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お前の笑顔が一番の励みだったよ

シニアの恋愛白書チャンネル様シニアの話

私は明子、70歳です。夫が亡くなって、もう数週間が経ちました。日常の中で、ふと彼がいないことを実感する瞬間が増えてきています。若い頃は苦労ばかりさせられて、「なんでこんな人に嫁いでしまったんだろう」と何度も思ったものですが、いなくなるとこんなに寂しいものなんですね。長い結婚生活の中でいろいろなことがありましたが、今こうして一人でいると、やっぱり彼が隣にいた頃のことを思い出します。

あの頃、私たちは本当に貧しかった。結婚した直後からお金の面で苦労の連続でした。夫の仕事は安定せず、毎月の給料がいつもぎりぎりで、生活費をどうやって捻出するかを考えるのが日課でした。家賃や光熱費、食費を少しでも抑えるために、スーパーの特売日を見逃さず、少しでも安いものを求めて、あちこちの店を駆け巡る日々。家計簿をつけるたびに、どうしてこんなにお金が足りないのかと頭を抱えていました。

夫は小さな会社を興して、なんとか家計を支えようとしていましたが、立ち上げたばかりの事業は厳しく、赤字ばかりが続いていました。何度も「もう諦めて、他の仕事を探した方がいいんじゃない?」と進言しましたが、彼は「絶対にこの会社を成功させる」と頑固に言い張っていました。それが腹立たしくもあり、同時にどこか彼の強い意志を感じていました。

生活費が足りなくて、私もパートの仕事を掛け持ちするようになりました。朝から晩まで働いて、家に帰ってからは食事の支度や家事。毎日がそんな繰り返しで、どうしてこんな苦しい思いをしなければならないのかと涙が出ることもありました。友人たちは「せっかく若いんだから、もっと楽しいことをすればいいのに」と言ってくれましたが、そんな余裕もなく、ただ毎日を生き抜くだけで精一杯でした。

それでも、夫はいつも明るく振る舞っていました。「お金のことで苦労をかけてごめんな」と何度も謝りながらも、決して暗い顔は見せませんでした。むしろ、「俺がもっと頑張れば、きっとこの生活も変わるから」と、どこか自信たっぷりに笑っていました。その明るさが、逆に私の心を複雑にさせました。大変な状況なのに、どうしてこんな笑顔ができるんだろうと。でも、そんな夫の姿を見ているうちに、腹を括ったのです。

私はできる限り夫を支えることを決意しました。パートの仕事の合間に、彼の会社の事務仕事を手伝うようになり、時には営業に同行することもありました。二人三脚で会社を大きくするために、ありとあらゆる努力をしました。お金の苦労が絶えなかった日々は、思い返せば本当に大変でしたが、あの頃の私たちは、どこか一生懸命で輝いていたような気がします。少しずつ、会社の取引が増え、業績も上向きになっていきました。最初は小さな依頼がほとんどでしたが、信頼を積み重ねていくことで、大きなプロジェクトも任されるようになり、ようやく軌道に乗ることができたのです。収入も安定し、以前とは比べものにならないほど、生活が豊かになりました。あれだけ節約していた頃から、今では好きなものを買えるようになり、家も新しく建て直すことができました。家具も新調し、広いリビングに家族や友人を招くことが増え、笑顔が絶えない日々が続きました。

ただ会社を軌道に乗せ、私たちの生活も安定した頃、私たちはそれぞれが忙しくなり、夫婦の関係は徐々にすれ違うようになっていきました。会社が成長するにつれて、夫はますます仕事に没頭し、家にいる時間が減っていきました。会話も少なくなり、私が何か話しかけても「今は忙しい」「疲れているんだ」といった返事が返ってくるだけ。せっかく安定した生活を手に入れたというのに、心の距離はどんどん広がっていくように感じました。

特に忘れられないのは、数年前のあの時のことです。夫が会社の事業拡大計画について相談してきたとき、私は「もう少し家のことも考えてほしい」と言いました。あの頃、家の中で私一人が忙しさに追われ、寂しさを感じていたからです。ですが、夫は「今が勝負なんだ」とだけ言い、私の気持ちを理解しようとはしてくれませんでした。その言葉があまりにも冷たく感じて、私はつい「じゃあ、私なんて必要ないのね」と怒りをぶつけてしまったのです。

その夜、私たちは大きな口論をしました。夫は「そんなことを言うなら、俺がここまで会社を大きくした意味はなんだったんだ?」と声を荒げました。私も、ついには「そんなに仕事が大事なら、もう好きにして!」と言い返し、部屋を飛び出してしまいました。その後、しばらくの間、私たちはお互いに口をきくこともなく、ただ黙々とそれぞれの生活を送るようになりました。夫婦としての絆がどこか薄れてしまったように感じたあの頃が、私たちにとって一番辛い時期だったのかもしれません。

しかし、一年前に夫が病気で倒れてから、状況は一変しました。急に体調を崩し、病院で診断された結果、深刻な病気だと告げられたとき、私は呆然としました。これまであんなに元気で働き者だった夫が、ベッドに横たわり、日に日に弱々しくなっていく姿を見るのは、とても耐えがたいものでした。彼は会社を息子に託し、私は看病をしながら彼のそばにいることを選びました。もう少し早く、こうして向き合うことができていたらと、何度も悔やみました。

病室の窓から見える景色を眺めながら、夫は「もっと元気だったら、あれもこれもやりたかった」と呟くようになりました。それを聞くたびに、私は胸が締めつけられる思いでした。私たちはあれほどすれ違っていたのに、こうして最後の時間を過ごしているなんて、なんとも言えない切なさがありました。

夫が亡くなる少し前のことです。ある日、静かな病室で、夫はぽつりと話し始めました。「明子、聞いてくれるか。俺はお前にずっと苦労ばかりさせてきたな。あの時、お前が会社の手伝いをしてくれなかったら、俺はきっと途中で投げ出していただろう。本当にありがとうな」

私はその言葉に驚きました。あの夫が、こんな風に素直に感謝を伝えてくるなんて、これまでの彼からは想像もつきませんでした。でも、それだけで終わらず、さらに続けました。「もし俺がいなくなっても、笑っていてくれ。お前の笑顔が俺にとって一番の励みだったんだから」

その瞬間、涙が止まりませんでした。彼はいつも私を気遣ってくれていたのだと、今さらながらに気づいたのです。あの頃、私たちがどんなに大変だった時も、彼が明るく振る舞っていたのは、私に負担をかけないようにという彼なりの優しさだったんだと、ようやく理解できました。「そんなこと、もっと早く言ってくれたらよかったのに…」と、私は泣きながら言いましたが、夫はただ微笑んでいました。

それが、彼と交わした最後の言葉でした。その数日後、夫は静かに息を引き取りました。目を閉じた彼の顔は、どこか安らかで、苦しみから解放されたように見えました。その姿を見て、私は改めて思いました。若い頃、あんなに大変な思いをさせられたけれど、それでもこの人が私の夫でよかったと。どんなにすれ違いがあっても、私たちはやっぱりお互いを支え合って生きてきたんだと感じます。

今、私は一人で家にいます。夫がいなくなったことで、家はとても広く感じます。朝起きて、彼が隣にいないことに気づくたびに、まだ慣れない寂しさが胸を締めつけます。それでも、彼との思い出が私を支えてくれています。若い頃の苦労も、すれ違った日々も、全てがあって今の私がいる。だから、私は後悔していません。

彼が私に言った「笑っていてくれ」という言葉を胸に、これからも私は笑顔で過ごしていきたいと思います。あんなに大変だった日々も、彼と一緒に乗り越えたからこそ、今こうして誇らしい気持ちでいられるのだと感じます。私の夫は、どんな時も明るくて、誰よりも強くて、そして優しい人でした。だから、彼のことを心から自慢に思っています。

そしていつかまた上の世界で彼と再会できる日を楽しみにしていると。その時は、きっとまた二人で笑いながら、これまでの話をたくさんするんだろうなと、そう思いながら日々を過ごしていくつもりです。

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