私の名前は倉石友恵、61歳です。夫の健吾と結婚してから専業主婦で過ごしていました。子供は3人いるのですが、健吾は家事や育児にも協力してくれず、いわゆるワンオペで子育てをしてきたものです。大変だったことは事実ですが、そのことがつらかったというわけではありません。時代的なものもありますが、男は仕事を、女は家庭の仕事をという考えが当たり前だったからです。健吾が仕事をしてお金を稼いできてくれるから、私も子供たちも生活できるのだから、お互いのできる役割で生活をして行けばいいと思っていたからです。
だけど、子供たちが巣立った後に私の気持ちを覆す出来事が起こってしまいました。それは健吾の不倫です。健吾は私にバレていないつもりなのでしょう。出張だとウソをついて、愛人と旅行に行くこともありました。最初はやけに出張が多いなと思ったのですが、次第に仕事がウソであること、愛人と旅行に行っているだけだということが分かったんです。
健吾は上手く隠しているつもりだったのでしょう。だけど詰めが甘いところがあって、宿泊したホテルや旅館の領収書を上着に入れっぱなしにしていることが多かったんです。健吾は大雑把なところがあるので、財布の中もレシートだらけだし、片づけるということが苦手です。だから不倫旅行中もいつものように入れっぱなしにしていたのでしょう。
最初は不倫を問い詰めようかと思ったのですがやめました。不倫を問い詰めて離婚になったところで経済的に困ってしまうのは私です。だったら、このまま気づかないまま放置しておいた方がいいかもしれないと思うようになったのです。実際、健吾自身に離婚の意志がないから愛人を囲っていても私に離婚を突きつけないのだと思いました。離婚になったら子供たちに理由を言わないといけないですし、自分の不倫が原因だと分かったら会えなくなる可能性もあると考えたのではないでしょうか。家族サービスが多かったわけではありませんが、健吾自身が子供たちを大事にしていたことは分かっています。私への愛情はなくなっても、子供たちに対する愛情が残っていたのでしょう。
普通だったら、夫からの愛情がなくなったことに嘆くべきなのでしょうが私自身も健吾のことを「好き」や「愛している」とは言えなくなっていたようです。とりあえず、今と変わらない生活を過ごせるのであれば愛人を囲っていても問題ないと思っていたのですから。
ただ、私が61歳になった時に健吾に思わぬ出来事が起こりました。それは不倫旅行中に交通事故に遭ってしまい、下半身不随になってしまったことです。命は助かったものの、以前と同じような生活は難しいだろうとお医者様からも言われています。定年まであと数年というところで、本当に馬鹿なことをしたものです。自分の夫が交通事故に遭ったというのに、冷静にこんなことを言える私はきっと冷たい人間なのでしょう。下半身不随になり、介護が必要になったことで私の心は決まりました。
「あなた、離婚しましょう」
それは、健吾と離婚をすることです。はっきり言って不倫をしていても以前と変わらない生活が過ごせるのであれば私はこの状況を受け入れることができました。だけど、そこに不倫男の介護という問題がついてくるならば話は別です。ただでさえ、育児も家事も手伝ってくれず、ひとりで頑張り続けていたのにこの先一生を健吾にささげないといけないなんてまっぴらごめんだと思ってしまいました。
「り、離婚だと!?そんなこと認めるはずがないだろう!」
「あなたが認めなくても構いません。私は出ていきますから」
もしかしたらいつかこんなことがあるかもしれないと、私ひとりでも生活ができるような環境は整えていました。今は便利な世の中でネットでハンドメイド作品を売ることができるんですね。私は裁縫とか得意だったのでいろいろと作ったものを出品していました。ありがたいことに私が販売するものはすべてすぐに売り切れるほど人気が出ていたのです。離婚後の財産分与などを考えれば、贅沢さえしなければ普通にひとりで暮らしていくことはできるでしょう。
「俺がこんな身体になった途端に見捨てるというのか……」
「あなたがこれまでしてきたことを振り返ってください。その上であなたは私にこの先の人生すべてを犠牲にしろと言えますか?」
既に子供たちの心も健吾からは離れています。そりゃそうでしょう。不倫旅行中に交通事故に遭うなんて子供からすれば恥以外の何物でもないのですから。
「あなたが不倫をしていても、私の生活が、変わらなければ黙認していてあげようと思いました。でもあなたの介護が必要になって、私はこれまで通りの生活ができるとでも?」
愛人は旅行に連れて行ってもらったりプレゼントをもらったりと至れり尽くせりでした。だけど私は誕生日や記念日にプレゼントどころかお祝いの言葉さえもらっていません。私を冷遇し続けたこの男をどうして介護なんてできるでしょうか。
「ま、待ってくれ、不倫していたことは悪かった。だけど本当に愛しているのはお前だけだよ」
「そんな取って付けた言葉なんていりません。それに私はあなたを愛していません」
愛していないという言葉を聞いて、健吾がひどく驚いたような表情を見せました。自分は不倫をしているのに、私からの愛情がないという事実を知ってショックでも受けたのでしょうか。もしその通りならどこまでも傲慢で自分勝手な男ですよね。
「あなたは愛人と旅行に行ったりプレゼントを渡したりしていたんでしょう?逆に私はお祝いの言葉さえもらえなかった。そんな女に介護を頼るなんて都合が良すぎませんか?」
健吾にとって私はプレゼントやお祝いの言葉すら渡す相手ではなかったということです。それが分かっているのに介護を引き受けるほど馬鹿でもありません。
「あなたと愛人が何年も続いていたことは知っています。それだけ長く続く愛人なら、きっとあなたの介護も引き受けてくれるんじゃないかしら。本当に愛し合っているのなら、ね?」
これ以上の話は無用と思い、私は健吾が退院するまでに新しい部屋を借りて引っ越しました。健吾は離婚に応じないと言っていますが、不貞行為などの証拠はたっぷりあるのでそれを使えば離婚が認められることでしょう。子供たちからは一緒に暮らそうと言われましたが、私はそれを断りました。思えばこれまでの人生、私はだれかと一緒に暮らしていました。だから、もう人生の終わりに向かっているのだから自分の好きに生きてみたいと思ったんです。子供たちには渋られましたが、最終的には私の意見を尊重してくれました。
ひとり暮らしは思っていた以上に快適でした。自分では気にしていないと思っていても、健吾の不倫は私に大きなストレスを与えていたのかもしれません。ちなみに健吾は愛人に介護を頼んだそうですが「無理」の一言でそのまま連絡が取れなくなったと聞いています。自分にプレゼントを渡してくれる相手が突然介護のお願いをしてきたら、そりゃ音信不通になって逃げたくもなるでしょう。現在の健吾は近くに住む健吾の姉に協力を求めて、何とか日常生活を過ごしているようです。ただ、健吾の姉も家庭を持っているので健吾にかかりきりにはなれないでしょう。そのうちどこか施設に入れられることになるのではないでしょうか。家族の愛情を当たり前と思ってないがしろにし続けた結果、家族からも愛人からも逃げられた健吾はこれからの人生で自分がしたことの大きさを痛感することになるでしょう。