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最後の一秒まであたなの温もりを

シニアの恋愛は60歳からチャンネル様シニアの話

私の名前は庄司房江、65歳です。夫は守。教師として長年働き、家族を支えてくれました。結婚してから何十年、仕事ばかりで家族サービスなんてほとんどなかったけれど、私はそれで良いと思っていました。夫が頑張って稼いできてくれるからこそ、私たちの暮らしが成り立っているんだとわかっていましたから。

「家のことは任せて。あなたは仕事を頑張ってね」と、いつも笑顔で送り出していました。子どもたちのことも家のことも、ほとんど全部私がやってきましたが、夫が外で一生懸命働いていると思えば、むしろ誇らしかったんです。

若い頃、たまの休みに家族で出かけると、夫は数少ない子供たちとの時間を一生懸命遊んでくれていました。ただ、本人はそんなつもりは無いのでしょうが、親子というよりも先生と教え子みたいな感じの接し方でした。そんな夫の姿を見ていると、どこかおかしくも温かい気持ちになれました。家庭に不器用でも、頑張って家族を支えようとしている夫。その姿を支えるのが私の役目だと思って、これまでやってきました。

でも、そんな夫もついに定年を迎えました。これからは二人でのんびり旅行をしたり、趣味を楽しんだりしながら、夫婦水入らずで過ごせる日が来ると思っていたんです。私も少しは楽をさせてもらえるかな、と期待もしていました。

ところが、いざ夫が家にいるようになると、何もしてくれないんです。毎日テレビを見てゴロゴロしてばかりで、私が家事をしている横でまるで気に留める様子もありません。最初は「まあ、今まで仕事を頑張ってきたんだから、少しくらい休ませてあげよう」と思っていましたが、さすがに毎日こんな姿を見ていると不満が募ってきました。私は家事を続けているのに、夫はまるで家事はお前の仕事だとでも言いたげな顔をしているんです。

ある日、ついに私は言いました。

「掃除機くらいかけてくれない?」 

「自分の部屋くらい片付けてくれない?」

その時の夫の顔は少し驚いていて、そしてどこか不満げな表情でした。

「今まで仕事を頑張ってきたんだから、これくらいは許してくれ」と言いたそうな顔。確かに、夫が働いてくれたおかげで私は家庭を守れたのだと思います。でも、今は夫も家にいるのだから、少し手伝ってほしいというのが私の正直な気持ちでした。

私が口うるさく言い始めると、夫も仕方なく茶碗を洗ったり、洗濯を手伝ったりしてくれるようになりました。でも、まあ驚くほど不器用なんです。茶碗は米がこびりついたままだし、洗濯物も色柄を分けずに洗うものだから、色移りすることもありました。

「あなたって、ほんと仕事以外は不器用ね。私がいなくなったらどうするの…」

思わずため息交じりに言ってしまいました。夫は少しショックを受けたようでしたが、正直な気持ちです。仕事はそつなくこなす人だったので、家事もそれなりにできると思っていました。でも、仕事と家事は全く違うもの。今まで家のことは私に任せきりだったから、家事の難しさなんて考えたこともなかったのでしょうね。

その頃、私は体の異変に気づき、病院で検査を受けました。その結果は、あまりに残酷なものでした。医師から「治療は難しい」と告げられた時、私は夫にこのことを伝えるべきか悩みました。でも、言えなかったんです。もし伝えたら、きっと夫は私にしがみついて泣いてしまうだろうし、日常生活がすべて止まってしまうかもしれない。それに、もし私がいなくなった時、何もできない夫が一人取り残されるのはもっと心配でした。

だから、私は夫に家事を覚えてもらうために、あえて口うるさく言うことにしたんです。

「ねえねえ、これ買ったら楽になるからこの家電買ってもいい?」

ある日、家電のカタログを見せて、食洗機や全自動洗濯機、お掃除ロボットを一緒に選ぼうと誘いました。私がいなくなった後、少しでも家事が楽になるようにしておきたかったからです。でも、夫は「いや、わざわざこんなにたくさん買わなくても……」と答えました。きっと、今まで通り私がすべての家事をするつもりだと思っていたのでしょう。

「私ももう年なんですよ?私がいなくなったらどうするの?」

そう言うと、夫はぎくりと肩を震わせました。私がいなくなる未来なんて、まだ考えもしなかったのでしょう。その反応が悔しくもあり、切なくもありましたが、それでも少しずつ家事を覚えてもらおうと思いました。

「私のためでもあるけど、あなたのためでもあるのよ」と言いながら、少しずつ家事のコツを教えていきました。夫はしょんぼりしながらも、洗濯や掃除を覚えていってくれました。

そんなある日、夫が偶然私の診断書を見つけてしまいました。リビングの棚の奥に隠しておいたのに、夫はそれを手に取って私に向かって「どうして教えてくれなかったんだ!」と涙声で叫びました。

「見ちゃったの?」と笑ってみせましたが、夫はひどく怒っていましたね。「まさか、家事をさせたのは自分がいなくなるのが分かっていたからか?」と詰め寄られました。私は静かにうなずきました。自分がいなくなった後、夫が少しでも困らないようにと、それだけを思っていたんです。

「馬鹿か、お前は。病気になった時くらい自分のことを考えろよ……」と夫は泣きながら言いました。でも、私にはどうしてもそれができませんでした。私のやりたいことは、最後まで夫のために何かをすることだったんです。だから私は、口うるさく言いながらも夫に家事を覚えてもらおうとしたんです。それが、私なりの愛情だったのです。

夫が泣きじゃくる姿を見て、私もこらえきれず涙がこぼれました。「あなたにはずっとお世話になったけど、これからは自分のことは自分で頑張ってよ?」と笑いながら、夫の手をぎゅっと握りしめました。

その日から私は、数十年ぶりに夫のお布団で一緒に寝ることにしました。

私の命が尽きるまで、ずっと夫のぬくもりを感じて居たかったのです。

まだ1年くらいは頑張りたい思っていますが、一緒に入れる間はずっと夫に触れていたいと思います。

先に逝ってしまう恐怖もありますが、私は夫がいれば何も怖くないのです。

残された期間、私は精一杯生きたいと思います。

「私はお父さんと一緒になれて幸せでしたよ。

いつか私のもとに来た時、どうか晴れやかな顔で『ちゃんとやってきたよ』と報告してね。私は天国で、微笑みながらあなたを待っています。そして、あなたが日々の中で見つけた小さな幸せを、そっと見守っていますから。」

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