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女は男の道具では無いのです。

シニアの体験シニアの恋

私の名前は、美千代と申します。もうすぐ60歳になります。35年間続いた夫婦生活に終止符を打ってから、もうすぐ1年が経とうとしています。いわゆる熟年離婚を選んだのです。別れてすっきりしたのかと問われれば、正直に言って少し複雑な気持ちが残っています。というのも、私の感情ばかりで離婚に持ち込んだという思いが、今も心の片隅にあるからです。ひどいやり方だったかもしれませんが、もし私が突然いなくなったらと考えると若いうちに離婚する方が夫にとっても良かったのではないかとも思っています。

夫との生活は、周りから見れば穏やかで、周囲から羨ましがられるものだったと思います。でも、その穏やかさの裏側で、私の心には抑え込んでいた感情がずっと渦巻いていたのです。私たちはお見合い結婚でした。当時の私は結婚に対してあまり興味を持っていませんでした。当時では珍しく専門の大学を卒業し、希望通りの仕事に就くことができました。これから好きなことをしながら青春を謳歌する未来を夢見ていました。でも、働き出してからすぐに父の病によって私の人生は狂わされました。

母からの電話で「お父さんがもうあまり長くないの」と言われた日、以前から親戚に提案されていたお見合いを、父の為に受ける決意をしました。お見合いの席で出会った夫は真面目で、親戚たちからも「悪い人ではないし、あの人にしなさい」と強く勧められました。私はただ一つ、仕事を続けることを譲れない条件として結婚を決めました。子どもの頃からの夢だった仕事に就いたばかりで、どうしても辞めたくなかったのです。当時は女性が結婚すると寿退社するのが当たり前の時代でしたから、周囲からは変な目で見られました。それでも、夫も職場もこの条件を受け入れてくれ、私たちは結婚しました。父は私が結婚したことで安心したのか、ほどなくして旅立ちました。

結婚生活は共働きで始まりましたが、夫は毎晩のように私を求めてきました。正直に言って、ものすごく嫌でした。お見合い結婚だったから、夫婦関係を築くことに抵抗があったのも理由です。ただ、どうにか折り合いをつけるしかなく、私は時間をかけてその状況を受け入れましたが、最初はその頻度に驚きました。どうしていいかわからず、何度も友達や同僚に相談したほどです。それでも、夫との新しい生活に慣れるまで、いや、むしろ諦めるまでにはかなりの時間がかかりました。

「仕事を続ける」という私の希望は守られていましたが、それはすべて私の責任のもとでした。早い話が、夫は我関せずの態度を貫いたのです。もちろん、あの時代は女性が家事をするのが当然とされていました。夫が悪いわけではなく、そういう世の中だったのです。夫も家事は私の役目だという態度でした。頼めばやってくれることもありましたが、自発的に動いてくれることは一度もありませんでした。仮にやってもらっても、細かな点が気になって余計にストレスが溜まるので、やがて私は夫に何も頼まなくなりました。

そんな私たちの関係に大きな変化が訪れたのは、子供が生まれた時です。育児が始まると、夫は「仕事はまだ続けるのか?」と言いました。この言葉で、夫は働くことを理解してくれていないんだなと思いました。「育児を手伝ってくれれば続けられる」と答えると、夫は笑顔で「俺は仕事があるから無理だよ」と一言。私の仕事は仕事ではないのでしょうか。このひと言で、私の中で何かが音を立てて崩れたのを感じました。結局、育児の手助けはほとんどなく、私は一人で家事も育児もこなしていく日々を送ることになりました。幸い、実家が近かったので母の手助けはかなり助かりました。父はもういなかったので母も大変だっただろうなと思います。本当に母には感謝しています。

子供は無事おばあちゃん子で、心の優しい子に育ってくれました。それでも、子供が成人するまでにもいろいろな出来事がありました。ある日、息子が反抗期を迎えた時に、夫は「おまえがちゃんと見ていないからだ」と冷たく言い放ちました。その言葉に、私はただただ呆然としました。時代が少しずつ変わり、夫が家事や育児に参加する男性も増えている中で、夫は一切変わらなかったのです。それでも私は仕事を続けながら子育ても終えました。息子は就職後もすぐに家を出ることはなく、夫と二人きりの生活が始まったのは私が55歳の時でした。

そして迎えた夫の定年退職の日。その夜、夫は上機嫌で退職祝いの席から帰ってきました。玄関で、彼は笑いながら私に近づき、酔っぱらった勢いで「これからは毎晩頼むな」と言ってきました。その瞬間、私は身体中に鳥肌が立ち、背筋が凍るような感覚に襲われました。夫を布団に連れて行き、なんとかその場を離れ、一階のリビングへ逃げるように降りました。深いため息をつきながら、私はこれからの生活を考えました。夫の世話をしながら、昼も夜も働き続ける…その考えが頭に浮かぶだけで、全身が拒絶反応を示しました。何もかもが嫌になり、私は本気で離婚を考えるようになったのです。

もちろん、夫に突然離婚を申し出たわけではありません。私には私の信念があります。男性と同じように仕事に誇りを持ち、家事も育児も全てやり切ってきました。その上で、夫に私の思いや考えを伝え、変わって欲しいと何度も本気で向き合いました。けれども、夫は私の言葉に耳を傾けることはありませんでした。その時も私を抱きしめてきたのです。その瞬間、また全身に鳥肌が立ち、私は彼の手を払い、明確に拒否しました。

「この人は、女は抱けば言うことを聞くものだと思っているのだろうか?」私は心の中で嘆きました。35年間一緒に暮らしてきた夫に対する愛情ももちろんあります。でも、この人は本当に私という人間を見てくれているのだろうか?私は夫の言いなり人形ではないのです。

その数日後、私は正式に離婚を申し出ました。幸い、共働きであったため、年金もお互いに満額支給されることがわかっていたので、私は家を出ることができました。私の目が本気だったせいか、夫はそれほど強く抵抗しませんでした。

それからの私は、仕事に没頭する日々を過ごしています。自由を手に入れた今でも、少しすっきりしない気持ちも残っています。私が家を出てから、夫は一人で家事をこなす日々を送っているようです。今までしてこなかった近所づきあいなども四苦八苦しながらしているようです。息子が教えてくれる夫の近況を聞くたびに、少しだけ心が痛むこともあります。もっと話し合えばよかったのではないか…そんな気持ちが心の片隅にあるのです。

もし夫が私を、一人の人間としてきちんと見てくれるようになるのなら、いつの日か、また戻ることもあるかもしれません。最近はそんなふうに考えることも増えてきました。でも、ひとまずはこれで良かったのかなとも思っています。

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