私は達郎、68歳です。先日最愛の妻が闘病の末に他界しました。彼女がいなくなった今、私は日々の生活の中で彼女との思い出を振り返っています。心の中には、彼女との過去の幸せな日々が鮮やかに浮かび上がると同時に、もっと彼女に優しくしてやれなかったかという後悔が渦巻いています。私たちは長い間、一緒に生活してきました。結婚してからの約40年間、彼女は私の支えであり、私も彼女を支える存在であろうと努力していました。朝、目を覚ますと、彼女が朝食を用意している姿が目に浮かびます。彼女はいつも私の好きな卵焼きを作ってくれて、温かいご飯と一緒に食べるのが日課でした。私はその温もりに心から感謝しつつ、何気ない会話を楽しんでいましたが、彼女がその日々をどれほど大切に思っていたのか、今となってはわかります。休日には、私たちは近くの公園に散歩に出かけました。彼女は花が好きで、いつもいろんな花を見つけては、「お父さん、見て!この花はきれいね」と言いながら嬉しそうに指差していました。その笑顔を見るのが、私の何よりの喜びでした。しかし、私はその瞬間にもっと彼女を抱きしめ、愛情を伝えるべきだったのに、つい恥ずかしさからその行動を避けてしまっていたのです。
また、彼女との夜の時間も特別でした。お互い夜の生活は嫌いではありませんでしたから、
その時間は比較的充実していました。他にもお茶を飲みながら一緒にテレビを見たり、昔の写真を見返したりすることが多かったです。彼女はその中で私たちの思い出を語り、時には私が若い頃の写真を見て笑ったりしました。「あなたは本当に若い頃はイケメンだったわね。今はまぁ…ね」「悪かったな」「あははっ、私だってしわくちゃになったから気にしないでね。それにまだまだかっこいいわよ」と言われるたび、私は照れくさくも嬉しい気持ちになりました。しかし、そんな何気ない会話や笑い声も、今はもう聞けないと思うと、胸が締め付けられるような思いです。
振り返ると、私たちはお互いに多くの思い出を積み重ねてきました。結婚記念日には、彼女が好きなレストランでディナーを楽しんだり、特別なプレゼントを用意して彼女を驚かせたりしました。しかし、もっと彼女に感謝の気持ちや愛情を表現しておけばよかったと、今は強く思います。彼女はいつも私を優しく包み込んでくれていたのに、私はその恩恵を当然のように受けてしまっていました。
最近では、特に彼女が病気になってからのことが頭をよぎります。彼女が体調を崩していく中、私は心配しながらも、どう接すればよいのかわからず、つい冷たくしてしまった瞬間がありました。もっと気を使って、優しい言葉をかけるべきだったのに。彼女の手を握りしめ、何も言わずにそばにいるだけで良かったのかもしれません。それが、どれほど彼女を慰めたのか、今さらながらに気づくのです。
彼女が他界してから、心の中にぽっかりと穴が空いてしまったような気分です。彼女の笑顔や優しさを思い出すたびに、涙が止まりません。もっと彼女に寄り添ってあげたかったという後悔は、消えない傷のように私の心に残っています。これからの人生をどう生きていけばよいのか、途方に暮れることもあります。
思い出を振り返ることで、彼女との日々の大切さを再確認することができました。私が彼女にどれほど支えられ、愛されていたかを知ることができました。だからこそ、今は彼女のために、少しでも元気を出していかなければいけないと思うのです。彼女が残した愛の記憶を胸に、これからの時間を大切に過ごしていこうと心に決めています。
でもそう思っても次の日になれば悲しみの方が上回ってしまいます。
妻がいた日々は、私にとってかけがえのない宝物であり、失ってしまったことがどれほどの悲しみかをこれでもかというほど痛感しました。私にとって妻という存在がそれほどまでに大きかったということです。それでも、彼女のために、少しずつ前に進んでいくことが私の使命だと思っています。
妻が他界してから1ヶ月が経ったときのこと。家の中は静まり返り、時間が止まったかのような感覚に陥っていました。何もかもが彼女の記憶に包まれていて、思い出すたびに胸が苦しくなっていました。そんなある日のことだったのです。私を心配した娘が様子を見に来てくれました。娘の顔を見ると、少しほっとした気持ちが湧き上がりましたが、同時に寂しさも感じます。
「お父さん、元気にしてる?ちゃんとご飯食べてる?」と娘は優しく声をかけてくれました。私は「まあ、なんとかね」と返事をしながらも、心の中では何もかもがうまくいかないような気持ちが渦巻いていました。娘はしばらく私のそばにいてくれましたが、ふと何かを思い出したように、「お父さん、見てほしいものがあるの」と言いました。
娘はスマートフォンを取り出し、画面を私に向けました。「これ、ママが生前に撮った動画なの。お父さんには落ち着いてから見せてって言われてたから…タイミングが今になっちゃって…」「え、動画?」「うん。ちょっと見てみて」そして再生ボタンを娘が押しました。すると、妻の優しい声が画面から流れてきました。私はその瞬間、心が締め付けられる思いでした。妻の姿が映し出されていると、自然と涙がこぼれてきました。
画面には、妻が微笑みながら話している姿が映っています。「みんな、私がいなくなっても悲しまないでね。たくさんの思い出を胸に、明るく過ごしてほしいの」と彼女は語りかけます。その言葉を聞いていると、心の中に温かいものが広がると同時に、彼女が私たちにどれほどの愛情を注いでくれていたかを改めて感じました。「自分が病気なのに皆の心配か…お前らしいな…」すると妻から私に向けた言葉がありました。
「どうせ、いつかは、上の世界に来ると思うから、その時までに先にお掃除して待っているね。だから、あなたたちも明るく生きて、私の分まで楽しんでね」と続ける妻の言葉に、思わず涙が溢れてきました。彼女は、自分がいなくなっても家族が幸せであることを願っていたのです。その姿勢は、私たちを思いやるものでした。
動画が終わると、私は思わず泣き崩れてしまいました。娘はそばに来て、私の背中を優しく撫でながら「大丈夫、お父さん。お母さんはいつもお父さんのことを見守っているよ」と言ってくれました。彼女の言葉を聞いて、少しだけ心が軽くなった気がしましたが、それでもやはり、妻を失った悲しみは消えません。
それでも、妻の言葉が心に響きました。彼女が私たちのためにどれほど気遣い、愛を注いでいたかを思い出し、私は少しずつ元気を出していく決意を固めました。妻の思い出を胸に、彼女が願っていたように、明るく生きていくことが私の役割だと感じました。
これからは、娘たちにはいつまでも元気な父親を見せていこうと決意しました。妻のように、家族を大切にし、愛情をもって接することが大事だと思います。だからこそ、彼女の言葉を心に留め、毎日を大切に過ごしていくことを誓いました。
彼女が教えてくれた愛の深さを忘れずに、私は新たな一歩を踏み出すことにしました。少しずつ、日常の中で妻との思い出を大切にしながら、家族と共に生きていく。これが彼女への最高の感謝の気持ちだと思います。
これからの日々を、少しでも明るく、そして幸せに過ごしていきたいと願っています。
いつかまた妻と会えるその日まで……