私は純子、58歳の会社員です。結婚してからもう28年が経ちますが、その長い年月の中で、あの時の選択が正しかったのかと自問することが何度もありました。20代の頃、私はアキラという3歳年上の男性と交際していました。彼は自分の会社を立ち上げたばかりで、経済的には不安定でしたが、その姿を見て私は心から応援していました。でも、私の父は彼を「将来性がない」と断じ、私たちの交際に猛反対したのです。
父にとって、娘の結婚相手は経済的に安定していることが重要でした。私はアキラを選ぶ勇気がなく、結局、父の勧めるお見合い相手と結婚することになりました。彼は大手企業に勤めていて、経済的には申し分のない相手でしたが、今になって思えば、彼もまた両親の期待に応えるために私と結婚したのでしょう。お互いにそれぞれの親の期待に従って結婚し、そして28年が過ぎていきました。
その28年間の中で、一番大きな出来事は、15年目に夫の浮気が発覚したことでした。でも、驚いたのは最初の一瞬だけで、すぐにどうでもよくなったのです。私たちの夫婦関係はすでに破綻しており、愛情も感じられませんでした。だから「そうか、そういうことか」と納得し、それ以上夫を問い詰めることもなく、そのまま放っておきました。
そんな生活が続いていたある日、夫が「知り合いを家に連れてきたい」と言い出しました。普段、夫が人を家に呼ぶことはほとんどないので少し驚きましたが、特に気にも留めず了承しました。そして、その日がやってきたのです。
その日、家に訪れた人物を見て私は息を呑みました。そこにいたのは、あのアキラだったのです。久しぶりに見る彼は、あの頃とほとんど変わらない柔らかい笑顔を見せていました。もちろん歳は重ねていましたが、どこか懐かしさを感じるその表情がそこにありました。彼もまた、私と同じく、初対面を装わなければならなかったのでしょう。お互いに内心の動揺を隠しつつ、笑顔で挨拶を交わし、そのまま食事を始めました。
しばらくして、夫が口を開きました。「実はね、アキラくんとちょっと面白い話をしていてね」と私に向かってニヤリと笑います。「アキラくん夫婦とパートナーを交換することになったんだ」と。私は耳を疑いました。何を言っているのか理解できず、ただ夫を見つめました。しかし彼は真剣な顔をして続けました。「お互いの夫婦関係を見直すために、一度他の人と生活してみるのもいいんじゃないかって。実験みたいなものだよ」と。どうやら、この話は夫とアキラの間で既に進んでいたようで、アキラの奥さんもその提案を受け入れたとのことです。
普通なら、こんな提案を即座に否定していたはずです。そんな馬鹿げたことをする意味なんてないと。でも、目の前にいるアキラを見たとき、私は何も言えなくなりました。長い間会うこともなく、過去の記憶として閉じ込めていた彼が突然現れたことで、私の心は揺さぶられました。理由なんてありません。ただまた彼に会えたことが、否定する気持ちを失わせたのです。
こうして、私たちの「夫婦交換生活」が始まりました。私は数日後、アキラが滞在することになった小さなアパートに向かいました。ドアを開けると、アキラが迎えてくれました。久しぶりに二人きりで過ごす時間がやってきたのですが、何を話せばいいのか分からず、気まずい沈黙が流れました。
最初の夜は、お互いにあまり話しませんでした。食事をしながら、「最近、仕事はどう?」とか、「元気だった?」など、ぎこちない会話が続きました。でも、会話の間にアキラはちらりと私を見て、昔と変わらない優しい笑顔を見せてくれました。そんな時、彼の方から話を切り出しました。「純子、俺たちが最後に会ったのって、何年前だっけ?」と。私は胸が詰まるような気持ちで「28年…かしら」と答えました。
アキラは「そうか、そんなに経ったんだな…」と遠くを見るような目をして、静かに笑いました。「あの時、俺はもっと頑張るべきだったのかもしれない。お前の親に認めてもらえるように、もっと強く、もっと成功していれば、俺たちは一緒にいられたのかなって、ずっと考えてたんだ」と話しました。私は驚きました。私もあの時、父の反対に負けずアキラを選んでいたらどうなっていただろうと、同じことを思っていたからです。しかし、それを口にすることはできず、ただ彼を見つめることしかできませんでした。
その夜、私たちはあの時のこと、そしてお互いがその後どのように生きてきたのかを語り合いました。28年ぶりの再会は、ぎこちなさを消し去り、懐かしさと安堵感をもたらしました。話をしているうちに、心の中に少しずつ温かい感情が戻ってきた気がしました。
夫婦交換生活の3日目には、私は不思議な感情に包まれていました。アキラとの再会が私の心にどんな影響を与えているのか、自分でもよく分かりませんでしたが、昔のように彼のそばにいたいという気持ちが強くなっているのを感じていました。
その夜、私たちはお酒を飲みながら少し打ち解けた雰囲気で過ごしました。そして、アキラが私の手を取り、「純子、俺はまだ君のことを忘れたことはなかった。ずっと、心の中に君がいたんだ」と言いました。私はその言葉に動揺しました。私も同じように、彼のことを忘れたことはなかったからです。でも、もう戻れない。そう思いながらも、私はただ黙ってアキラの手を握り返しました。
その夜、私たちは幾度となくためらいながら、最終的にはお互いの気持ちに逆らえなくなりました。理性は「いけない」と警告を発し続けていたのですが、心はその声をかき消し、アキラのぬくもりに包まれてしまいました。そして一線を越えた瞬間、私は涙がこぼれていることに気づきました。それが後悔なのか、喜びなのか、自分でも分かりませんでした。
その後も数日間、アキラとの時間が続きました。私は彼にますます惹かれていき、再び一緒に過ごしたいと強く願うようになりました。しかし、その期待はある夜、アキラの一言で崩れ去りました。彼は「今回は昔の未練に区切りをつけるために会った」と言い、今は妻と子どもがいると話しました。その言葉を聞いて、私はすべてが終わったのだと悟りました。
結局、私は元の家に戻り、愛のない夫との生活を続けることになりました。過去の選択をやり直すことはできませんし、今さら誰かを責めるつもりもありません。ただ、あの数日間だけは私にとって現実の中の一瞬の逃避であり、心の中で「もしも」を夢見ることができた時間でした。
それでも、あの短い時間の中で、私はアキラの温かさを感じ、また誰かを愛することができるのだと気づかされました。それだけで十分だと自分に言い聞かせながら、私はまた日々の生活に戻っていくのです。