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私の名前は田村篤志、61歳になったばかりです。
定年退職を迎え、現在はパートで週3日だけ働いております。仕事一筋でやってきた私ですが、妻は4年前に家を出て行きました。理由は簡単、私の母の介護が嫌だったのです。
「お義母さんの面倒を見る為に私は生きてるんじゃないのよ」
そう言い残して去っていった妻の後ろ姿を、ただ呆然と見送ることしかできませんでした。その時から、私は一人で母を介護する日々を送っています。私が妻に任せっきりで、長年母の面倒を見させていたのが原因です。もっと早くから、妻のSOSに気付いて入ればそんなことにはならなかったのだと思います。
自分でやってみて初めて分かりました。正直、介護は本当に大変です。ですが、ヘルパーさんたちの助けがなければ、私一人では到底やりきれないことばかりです。
今、定期的に母の介護によく来られるのが、大西恵子さんという女性。50代くらいの方で、どこか落ち着いた雰囲気を持つ方です。彼女は母に対してもとても優しく、明るい笑顔で接してくれるので、私にとっても心の支えになっています。
ある日、いつものように母の介護を終えた後、恵子さんと少しだけ話をする機会がありました。
「お疲れ様です。本当にお母様を大事にされていますよね」
恵子さんがそう言ってくれた時、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じました。
「いえいえ、僕なんて全然ですよ。ただ、大西さんのおかげで、何とかやっていけてるだけです」
そんな何気ない会話が、いつしか私の中で特別なものになっていきました。
彼女と話していると、仕事ばかりだった私の人生に、ぽっかりと空いた穴が少しずつ埋まっていくような気がしたのです。
それからというもの、私は恵子さんと話す機会が多くなりました。時には介護が終わった後に、家で一緒にお茶を飲むこともありました。
「こういう仕事って、やっぱりいろいろと大変ですか?」
そう言うと、彼女は少しだけ遠い目をして、「まあ、いろいろありますよ」と呟きました。
その日、彼女が私に話してくれたのは、離婚後に一人で生きてきた話でした。
「でも、人の役に立つって思うと、少しだけ自分の人生が報われる気がするんです」
彼女がそんな風に微笑む姿に、私は心を奪われてしまいました。
それ以降、彼女は仕事としてだけでなく、プライベートでも母の様子を見に来てくれたり、食事を作って来てくれたりと何かと一緒に過ごしてくれました。
ある夜、母が早く眠りについた後、恵子さんと二人で過ごしていると、寂しいもの同士自然な流れで距離が縮まってしまいました。
隣の部屋に母がいることが頭の片隅にありながらも、その時の私は彼女の温もりに救われたかったのかもしれません。
背徳感と安堵が入り混じる中で、久しぶりに男の感情を取り戻しました。
ただ、そんな日々の中で、ある違和感が私の中に芽生え始めました。
ふと気付くと、財布の中の現金が思ったより減っていたのです。最初は「自分の勘違いかもしれない」と思っていましたが、どうにもその感覚が拭えませんでした。
そんなある日のこと。彼女と愛し合った後、私はシャワーを浴びに向かいました。ところが、下着を持っていくのを忘れたことに気付き、慌てて戻ったその時。
目の前の光景に、私は息を呑みました。
恵子さんが、私の財布を手にしていたのです。
「あ……」
彼女は一瞬驚いた表情を見せましたが、すぐにいつもの笑顔を浮かべ、「落ちてたから、テーブルの上に置こうと思ったんです」と言いました。
しかし、その手つきや表情のどこかに、ほんの少し違和感を覚えました。
「そう……ですか」
私はそれ以上何も言えず、財布をそっと受け取りましたが、心の中では疑念が膨らんでいきました。
それから数日間、私は悩み続けました。
「ただの勘違いかもしれない。いや、でも……」
恵子さんの笑顔を思い出すたびに、そんなことをする人には見えないと信じたくなる一方で、財布の中のお金が減っている現実が頭を離れませんでした。
ある日、思い切って小型の監視カメラを部屋に設置することにしました。
数日後、私はついに確認の時を迎えました。
恵子さんが母の介護を終えた後、いつものように二人で過ごし、彼女と愛し合いました。そして私はトイレに席を立ちました。あえて時間を作ったのです。
彼女が帰った後にカメラをチェックすると、そこには、信じたくない光景が映っていました。
彼女が私の財布を開け、中から現金を抜き取っている瞬間が、はっきりと記録されていたのです。
画面を見つめる私の手は震えていました。
「そんなはずはない。あの笑顔が嘘だったなんて……」
信じたい気持ちと、現実を突きつけられた怒りとが入り混じり、胸が締め付けられるようでした。
翌週、私は覚悟を決めて、恵子さんに直接問い詰めました。
「恵子さん、少しお話があります」
そう言って彼女を座らせ、カメラの映像を見せました。
最初は少し驚いた様子を見せた彼女でしたが、すぐに笑みを浮かべ、「あら、ばれちゃったんですね」と軽く言いました。
「これ、どういうことですか?」私が声を震わせながら尋ねると、彼女は平然と言い放ちました。
「相手をしてあげてるんだから、その分くらい良いいでしょ?」
その言葉を聞いた瞬間、私は心の中で何かが崩れる音を聞いた気がしました。
「……恵子さん、本気で言ってるんですか?」
「本気ですよ。だって、田村さんも楽しんでたんでしょ? それくらいの見返りは当然だと思ってたけど」
悪びれる様子もなく答える彼女に、私は何も言い返せませんでした。怒りや悲しみよりも、ただ呆然とするばかりでした。
恵子さんは、そのまま何事もなかったかのように帰っていきました。
家の中に残されたのは、虚しさだけでした。
その夜、私は母の寝顔を見ながら、自分の愚かさを痛感しました。
「俺は、何を期待してたんだろう……」
その後、私は恵子さんとの関係を清算しました。
彼女が去った後、部屋の中には彼女の痕跡も何も残らず、ただ静寂だけが広がっていました。
しかし、不思議なことに、完全に憎むことはできませんでした。彼女の笑顔や優しさが、確かに私を救ってくれた時間もあったからです。
本当は警察に言うべきことなのかもしれません。でもそこまで憎むことが出来ないのです。
正直今でも戻ってきて欲しい。そう思ってさえいます。私は間違っていますでしょうか。