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私の名前は大塚智子、60代の主婦です。
子供はふたりおりますが、どちらもすでに家庭を持っております。そのため、普段は年上の夫と二人暮らしです。子供たちが家を出てからというもの、私はふとした瞬間に、夫との出会いや結婚までのことを思い出すことが増えました。
私たちはもともと同じ会社で働いていた上司と部下の関係でした。夫には離婚歴があり、私が入社した時には既に数年が経っていたと聞いています。当時、私が住んでいた地域では離婚歴がある人への風当たりが強く、特に夫のように真面目で仕事ができるタイプには、「家では豹変するのではないか」とか「奥さんに逃げられるくらいだから、相当な性格なんだろう」など、さまざまなうわさが広まっていました。
でも夫はその噂を知りながらも、否定も肯定もしていませんでした。それがまた「本当のことだから否定できないんだ」という悪循環を生み出していたのです。
そんな夫と私が接点を持つようになったのは、近くに出来たプラネタリウムに行った時に偶然出会ったことがきっかけでした。
私は星を見るのが好きで、月に2、3回ほどプラネタリウムに通っていました。会社での嫌なことを忘れられる、静かで落ち着いた空間が好きだったのです。
「キミも星が好きだったんだね」プラネタリウムでばったり会った夫が、少し意外そうに声をかけてきました。話を聞くと、夫もまた星が好きで、時間がある時には山に行って夜空を眺めることが趣味だったそうです。だけど当時は忙しく、手軽に星を見られるプラネタリウムに通っていたのだそうです。
正直、職場ではあまり話したことがなかったので、私は少し緊張してしまいました。そんな私の気持ちを察したのか、彼は「僕の噂を、色々聞いているんだろう?」と、いたずらっぽく切り出してきたのです。
その後、夫は少し困ったように離婚の理由を話してくれました。
「言い訳に聞こえるかもしれないけど、離婚は元妻が浮気したからなんだ」
私は驚きながらも、どうしてそんな噂を否定しないのか尋ねました。すると彼はこう答えました。
「仕事ばっかりで彼女を蔑ろにしてたからね。僕のせいだと思ってるんだよ。だから…ね」
結局は元妻が自分の不倫を夫のせいにしているだけだと察しました。確かに、夫は仕事に対して真面目すぎるほどでしたが、それを理由に不倫をするなんて理不尽だと思いました。まあ元嫁が別れてくれたから私の夫になったんですけどね。
「それでも噂は否定した方がいいんじゃないですか?」そう言うと、夫は寂しそうに笑いました。
「噂好きな人たちって、本当のことなんてどうでもいいんだよ。たとえ元妻の不倫が原因だと言っても、今度は「奥さんに不倫させるほど追い詰めたんだ」って言われるだけだから」
その言葉を聞いて、私は胸が詰まる思いでした。確かにそうだと思います。
それからの私は、そういう場面に出くわしたら、控えめに噂を打ち消すようにしていました。けれど、その結果、今度は私との不倫が原因で彼が離婚したのではないか、という新たな噂が流れ始めたのです。
当時は私が入社する前の話だったにも関わらず、です。その時私は「噂する側にとって本当のことはどうでもいい」という夫の言葉が正しかったと痛感しました。それと同時に、余計なことをしたことで彼に迷惑をかけてしまったのではないかと申し訳なく思いました。
その噂が耳に入ったのか、夫は朝礼の場でびっくりする事件が起きました。それは夫が、いきなり大声で
「噂なんてしょうもないことはするな。俺の離婚原因は元妻の不倫だ。どいつだ噂を流してる奴は!」と怒鳴ったのです。しかも役員たちも参加しているにもかかわらずです。私もびっくりしましました。そしてさらに続き、「智子さんとはプラネタリウムで偶然会っただけだ。そして俺は彼女に特別な感情を持っている。それは誰にも迷惑をかけてないだろ!」と夫はその場で私に対する想いを公言したのです。そしてさらに
「おまえたちの噂が原因で辞めていった人がどれだけいるか、考えたことはあるのか?しょうもないことをするな!」
普段は厳しいことを言わない夫が毅然とした態度で話す姿に、その場の人たちは静まり返りました。その時、役員たちから拍手が上がったのです。夫の叫びがあった以降、会社内の雰囲気が明らかに変わっていきました。
ただ、その出来事の後しばらくして私は会社を辞めることにしました。
それは正式に夫と交際を始めることになったからです。
「辞めなくても大丈夫だよ」と夫は言ってくれましたが、私が上司の恋人だという事実が新たなトラブルを生む可能性を考えると、それが最善の選択だと思えました。新しい仕事に就き、夫との交際が順調に進んだ私は、やっと肩の荷が下りた気持ちになりました。
交際を始めて2年後、私たちは授かり婚という形で結婚しました。
当時はまだ授かり婚に対する偏見があり、両親からは「順番が違うだろう」と叱られましたが、夫が毅然と対応してくれました。
「順番はどうあれ、僕たちはこの子を大切に育てます。それに対して何か意見があるなら、僕が責任を持って答えます」
その言葉に、両親もやっと納得してくれたのです。
現在の私たちは、結婚生活40年を迎えようとしています。アルバムを眺めながら、夫との出会いや結婚生活を振り返ると、感謝の気持ちが溢れてきます。
「どうしたんだい?」夫が不思議そうに話しかけてきました。
「あなたとの出会いのことを思い出していたのよ。噂が立った時、あなたが私を守ってくれたこともね」
「そんなことあったかな」
覚えていないふりをしながら、夫の顔が少し赤くなっているのが分かります。
「あなた、これまで沢山幸せをくれてありがとう。これからもよろしくお願いします」
「あ、改まって何を言っているんだ。そんなことでお礼を言う必要なんてないだろ」
ぶっきらぼうに返す夫の姿が、なんとも可愛らしいのです。
「ねぇ、あなた。今日は一緒の布団で寝ても良い??」
「……あぁ。いいよ」顔をさらに赤くして照れる夫の姿を見ながら、私は心の中で祈りました。
こんな何気ない幸せが、少しでも長く続きますように。そんな風に思える日々が、私にとって何よりの宝物です。
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