私の名前は魚沼志津恵72歳です。夫は5年前に病気で他界しました。闘病生活が長かったので夫が亡くなった時はある程度覚悟ができていました。そのため、親戚からも「気丈にふるまって偉いわね」なんて言われたこともあります。だけど、あの時の私は心から寂しいという気持ちを理解していたのか分かりません。ぽっかりと穴が空いたような気持ちにはなったのですが、5年経った今ほど悲しんでいたかと言えばすぐに肯定できない自分がいるからです。
夫は脳梗塞で倒れて右半身不随になりました。数年は大丈夫だったのですが、どんどん身体は衰え、別の病気を発症して最後は入退院を繰り返す日々だったんです。そのたびにつらそうな夫を見るのが心苦しくて、夫が苦しい思いをしないでほしいと願っていました。もしかしたら、早く楽になって欲しいなんてひどいことを考えていたのかもしれません。だからこそ、夫が亡くなった時に悲しい気持ちよりも「これ以上夫が痛みや苦しみに悩まずにすむ」という気持ちの方が強かったのでしょう。
だけど、夫が亡くなって5年が経ち、ひとり暮らしが当たり前になってきた最近思うのです。夫がいなくて寂しいと。元気な時は天気が良い時に庭の木を切っていたな、夫の好物を作っていれば美味しいと言って食べてくれたな、こんなことばかり日常生活の中で思うようになりました。5年も経ってから悲しみ始めるというのは、妻として最低なことではないのかと気持ちが沈んでしまいます。
「お母さんが気に病むことじゃないよ」
娘に相談すると、娘はあっけらかんとした口調で答えてきました。もしかしたら娘にも「冷たい」と言われるかもしれないと身構えていたので、少し拍子抜けです。
「だってねぇ、普通は5年経ってから落ち着いたりするものじゃないの?でもお母さんの場合は5年経ってから寂しくなるなんて……」
「お母さんの場合、5年経ってからお父さんがいないって現実を受け入れられるようになったんじゃないの?」
娘の言葉にきょとんとしてしまいます。お父さんがいないという現実はこの5年の間も受け入れていたつもりだったからです。
「言葉として受け止めていても、気持ちはまだ受け入れていなかったんだよ。私もそんなお母さんに気づけていなかったから申し訳ないけど……」
娘の申し訳なさそうな言葉に「あなたが気にすることじゃないわよ」と慌てて否定します。娘が気づいていなかったということは、少なくとも私は普通に生活ができていたのでしょう。だけど、娘が言うには普通の生活が当たり前になってきたからこそ、夫がいないことが気になり始めるようになったのではないかとのことです。
「誰かの死を悲しむことに正解なんてないと思うよ。お母さんにとっては、この5年間がお父さんの死を悲しむために必要な時間だったってことじゃないの?」
娘の言葉を素直に受け入れてもいいのか少し悩んでしまいます。それはあまりにも自分にとって都合のいい言葉ではないのかと考えてしまうからです。
「子供の頃から思っていたけど、お母さんは世間体を気にしすぎじゃない? 昭和初期とかその頃なら世間体も大事だったかもしれないけど、今は令和だよ?」
確かに私が若い頃は自分を犠牲にしてでも夫や義家族を立てるということが大事でした。嫁や嫁の実家は二の次、いえ、それよりも更に優先順位が低かった時代です。だから、その頃の習性が染みついていてどうしても自分の考えや自分を優先することを否定してしまうのかもしれません。
「特におばあちゃんは厳しかったもんね。お母さん、ずっといびられてたじゃない」
「そうねぇ……」
夫の母、つまり義母はすごく厳しい人でした。少しでも嫁という立場を超えた言動をすれば激しい叱責を受けたものです。娘にもそんな姿を見せていたことが気になっていたのですが、やはり子供の頃とは言え覚えているのでしょう。
「ただ、お父さんはお母さんをかばっていたよね」
「そうね」
夫は私が義母の理不尽な言葉に泣いていると、いつも庇ってくれていました。ある意味では、昭和時代の長男らしからぬ言動だったことでしょう。義母も夫が私を庇うから余計にヒートアップしてしまう部分もあったようです。恐らくあの頃の時代の女は自分がされたことを嫁にするのは当然という考えだったのではないでしょうか。自分が義母にいびられたから、姑になった時に嫁に厳しくするという悪循環だったような気がします。私だって夫が庇ってくれていなかったら、子供たち、特に息子のお嫁さんには厳しい言動を取っていたかもしれません。私が子供たちの配偶者にとって良い姑でいられるのは、夫が庇ってくれていたからでしょう。
「お母さんはもう少し自分のことを考えてもいいと思うよ?」
娘はそう言ってくれますが、私は結構自分のことを考えて過ごさせてもらっています。
「お父さんがいなくて寂しいって言うなら、誰かと同居を考えてもいいんじゃない?」
娘が言ってくれますが、私は同居だけはしないつもりです。幸いなことに子供たちの家は近いし、何かあったら駆けつけてもらえる距離です。それなのに、私が寂しいからという理由で同居をするのは息子のお嫁さん、娘の旦那さんにとって迷惑でしかありません。
「同居だけはしないわ。こればかりは何があっても考えを変えるつもりはないの」
私自身が義家族との同居で大変な思いをしました。良い関係を築けていても、距離が近くなりすぎることで嫌な部分が見えてくることがあるでしょう。それは私にとっても子供たちにとっても良くないと思います。
「それに、この家でお父さんとの思い出を大事にしたいのよ」
古ぼけた家ではありますが、この家には夫や子供たちとの思い出がしっかりと残っています。夫を亡くして寂しい気持ちはありますが、それでもこの家で過ごすと思い出が私の寂しさを慰めてくれるように思うのです。
今さらながらに夫がいないことを寂しく思うなんて、私は冷たくて薄情なのかもしれません。だけど、娘の言葉を信じてみようと思います。この5年間は夫の死を受け入れるために必死だった、ようやく夫の死に向き合えていない現実を気持ち的に受け入れようとしているのだと。
我が家には縁側があります。夫が元気な時はいつも縁側に座ってお茶を飲みながら日向ぼっこをしたものです。特別な場所に行くわけでもない、何かすごいことをするわけでもない、私はその縁側で夫とお茶を飲む時間がすごく好きでした。夫が亡くなってからは縁側でお茶を飲むことはしませんでしたが、これからは夫の写真を置いてあの頃のようにしてみたいと思います。
「あなたがいなくて寂しかったけど、私は頑張ったんですよ」
私も年齢的にそこまで長生きをするわけではないでしょう。夫とは違いますが持病もあります。だからこそ、いつか夫のところへ行った時にいろいろな話をできるようにしたいと思います。夫と過ごした時間を思い出しながら、あんなこともあった、こんなこともあった、と過ごせば夫のいない寂しさを埋めてくれるような気がしたからです。
「最後まで頑張ったんだね」
いろいろな思い出を持って夫の元へ逝った時、きっと夫は笑顔で出迎えてくれることでしょう。もっと長生きをしてほしかったのになんて言うかもしれませんが、その時は「それはこちらのセリフですよ」と言い返してやろうと思います。今の時間は夫がいないのではなく、またいつか夫に会うための時間なのだと思えば少し寂しさが薄れたような気がします。