私は橋本徹、61歳です。妻の奈美恵は63歳です。結婚してもうすぐ40年、二人三脚で歩んできました。彼女とはお見合いで出会いましたが、その時からどこか輝いていて、「この人しかいない」と感じたことを、今でも鮮明に覚えています。もちろん初めての彼女でした。年齢は私より少し上ですが、気配り上手で明るい性格の彼女にずっと助けられてきました。私は心の底から、彼女が世界で一番大切な女性だと今でも思っています。
子どもは二男二女、4人もの子供に恵まれ、無事育て上げることができました。それぞれが家庭を持ち、孫はすでに6人もいます。いつも賑やかだった我が家ですが、つい先日、末娘が結婚して家を出ていきました。末娘は年の離れた末っ子で、唯一家に残っていたため、彼女が旅立った後、家の中が急に静かになりました。これからは夫婦二人きりの生活。「これからどうしようか」と妻と話す中で、改めて彼女との時間を大切にしたいと思いました。
そんな矢先、子どもたちからのサプライズがありました。結婚40周年を祝って、高級温泉旅館の宿泊チケットをプレゼントしてくれたのです。「これまで育ててくれて本当にありがとう」との言葉を添えて渡されたとき、胸が熱くなりました。忙しい日々の中で、夫婦二人だけの旅行なんて久しぶりのことです。
久々の長距離の運転は疲れもしましたが、旅館へ向かう車の中では、これまでの思い出話に花が咲きました。「あの頃は大変だったけど楽しかったな」と妻が笑顔で話すと、私も自然と微笑んでいました。振り返れば子どもたちのことで忙しい毎日でしたが、その分、笑いも絶えなかったことを思い出します。
旅館に到着すると、自然に囲まれた静かな場所で、心がほっとしました。広々とした部屋からは美しい景色が見え、「ゆっくりできそうだな」と二人で感心しました。旅館の従業員の心遣いも行き届いており、やっぱり高級旅館は違いました。ゆったりとした気持ちのいい時間が流れて今した。プレゼントしてくれた子供たちには感謝の気持ちで一杯です。
旅館の夕食は、それはもうご馳走でこんな贅沢をしても良いのかと思うほどでした。無理して食べずにタッパにいれて持って帰りたいくらいでした。妻も上げ前据え膳で本当に満足しているようでした。そして食事後、予約していた家族風呂へ向かいました。露天風呂付きの家族風呂で、誰にも気を使うことなく、二人きりで温泉を楽しめる特別な時間です。
妻と一緒にお風呂に入るなんて長男が生まれる前以来でしたので、結構緊張していましたがお湯に浸かってしまえばもう何も考えられない程良いお湯でした。お湯はとろみがあり、肩まで浸かると体がじんわりと温まるのがわかります。満月の夜空を見上げながら、私たちはしばらく無言でその静けさに身を委ねました。
と、その時です。突然「ガサガサ」という音と扉が開く音が背後から聞こえてきました。驚いて振り返ると、複数の男性が立っていました。彼らの肩や背中には大きな刺青があり、湯気の中に浮かぶその姿に思わず息を呑みました。どこか鋭い表情に圧倒され、一瞬体が固まりました。
私は反射的に奈美恵の前に立ちました。心臓はドキドキと早く鳴り、手にじっとりと汗がにじむのがわかります。それでも、「ここで守らなければ」と自分に言い聞かせ、なんとか平静を装いながら、「すみません、時間をお間違いではありませんか?」と声をかけました。
彼らは初めは威圧するような言動を返してきましたが、その時、親分らしき人が手を上げ「すまんかったなぁ。若いもんが時間を間違っていたみたいや。すまんすまん」と謝り、その場を後にしてくれました。
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた緊張が一気に解け、体の力が抜けるのを感じました。奈美恵がそっと私の腕を掴むのがわかり、私は小さく息を吐きながら「大丈夫だよ」とだけ伝えました。
彼らが去った後、奈美恵が震えながら「ありがとう」と私に抱きついてきました。その瞬間、私は「守れて良かった」と思い、胸が熱くなりました。でも正直、私もあそこが縮み上がるくらいビビっていたのは妻には内緒です。
肝が冷えたのかお風呂でゆっくりする気にはなれず、すぐにお風呂から上がりました。浴衣に手をかけると、浴衣から1万円札がヒラヒラと落ちました。「え?なにこれ?」妻の言葉に私は、さっきの詫び料かな?と冗談めかして妻に返しましたが、持って行くのも怖いのでメッセージと共にその場に置いて帰りました。家族風呂から部屋に戻った私たちは、ようやく緊張が解けてホッとした気持ちで畳の上に座り込みました。奈美恵はお茶を淹れてくれながら、「本当にびっくりしたわね。でも…あなたが前に立ってくれて安心したわ」と微笑みました。その笑顔を見て、改めて「守れてよかった」と心の中で思いました。
その夜、布団に入った後、奈美恵が私の布団にそっともぐり込んできました。結婚して40年、こんなことは久しぶりのことだったので驚きましたが、彼女が小さな声で「守ってくれてありがとう」と言ってきた瞬間、私の胸は熱くなりました。
「あなたと結婚して本当に良かった」と続ける彼女に、私は「守れてよかったよ。」と答えました。その言葉に奈美恵が涙ぐんでいるのがわかり、私はそっと彼女の肩を抱き寄せました。久々の展開に私の心と体も燃え上がりました。あの方たちに感謝しないといけないですね。
翌朝、目が覚めると奈美恵はすでに起きていて、「今度は大浴場にいこ?」と誘ってくれました。大浴場の露天風呂に行くと誰もいませんでした。大きな露天風呂が貸し切りのようでこれはこれですごく良かったです。その時、「あなた、そこにいるの?」と女風呂の方から声が聞こえました。「ああ、いるよ。誰もいないから貸し切りだよ」と別々の露天風呂に再び浸かりながら、今度は二人で声を出して笑い合い、昨夜の出来事を話題にしました。「あの人たち、すごく強面だったけど、良い人たちで良かったね」と奈美恵が言いました。「ああ、感謝しないとな」と返すと、「もう、何言ってるのよ!もう上がるわね」と奈美恵は上がっていきました。
旅館を出るとき、スタッフの方々が丁寧に見送ってくれました。車に乗り込むと、奈美恵が「本当に素敵な旅館だったわね」と目を輝かせながら話しかけてきました。私は「また来たいな」と素直に返し、道中では二人で「温泉、本当に気持ちよかったね」「料理も最高だったね」と感想を語り合いました。
家に着くと、ほっとするような安心感が広がりました。「やっぱり自宅が一番落ち着くな」と口にすると、奈美恵も「本当ね」と微笑みながらうなずきました。それでも、ふとした瞬間に今回の旅行での特別な時間を思い出し、「これからの時間をもっと大切にしたい」と強く感じました。
奈美恵の笑顔を見ていると、若い頃の彼女の姿が頭をよぎります。慣れない育児に奮闘していたあの頃、疲れているはずなのにいつも笑顔で支えてくれた彼女。今もこうして隣にいてくれることが、どれだけ幸せなことかと思うと胸が熱くなります。
「これからも健康で、君を守り続けるよ」と心の中で誓いました。その時、奈美恵が「何よ、ぼーっとして」と笑いかけてきて、私は「いや、なんでもない」と答えました。あと20年は健康で二人で過ごせるようにと私は願っていました。