私の名前はオオツカヨシエ70歳です。
私は狭いアパートで暮らしています。夫や子供がいるわけではないので、狭い部屋でも十分快適に暮らせています。
私は40年以上前、ひとつの家庭を壊してしまいました。いわゆる不倫です。相手は妹の夫でした。当時の私は結婚して束縛されるよりも、自分の好きに生きていきたいという自己中心的な性格をしていたのです。
それなりのお給料がもらえる仕事をしていたので金銭的に余裕もあり、わざわざ家庭に入る意味を見出せませんでした。だからなのでしょう。子供が自分勝手なわがままを言うのと同じように、自分の言うことがすべて受け入れられると考える大人になってしまったのは。
妹は私と正反対で真面目でコツコツとひとつのことを愚直に頑張る人間でした。私から見れば、そんなに真面目にならなくても適度に気を抜けばいいのにと思っていました。
私自身、妹のように何かを頑張る性格ではなかったということ、頑張っている割に私よりも低いお給料の会社しか就職できなかった妹を馬鹿にしている部分もあったのでしょう。
だからこそ妬ましかったのだと思います。
妹が結婚相手を実家に連れてきて幸せそうにしていたことが。私自身若い時から結婚に興味はありませんでした。
だけど、妹が幸せそうな姿を見て、少しからかってやりたくなったのです。似た者同士とでも言うのでしょうか、妹の結婚相手も真面目そうな男性ではっきり言ってつまらない男だろうと思いました。
だけど、略奪するなら下手に遊び慣れている男性よりも真面目一辺倒の男性の方がやりやすいです。
案の定、私が少し粉を掛けたら妹の結婚相手は私の方に揺れてきました。この頃はもう結婚をしていて、妹の旦那になっていたのですけどね。
それから2年ほど不倫関係が続いた時、両親が激怒しながら私の家にやってきました。
ついにバレたかと軽く考えていました。その時、妹は2人目を妊娠していて離婚にはならないだろうと思っていたからです。
だけど妹は自分の旦那の裏切りが許せなかったようで、大変になってもいいから離婚をすると言っていたそうです。妹が離婚をすると言っても私は何も思いませんでした。
「お前のことは娘とは思わない。二度と家の敷居は跨がせないからな」
父親からそう言われましたが、この時の私もまだ軽く考えていました。どんなことがあっても娘は娘、少し反省した素ぶりを見せれば両親も妹も許してくれるだろうと考えていたのです。
だけど、その考えが甘かったことに気づいたのはそれから1年後でした。
ある程度ほとぼりも冷めた頃だろうと実家に戻ったのですが、まさかの実家は更地になっていたのです。
そんな話なんて聞いておらず、頭の中が真っ白になりました。子供の頃から知っているご近所さんも私のことを遠巻きに見ているだけです。その中でよく喋っていたお隣さんを捕まえて何があったのかを聞いたのです。
「あなたが戻ってこられないようにするって言っていたわよ。あなた、妹ちゃんの家庭を壊しても反省ひとつしていなかったんでしょう?」
どこか軽蔑するような視線の中、お隣さんは教えてくれました。
正直、両親がここまでするとは思っていませんでした。今までは私が悪さをしても「次からは気を付けるように」と言う程度で、厳しく叱られた覚えもありません。
「あなたは妹ちゃんの家庭を壊しても反省しなかったから、あなたにとっての家族が壊れるのを実感させると言っていたわよ」
どこに引っ越したのかを聞いても「知らないわ」しか答えてくれませんでした。
私の勘でしかないのですが、きっとご近所さんは知っているけど私に教えないように両親から言われたのだと思います。
役所に相談すればきっと両親の居場所は分かったことでしょう。だけどこの時の私はそんな簡単なことさえ気づかなかったのです。
結局、私は両親の葬儀にも立ち会えませんでした。遺産関係の書類で私のハンコが必要だったから連絡はきたのですけどね。最初に父が亡くなり、その時点で母も入退院を繰り返していると妹から聞きました。
その時点で不倫から20年ほど経っていたので「いい加減に許してくれてもいいじゃない」と母が入院している病院を教えてくれるように頼んだのですが、妹は教えてくれませんでした。
それどころか「あんたに会うとお母さんの病状が悪化しちゃうわよ」と言われて電話を切ったのです。
確かに私は妹の家庭を壊してしまいました。
だけど、ここまで疎遠にされなければいけないのでしょうか。母の年齢的に最後が近いのは分かっていました。
父の最後には間に合わなかったけど、母の最期くらい立ち合いたいと思うのは当然だと思います。
妹から再度連絡があった時にそのことを伝えたのですが「お父さんもお母さんも娘は私ひとりだって言ってたよ。あんたのことはしらないって。昔から迷惑ばかりで本当に汚点だと言っていたよ」と言われました。
両親が会おうとしなかったのは妹が何か吹き込んでいたからだと思っていたのですが、両親の意志だったことが分かってしまったのです。後から分かったことですが、妹は2人目を流産して、それが原因で妊娠できない身体になったそうです。そのため、子供はひとり。
再婚をすることもなく、ひとりで子供を育てていると聞きました。妹の元旦那がどうなったのかは分かりません。ただ、まともに養育費も支払わず、妹は苦労していたのだと聞きました。
そして、更に20年ほどが経ち、今は私もひとりで暮らしています。
私は私で天罰を受けたようなものです。妹の旦那を奪ったことが会社にバレてしまい、出世コースからは外れてしまいましたし、周囲の視線に耐えきれずにやめてしまいました。
それまでお金を稼げば稼ぐだけ使っていたので貯金なんてものがあるはずもなく、生活にも苦労しています。今は微々たる年金で毎日を食いつないでいるようなものです。
妹やその子供がどうなったのか分かりません。
両親が亡くなった後、妹とは一度も連絡を取っていないからです。恐らくもう会うことはないでしょう。
妹の方も私と会いたいなんて思うはずがありません。年齢を重ねてひとりで暮らしているからこそ、今は当時の自分自身が馬鹿だったと思うようになりました。
今も決していい人ではないのですが、今のような一歩立ち止まって考える習慣を当時持っていれば今とは違った結果になっていることでしょう。
いえ、その前に妹の旦那に手を出すなんて非常識なことをしなければ仲は悪くても妹や両親と接する機会はあったでしょう。結局、今の私の孤独は自分自身で招いたものであり、散々家族に迷惑をかけて妹を傷つけた罰のようなものです。
「寂しい……」
ひとりで暮らし続けて、今まで何千回、何万回と言った言葉でしょうか。若い頃の私は、自分が年を取ったら多くの人にかこまれて楽しい日々を過ごすというイメージをしていました。
だけど今の私は誰一人も傍にいてくれる人はいません。家族を苦しめたせいか、私はそれまで持っていた運もなくなったらしく、男性に騙されたりして結婚なんてできませんでした。
当時の私は「結婚したくなったらより取り見取り」と言っていましたが、お金もなく家族を苦しめたという悪評がある女をもらってくれる人などいませんでした。
許される日が来るとは思いませんが、早くこの地獄のような日々から抜け出したい、そう思いながら今日もひとり皮肉にも快適と感じてしまう狭いアパートでひとり過ごすのでした。
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