私の名前は遠藤敦子、61歳にこの前なりました。夫の幸司さんとは結婚して35年が経ちます。子どもたちはそれぞれ独立し、今では夫婦二人で穏やかな毎日を過ごしています。夫は数年前に定年を迎え、趣味の家庭菜園を楽しみながらのんびりと過ごしています。一方で私は、日々の家事をこなしながら好きな読書に没頭したり、近所の友人とお茶を楽しんだり、ささやかですが満ち足りた時間を過ごしています。お互いに年齢を重ねてからは、静かな日々に慣れ、それが普通だと思っていました。けれど、ある日を境に私たち夫婦の関係に小さな変化が訪れたのです。
その日、私は朝から家中の窓ふきの掃除をしていました。天気も良かったので、リビングの窓を開け放ち、空気を入れ替えようとカーテンを引いた時のことです。ふと目に入ったのは、お隣さんの窓でした。薄いカーテン越しに動く影。それは親密そうに寄り添うご夫婦の姿でした。一瞬、何をしているのか理解できず固まってしまいましたが、その後すぐに状況が飲み込めました。「まさか、この歳で…」と思いましたが、どうやらお隣さんは、そういう関係をいまだに続けているようです。驚きと恥ずかしさが入り混じり、思わず視線を外し、慌ててカーテンを閉じてしまいました。胸の奥がざわざわと落ち着かず、それからしばらくは掃除にも手がつきませんでした。顔がポポポと熱くなっていました。
その出来事が頭を離れず、私はなんとなくお隣さんと顔を合わせるのが気まずく感じていました。数日後、そんな私を見透かしたかのように、お隣の三輪さんからお茶のお誘いがありました。普段通り明るく接してくれる三輪さんの笑顔を前に、私の中の戸惑いはより一層膨らんでいきます。そして、お茶を飲みながら談笑していた時、彼女がふとこう言ったのです。
「ねえ、この前、見てたでしょ?」その一言に、私は心臓が止まるかと思いました。急に喉が渇いて、しどろもどろになりながら「そ、そんなつもりじゃなくて…ごめんなさい」と謝りましたが、三輪さんは気を悪くするどころかクスクスと笑い、「別にいいのよ」と言いました。その後、「遠藤さんのとこは、もうそういうことないの?」と唐突に聞かれ、私は一瞬言葉を詰まらせましたが、正直に「うん、もう長いことないわね…」と答えました。その答えに、三輪さんは少し真面目な顔になり、「それ、ダメよ。夫婦仲を保つには、そういうことだって大事なんだから」と言うのです。でも、どうしたらいいの?と私はお茶を飲みながら三輪さんに相談しました。年齢的にもう無理なのかも、と諦め半分で話すと、三輪さんは「それなら、ちょっとした工夫をしてみたら?」と笑いながら言いました。「例えばね、またあの時間帯にご主人さんに窓の前に立たせてみて!そして、旦那さんにカーテンの取り付けをしてもらうとか、何かお願いしてみて。ちょっと刺激になるかもしれないわよ。」その提案に私は驚きつつも、「手伝ってくれるかなぁ…」と半信半疑でした。でも、三輪さんの明るさと自信に押されて、試してみようと思い直しました。
数日後、三輪さんの言った通りの時間帯に、夫に「カーテン洗いたいからカーテンを取ってくれない?」と夫に頼んでみました。夫は特に疑う様子もなく、「いいよ」と素直に引き受けてくれました。私は心の中でドキドキしながら、私は別のお掃除をしながら夫の様子を伺っていました。お隣さんの窓は薄いカーテン越しに相変わらず動きがあり、夫もそれに気づいたのか、ちらりと視線を向けていました。ただ、それ以上何も言わずに、カーテンを取り外していました。心なしか音を立てないように外していたような気がします。
それ以降、夫の行動が何となく変わったように思えました。特に何かを口にするわけではありませんが、どこかぎこちないというか、不自然な様子がありました。普段より少しそわそわしているようにも見えます。話し方もなんだか心ここにあらず状態なんだけど、異常なほど優しくなっていました。私は心の中で「もしかして、効果があったのかしら?」と半信半疑ながらも少し期待する気持ちが芽生えていました。
そしてその夜のことです。布団に入ってしばらくすると、夫が私の肩にそっと手を置いてきました。「久しぶりに良いか…」と言いながら、彼の手が私の体を優しく包みました。その瞬間、胸の奥がドキッとしました。久しく感じたことのない感覚に戸惑いながらも、私は夫の顔を見つめました。
夫は少し恥ずかしそうに言いました。「最近、なんだかいろいろ思い出してさ。昔のこととか…お前と初めて手をつないだ時のこととか。」そう言って微笑む夫の顔が、なんとも言えず優しく見えました。そしてそのまま、夫が私をそっと抱きしめてきたのです。
十数年ぶりのことでした。正直、私自身もどうしていいかわからず、少しぎこちなく感じていました。でも、夫の腕の中にいると、懐かしさと温かさがじんわりと広がっていきました。久々すぎて少し痛みもありましたが、夫はとても優しく接してくれました。「大丈夫?」と気遣う声に、「うん、大丈夫」と笑顔で応えると、夫の顔が少し安堵したように見えました。
終わった後、夫はぽつりと話し始めました。「実はさ、この前、隣の三輪さんたちのところをちょっと見ちゃったんだよ。カーテンを外すときに、何となく視線がそっちに行ってさ…。」その言葉に私は驚きましたが、腑に落ちる思いがしました。夫は続けて言いました。「なんか、それを見てたら、昔のことを思い出しちゃってさ。俺たちもあんな風になりたいって。」
その言葉を聞いて、私は心がじんと温かくなりました。「そうだったのね。優しくしてくれてありがとう。」そう言って微笑むと、夫は少し照れたように笑いながら「これからはよろしく」と言ってくれました。その一言が、どれほど嬉しかったことか。
それ以来、私たち夫婦は以前よりもずっとお互いを意識し合い、改めて仲の良い時間を過ごすようになりました。年齢を重ねても、夫婦としての絆を深めていけるのだと気づいた瞬間でした。ひょんなシーンを見せつけてくれたお隣の美和さんに感謝感謝です。
いかがだったでしょうか。お隣さんのおかげでもっと仲良くなれたお話でした。