私の名前は和田澄江69歳です。先日、夫の輝明を亡くしました。私よりも5つ年上でしたが、心筋梗塞を起こして病院に搬送されたのですが結局亡くなってしまったのです。私と夫は恋愛結婚で、これまで大きな喧嘩もなく平和に過ごしてきました。だからこそ、突然夫が亡くなって、私の心にもぽっかりと穴が空いたような感覚が残ったままになっています。
私たちの出会いは、夫が私の働く飲食店に通っていたことでした。結婚した後に聞いたのですが、どうやら夫は私にひとめぼれだったらしく話しかけるタイミングをうかがっているうちに常連になっていたのだとか。私も常連になった夫が気になっていたので、ある意味では私も夫に引かれていたのだと思います。私たちが結婚した当時は、親からの紹介などで結婚相手を見つけるのが当たり前の時代でした。実際に私や夫の友人は親や会社の上司の紹介で結婚を決めた人も少なくありません。恋愛結婚をした人は離婚するのが早いとも言われたことがありました。だけど、そんな心配もなく私と夫は仲良く過ごしてきたつもりです。
「……あなたがいない毎日は寂しくて仕方ないよ」
夫が亡くなってから、私は遺影の前で過ごすことが多くなりました。夫が生きていた頃のように、いろいろと話すけど、当然ながら夫からの返事はありません。ひとりで話しているということが、余計に夫はもういないのだと現実を突きつけてきて寂しさがあります。
「お母さん、町内会の集まりとか参加してみたら?」
ひとりでぼんやり過ごす私を見かねたのか、娘がそう言ってくれました。そういえば、私はどちらかと言えば人見知りをするタイプで町内会もまったく参加しないわけではなかったのですが最低限という感じでした。最初はご近所付き合いを頑張ろうとしていたのですが、当時ご近所さんに私に当たりが強い人がいたんです。元々人見知りだったせいもあり、その人からの言葉に参ってしまって町内会に参加することもできなくなりました。そんな時、私の代わりに参加してくれていたのが夫だったんです。今はもうその嫌なことを言う人は引っ越していないのですけど、その時のことがトラウマと言えば大げさになりますが、どうしても人付き合いを積極的にできない原因になっていました。
「私なんかが突然参加しても……」
「男女全員が参加する町内会は無理でも、婦人会とかあるじゃない。そっちはどう?」
「私はいいわよ、今さら苦手な人付き合いを頑張ろうとしても……」
「町内会に参加すればお母さんが知らないお父さんの話も聞けるかもしれないよ?」
夫のことを知ることができるかもしれない、という言葉に「嫌だ」という気持ちが少し薄れたような気がしました。誰だって家族の前と他人の前では違う一面を見せます。私も夫とは仲良く話をしましたが、その他の人は最低限の話しかしないという消極的な部分があるからです。明るく社交的だった夫は町内会でどんな話をしていたのだろうと、少し興味が出てきたんです。
「……少しなら」
気が乗らないのは事実ですが、一度くらいは参加してみてもいいかなと思うようになりました。そこで娘が町内会長に連絡をして、次の町内会に参加することにしたんです。知らない人ではないのですが、やはり人付き合いが苦手なこともあって緊張してしまいます。そんな私に気さくに声をかけてくれたのが、斜め向かいの家に住んでいる田中さんでした。
「あらあら、澄江さん!今日は参加するって聞いて楽しみにしていたのよ」
「突然参加してしまってすみません……」
「いいのよぉ、ご主人だってそのうち妻と一緒に参加したいって言っていたんだから」
「え?夫が?」
田中さんの話では、少しずつ町内会にも参加させて周りの人と打ち解けてほしいと田中さんや町内会に参加している人たちに話していたそうです。その時、私が人見知りをするタイプだから気おくれしないように話しかけてやってほしいと田中さんは頼まれていたのだとか。
「ご主人、町内会に参加するたびに毎回ノロケのようなことを言っていたのよ?奥さん、お料理が上手なんですって?奥さんの料理が美味しすぎて外食なんて考えられないって言っていたよ」
まさか夫がそんなことを言っているとは思わず、少し気恥ずかしくなってしまいました。しかも田中さん以外からも「ご主人のノロケを聞くのが町内会の楽しみのひとつになっていたわよ」なんてからかいまじりで言われてしまいました。
「ふふっ、ご主人はいつも言っていたわよ。人見知りで人付き合いは苦手だけど、自分の妻は最高の人だからみんなにもそのいいところを見てほしいって。時期を見て一緒に町内会に参加するからって言っていたけど、ご主人があんなことになってしまったものね」
田中さんは夫が亡くなった後に何度か町内会に参加しないかと誘おうと思っていたそうです。だけど、夫を亡くして一番つらいはずだから気軽に声をかけられなかったのだと謝ってきました。壁を作っていたのは私です。田中さんが謝ることなんて何ひとつないのに……。
「ねぇ、奥さん。もし良ければなんだけど今度の婦人会に参加しない?次はみんなでお料理をしましょうってことになってるの。ご主人からも料理上手だって聞いているし、奥さんさえ良ければぜひ参加してもらいたいのよ」
「えっ、でも私は夫が言うほど料理が上手というわけでは……」
「何言ってるの。あんな立派な料理を作っておいて上手じゃないなんて言わせないわよ」
「え?私が作った料理を知っているんですか?」
町内会の人に私の作った料理を見せたことはなかったはずです。なぜ知っているような口ぶりなのだろうと思っていたら、夫が携帯電話で写真を撮って見せていたのだと聞きました。田中さんが言うには、ほぼ毎食写真を撮っていて町内会の時に見せていたそうです。正直に言えば、なんてことをしているのかと夫を問い詰めたいくらい恥ずかしい気持ちになりました。
「本当にご主人は奥さんが大好きだったのね。妻のいいところは自分だけじゃなくて、みんなにも知ってもらいたい。きっとみんなの人気者になるはずだって言っていたわよ」
私はそんな風に言ってもらえるほどいい人間ではありません。だけど、きっと夫は私が町内会でなじみやすいようにしてくれていたんでしょう。町内会に参加したのは、夫の違う一面を知ることができればという軽い気持ちでした。だけど、まさか夫が亡くなった後でこんなにも私を大事にしてくれていたのだと知ることができるなんて思いもしませんでした。
「私、これからも参加させてもらいたいです。もちろん婦人会の方も……」
町内会や婦人会の人と仲良くなれるチャンス、これは亡き夫が残してくれた最後のかけ橋のようなものです。家族以外と長時間過ごすなんて緊張してしまいますが、町内会は夫が大事にしていて楽しんでいたものです。そこに混ざれるように道を作ってくれていたのだから、夫のしてくれたことを無駄にしたくはありません。
その後、私は町内会や婦人会に参加していろいろな人と接するうちに欝々とした気持ちが少しずつなくなっていくような気がしました。娘からも「きっとお父さんも喜んでるよ」なんて言ってくれます。まだまだ夫のいない毎日に慣れることはできませんが、それでも私がこの世を去る時にいろいろな思い出話を持っていけるように楽しい毎日を過ごしていきたいです。きっと、私が笑顔でい続けること、それが夫の望んでいたことだと思いますから。