のことをこれまで以上に意識するようになりました。

いや、正確に言えば、「女としての弘美」を意識するようになったのです。

それまでだって彼女が魅力的なのは十分わかっていましたし、実際、ふとした拍子に「抱きたい」と思う気持ちは今でも頻繁に湧き上がってくるのです。

でも、それはどこか日常の延長のようなもので、習慣のように抱いていた「好き」という感情に、改めて強い“現実味”が宿ったように思えたのです。

弘美は、何も変わった様子は見せませんでした。以前と同じように、朝にはマラソンウェアに着替えて、颯爽と出ていきますし、買い物の帰りには「今日は人参が安かったわよ」なんて笑顔で話しかけてくる。

その一つ一つの動きや言葉に、これまで以上に目がいくようになってしまいました。

腕をまくったときの細くしなやかな手首、洗濯物を干すときの背筋の伸びた姿勢、風呂上がりに鏡の前で髪をとかしている静かな横顔。

そんな、ありふれた一瞬が、私にはまるで宝物のように感じられるのです。

ただ、意識すればするほど、「この気持ちをどう扱えばいいのか」がわからなくなっていきました。

まだ好き。触れたい。抱きしめたい。そう思う反面、年齢のことや体力のこと、そして彼女の気持ち——それらが頭の中をぐるぐると回って、結局何も言い出せずにいる。そんな自分が、少し情けないような、でも悪くないような、不思議な気持ちでした。

その夜、ベッドの中で、妻が少しだけ私の腕に触れてきたことがありました。眠る前の、何気ない仕草。それだけで、私の胸の奥がじんと熱くなりました。まるで若い頃のように、鼓動が速くなっているのが自分でもわかりました。

私は、思わずその手をとって、そっと自分の胸元へと導きました。弘美は何も言いませんでしたが、手を引こうともしなかった。

その沈黙が、今夜だけは、すべてを許してくれているような気がしたのです。

私はそっと身体を向けて、彼女の額に口づけました。それだけで満たされたような気持ちになったけれど、心の奥底ではもっと触れたくてたまらなかった。十代の恋人みたいに、不器用で、真剣で、でもどうしても手を伸ばしたくなるような——そんな感情が、自分の中からあふれてきました。

気づけば、私たちは激しく抱き合っていました。遠慮も体力のことも忘れて、ただ、ただ互いの存在を求め合っていたのです。

呼吸は早まり、肌は熱を持ち、何度も確かめ合うように、身体が重なりました。

どちらからともなく名前を呼び、指先が、唇が、言葉の代わりになりました。

まるで時間が巻き戻ったような、あるいは、ここから新しく始まっていくような、そんな夜でした。

弘美の髪を撫でながら、私は心のなかで何度も「ありがとう」とつぶやいていました。

この歳になっても、こんな夜があること。愛する人と、ちゃんと愛し合えるということ。

それは、過去の名残りでもなく、思い出をなぞるものでもありませんでした。

——これは、今の私たちの“現在”そのものでした。

その晩は、ただ熱いだけでなく、何かが確かに“始まり直した”ような感覚がありました。

翌朝、私は少し身体が重かったけれど、不思議と気分は軽かった。弘美も特に何事もなかったかのように朝食の支度をしていて、それがまた、妙にくすぐったいような気持ちになりました。食卓で、私はなんの前触れもなく言いました。

「俺も、今度一緒に走ってみようかな」弘美は一瞬箸を止めて、こちらを見ました。

驚いたような、でも少し笑いをこらえているような顔。

「大丈夫かしら。無理しないでよ」とだけ言って、また目玉焼きにソースをかけました。その何気ない返事が、私には最高の返事に思えたのです。

その日から、私は妻と一緒に歩き始めました。最初はほんの少しだけ、彼女の後ろをついていくことから。

でも、それで十分でした。隣で風を受け、同じ道を進みながら、私は確かに感じていたのです。

もう一度、ここから始まっていくのだと。恋は終わっていない。愛も、衰えてなどいない。

むしろ、ここからが本番なのかもしれない。これからどんなことがあっても、彼女の背中を見失わないように、私は走り続けていこうと思います。

たぶん私たちは、まだまだ恋の途中なのです。

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