
私の名前は後藤公美子、もう57歳です。
春の風というのは、不思議なものでございますね。
花の香りや日差しのやわらかさよりも、私はなぜか、あのふとした「音」に季節の移ろいを感じることが多いのです。
この朝もそうでした。窓際のレースのカーテンが、ふんわりと舞う音。かすかに、まるで誰かが通ったかの気配のように。
私はその音に気づき、椅子に座ったまま、カップに手を添えながらぼんやりと外を眺めておりました。
夫はすでに出かけておりまして、テーブルの上には飲み残しのコーヒーと、トーストの耳が転がっていました。いつものことです。
夫が家にいてもいなくても、室内の温度は変わらないように思えてしまうのは、私の心が冷えてしまっているからかもしれません。
結婚して、もう30年以上が経ちました。
それなりに喧嘩もありましたが、近年はもう、怒鳴り合うことすらなくなりました。
怒る気力も、訴える勇気も、どこかに置き忘れてしまったのだと思います。ただ、彼の無言の背中を見送って、また一人の時間に戻る。その繰り返し。子どもたちはとっくに独立し、遠くで家庭を持っています。
「お母さん大丈夫?」と気を遣ってくれるけれど、それはたいてい、年末年始か、誕生日くらいのものでございます。
寂しいと思わないように努めていますが、嘘をつけるほど器用な性格でもないのです。
だからこうして、春の風の音にさえ、誰かに呼ばれたような錯覚を覚えてしまうのかもしれません。
その日の昼下がりでした。ベランダで洗濯物を干していたとき、ふと聞き慣れない声が、塀の向こうから聞こえてきたのです。
段ボールを運ぶ音、工具の金属音、そして低く響く男の声。
「ああ、お隣さんにやっと誰か入ったのね」そう思っていた矢先、塀の隙間から一瞬、誰かの姿が見えました。
作業着姿の男性。日に焼けた首筋。腕まくりをした前腕に、うっすらと浮かぶ血管。
それが誰なのか、何をしているのか、そんなことよりも先に、その一瞬の“存在感”に、私は心をとらわれてしまったのです。
夕方、インターホンが鳴りました。
ちょうど夕飯の準備に取りかかろうとしていたところで、手にエプロンの紐を持ったまま出てしまいました。
モニターには、白いシャツを着た男性が映っておりました。作業着姿とは違い、落ち着いた印象でしたが、顔立ちはすぐに一致しました。
「お隣に越してまいりました佐伯と申します。今後ともどうぞ、よろしくお願いします」
その言葉を聞いた瞬間、胸の内がじんわりと熱くなりました。理由は、わかりません。ただ、久しく聞いていなかった種類の声でした。
低く、あたたかく、でもどこか寂しげな響きを帯びていて、その声の音色だけで、私は一歩踏み出したい衝動にかられたのです。
「まあ、ご丁寧に……後藤と申します。どうぞ、こちらこそよろしくお願いいたします」笑顔を浮かべたつもりでしたが、うまくできていたかどうかは自信がありません。どこか照れていたのだと思います。
その日から、私の“音の感じ方”が少しずつ変わりはじめました。
翌朝、ベランダに洗濯物を干していると、ふと隣の家の窓が開き、「おはようございます」と、あの声が聞こえました。
その瞬間、胸の奥がぎゅっと縮こまったような気がしました。
私は軽く頭を下げ、「おはようございます」と返しましたが、声が少し上ずってしまったのは、隠しようもありませんでした。
その日の朝食は、トーストを少し焼き過ぎてしまいました。
夫に「硬いぞ」と言われたとき、「ごめんなさい」と素直に言えた自分が、どこか他人のように感じたのです。
頭の中には、佐伯さんの声が、風に乗って何度も何度も繰り返し響いていたのですから。
佐伯さんと初めて言葉を交わした日から、私の生活は少しずつ色を変えていったように思います。
変わらぬ朝。変わらぬ食卓。変わらぬ夫の背中。
けれど、ふとした瞬間に耳をすませば、隣の庭で聞こえる水道の音、ガレージから出る車のエンジン音、窓の開閉音。
そのすべてが、佐伯さんの気配として私の心に染み込んでくるのです。
直接顔を合わせる機会は、そこまで多くはありませんでしたが、ちょっと様子が見えるだけでも佐伯さんはいつも声をかけてくれました。
たとえば、ゴミ出しの朝。私が袋を両手に抱えて歩いていると、
ちょうど向こうから歩いてきた佐伯さんが、「重そうですね、手伝いしましょうか」と。
「いえ、大丈夫です。これくらい慣れてますから」と、笑って返しながらも、その言葉に救われたような気がして、胸の奥がほんの少し、熱くなりました。
それから数日後のことでした。夫が、めずらしく明るい顔でこんなことを言ったのです。
「隣の佐伯さんと、ちょっと話したんだが、歳も近いし、今度一緒に釣りにいくことになったよ」
私は「そうなのね」とだけ返しましたが、心の中では驚きと、妙なざわつきが混ざり合っておりました。
普段は無口で、誰とも親しくなろうとしない夫が、そんなふうに他人と「出かける」と言うなんて、いつ以来でしょうか。
そして、その翌週の夜。
「なあ、今度うちで呑むことになったから、つまみを用意してくれるか?」夕飯の支度をしていた私に向かって、夫がそう言ったのです。
その一言が、まるで心の奥を直接撫でられたような感覚になり、私はしばらく動けませんでした。
……佐伯さんが、この家にあがる。台所のすぐ横に、あの声が、あの目が、あの存在が座る。
私は胸の鼓動を落ち着かせるのに、しばらく時間が必要でした。
当日、台所は戦場のようでした。定番のだし巻き玉子、鶏のから揚げ、きゅうりと大葉の浅漬け、小さな一口サイズのおでん。
普段の夕飯とは違い、少しでも見栄えがするようにと、丁寧に盛りつけ、何度も味を確かめました。
夫のためではありません。自分でも、それはわかっていました。
佐伯さんは、予定より少し遅れてやってきました。
白いシャツに、薄いベージュのニットを重ね、手には小さな和菓子の詰め合わせを抱えておられました。
「ちょっとしたものですが……奥様もご一緒にどうぞ」
そう言って差し出されたその声に、私は、あの日の春風を思い出しました。
柔らかくて、静かで、でも芯があって、胸の奥まで届いてくるような声でした。
「まぁ、ありがとうございます。嬉しいです」私の声が震えていなかったか、それだけが心配でした。
その夜、夫と佐伯さんはよく笑っておりました。焼酎のお湯割りを手に、くだらない自分たちの昔話に花を咲かせて。
私はひたすら、台所とテーブルを行ったり来たりしておりました。
でも、時折ふと目が合うのです。佐伯さんがグラスを口に運ぶ前、ちらりと私を見るその目に、言葉ではない何かが込められている気がしました。
「美味しいです。本当にお料理上手ですね」夫の向こう側から届いたその言葉に、私は思わず目をそらしてしまいました。
言葉は、時に刃のようです。優しい声で紡がれた誉め言葉ほど、深く刺さってしまうものなのですね。
夫が当たり前のようにいつも食べている料理を、誰かが「美味しい」と言ってくれるだけで、私の存在がやっと肯定されたような気がしてしまったのです。
その夜、佐伯さんを見送ったあと、夫はすぐに寝室へ引っ込んでしまいました。私はひとりで台所を片づけながら、指先に残る佐伯さんの視線の余韻を、ひたすら追いかけておりました。私の心の奥で、何かが既に始まっていたのです。
気づかぬふりはできても、消し去ることなど、もうできませんでした。
それは、ふとしたきっかけでした。夫が風邪をひいたのです。微熱と咳をこじらせて、三日ほど寝込んだでしょうか。
「氷枕変えてくれ」「お茶」と布団の中から呼ぶ声は、病人のものとは思えないほどいつも通りで、私は看病しているというより、気を遣いながら台所に立つだけの存在になっていました。
洗濯物を庭に干している時に、佐伯さんがポツリと声をかけてきたのです。
「ご主人、どうかされたんですか?」塀越しに、やわらかく降りてくるような声が届きました。
「ええ……まあ、大したことはないですけど、ちょっと体調を崩してまして」私がそう言うと、佐伯さんは「そうなんですね、メールの返事が無かったんで。公美子さんもあまり無理なさらないようにしてくださいね。ちょっと顔が疲れていますよ」
その言葉に、私は一瞬、手にしていた洗濯物を落としそうになりました。
「そう見えますか?」笑ってごまかしたつもりでした。でも、顔はきっと熱を帯びていたと思います。
自分でも気づかぬうちに、疲れ切っていたのかもしれません。この日常の疲れ、報われなさ、空白のような寂しさ。それを、誰かがほんの少しでも感じてくれることが、こんなにも救いになるなんて。
その夜でした。夫は早めに就寝し、静寂が家を包みました。
私はひとり、キッチンで余った煮物の味を確かめるように、ゆっくりと器に盛り直しておりました。どうしてか、無性に人の声が恋しかったのです。思い切って、佐伯さんの玄関チャイムを押しました。
理由など、あとづけです。「煮物を多く作りすぎたから、よかったら」と。
佐伯さんは、少し驚いたように眉を上げながらも、「あ、嬉しいなあ」と受け取ってくれました。
「……時間、ありますか?」
その言葉が、どちらから出たのかは、今となってはよく思い出せません。
でも気づけば、私は佐伯さんのリビングに座っていて、湯呑に淹れてもらった緑茶を、そっと両手で抱えておりました。
部屋は静かで、どこか懐かしい香りが漂っていました。木の床、観葉植物、レコードプレーヤーの上に置かれたジャズのジャケット。
そのひとつひとつに、佐伯さんの“人となり”が滲んでいて、私はそれを眺めるだけで、胸が満たされていくようでした。
「久美子さんは、普段からおひとりで、いろいろ抱えていらっしゃるのですね」その一言に、私は堪えていた何かが崩れました。
「……夫は、悪い人じゃないんです。ただもう夫婦とかではなくて、お世話してくれる人なんでしょうね……」
自分でも、どうしてこんなことを口にしているのか、わかりませんでした。でも、佐伯さんは黙って、ただ頷いて、聞いてくれていました。その佐伯さんの“聞く姿勢”が、私には涙が出るほどありがたかったのです。
沈黙のあと、佐伯さんがそっと言いました。
「久美子さんの笑顔は素敵ですよ」私は、言葉を失いました。そんなふうに男性に言われたのは、結婚してから一度も、いえ、生まれて初めてのことだったかもしれません。
「……冗談でも、嬉しいです。ありがとうございます。」私はそう言いながら、目を伏せました。
でも佐伯さんの声は、冗談には聞こえませんでした。むしろ、それは祈るような響きを持って、私の中の長年閉ざされていた扉に手をかけたのです。
次の瞬間、そっと肩に触れたその手の重みは、あまりにも自然でした。拒む理由が見つからず、かといって肯定する勇気もなく。
私はただ、されるがまま、そっと目を閉じました。もう何が起きているのか分かりませんでした。まさかこんな歳てキスをされるなんて。でもこの時の私はもう年齢のことなんて忘れていました。唇に触れたぬくもりは、静かな優しさでした。長い時間をかけて心に積もっていた寂しさが、その一瞬でほどけていくのを感じていました。
もう言葉もありませんでした。胸の奥が熱くなり、何度も背徳感の襲われました。ダメなのに。でも私はもう頭が真っ白でした。気付けば佐伯さんに手を回し抱きついてしまいました。そして泣くつもりなどなかったのに、気づけば涙が頬を伝っていました。
「……公美子さん」私の名前を呼ぶその声が、私を包み込んだ時私は全てを佐伯さんに捧げていました。
隣の我が家では夫が寝ているのに、私は佐伯さんと愛し合っていたのです。
それからというもの、私と佐伯さんの関係は、静かに、でも確実に深まっていきました。
といっても、毎晩会っていたわけではございません。むしろ、言葉にしづらい“距離感”を保ちながら、ほんのわずかな時間を共有するような、そんな不思議な関係でした。
たとえば、夫が町内会の会合で外に出た夜。
たとえば、スーパーで偶然を装ってすれ違った日。
たとえば、夜更け、カーテン越しに佐伯さんの部屋の灯りがまだ点いているのを確認したとき。
私たちは、どこかでお互いのタイミングを探り合いながら、ふとした隙間に身体ごと滑り込んでいくような、そんな日々を過ごしておりました。背徳感の固まりでした。夫に隠れてバレないように佐伯さんに愛される度に、その肌の温かさが、私を女として生きていると実感させるです。
長い年月、夫にも触れられず、女であることすら忘れかけていた身体が、やわらかくほどけていきました。
「こんなに甘える人だと思わなかった」と、佐伯さんが言った夜がありました。私はそのとき、声が出せず、ただ胸に顔をうずめて泣いてしまいました。言葉なんて、もういらなかったのです。
触れ合うぬくもりと、交わす息づかい、それだけがこの世界で唯一信じられる現実でした。
夫は何も気づいていないようでした。むしろ、佐伯さんをすっかり気に入り、「また呑もう」と頻繁に我が家に誘っておりました。
そのたびに私は台所に立ち、お酒の進み具合を見ながら、佐伯さんの横顔を盗み見るのです。
夫と他愛のない話をして笑うその表情が、ほんの一瞬だけ私のほうへ向いたとき、ああ、この人は私の秘密を抱えて、今日も笑ってくれているのだと、胸が締めつけられました。
罪は、重ねるたびに薄れていくものだと思っていました。でも実際は逆でした。心に刻まれる輪郭は、むしろくっきりと、より深くなっていったのです。
——ある夜、私は思いきって言いました。
「佐伯さん、……私たち、このまま続けてもいいんでしょうか」声が震えていました。怖かったのです。
関係を壊すのが、ではなく、この関係がどれだけ自分の支えになっていたかを、自覚してしまうのが。
佐伯さんは、しばらく黙っておられました。それから、私の手をとって、こう言いました。
「……公美子さんが、もうやめようと言うなら、僕は止めません。
でも……僕にとっては、あなたと過ごす時間が、人生で一番、静かであたたかいんです。
こんな気持ちを知ってしまったら、もう何もなかった頃には戻れない」
その言葉に、私は涙をこらえることができませんでした。情けないほど、私は弱かった。
でも、こんなふうに「必要とされている」と感じたのは、何十年ぶりだったでしょうか。
それからも、私たちは変わらず過ごしています。恋人というには遠すぎて、不倫というにはあまりに静かすぎて。
でも私は、今の関係が、とても愛おしいのです。
家には、変わらず夫がいます。今までのように夫と過ごし、その隙間で、佐伯さんとのぬくもりを得ているのです。
いけないことだと分かっていても、あの夜の感触を思い出すだけで、胸が静かに満たされるのです。
人は、どこかで少しだけ、自分を裏切らないと、生きていけないときがあるのだと思います。
いつか夫にばれて私は地獄に落ちるのでしょう。それが分かっているのに私は止められないのです。