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急に妻が優しくなったのです

シニアの恋愛は60歳からチャンネル様シニアの話
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あの夜、私は十五年ぶりに、妻と肌を重ねました。まさか、こんな日がまた訪れるとは全く思ってませんでした。長く連れ添っていると、そういうことは自然と遠ざかっていくもので、私自身、いつしかそれが当たり前になっていました。

けれどその夜、布団の中で祥子が私の名前を呼んだのです。

「栄一さん」妻から名前で呼ばれるなんていつ以来でしょう。子供が生まれてからはずっとお父さん。孫が生まれてからはいつのまにか家でもじいじを略してじい。なので名前で呼ばれた瞬間、私は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じました。

祥子は、そっと私の手に自分の手を重ねました。それだけで私はドキドキしていました。え?今から始まるのか?いいのか?そんなことで頭がいっぱいになりました。祥子の顔を見つめていると、あぁ、これは本気だと思い、私は意を決して肩を引き寄せ、そっと体を合わせていったのです。

妻の髪からは、懐かしい石けんのような香りがしました。若い頃、祥子が使っていた香りです。あの頃のことを思い出しながら、私はゆっくりと彼女の背中に手を回しました。少し背中が大きくなっていました。もちろんそんなことは言えませんがね。でも妻は年の割には体形をキープしていると思います。私が言うのも何ですが、かなり若く見えると思います。久しぶりに触る妻の体は心なしか震えている気がしましたが、私はもう我慢は出来なくなっていました。

パジャマの下から差し入れた手のひらが、祥子の肌に触れたとき、やわらかく、あたたかくて、こんな歳でこんな風になっているのが不思議でした。私たちは、戸惑いながらもごく自然に身体を重ねていきました。最初はうまく出来るか戸惑いもありましたが、祥子も積極的に動いてくれたことで、焦ることもありませんでした。妻の吐息が私の頬をくすぐった時、私の感覚も若い頃のようによみがえりました。

そして、ゆっくりと体を繋いだその瞬間、妻の体は喜んでいるのがわかりました。もちろん若い頃のように激しくなんてありませんが、それでも愛し合うって良いなと改めて思わせてくれました。

終わった後も私はただ、黙って祥子の背中を抱きしめ、彼女のぬくもりを感じていました。十五年という歳月が、私たちの間に静かに降り積もっていたこと。そして、その積もった雪が、今夜ようやく溶け始めたことを、私は確かに実感していました。

 思えば、ここ最近の祥子は、ずいぶんと様子が変わっていました。

昔のように料理に手をかけ、私の好物を食卓に並べてくれたり、散歩に誘ってきたり、名前で呼んできたり。あんなに冷たかったわけではありませんが、ここ十年ほど、どこか距離を感じる関係だったのです。

初めてそれに気づいたのは、祥子が妙に明るい柄のワンピースを着ていた日でした。

「どうしたんだ、その服」とは言えませんでしたが、どこか照れているような表情をしていたのを覚えています。

下着まで、以前と違うものをつけているのを見かけたときは、さすがに動揺しました。でも、嫌な気持ちではなく、むしろれしかったのです。何か良い事でもあったのかなとそう思っていました。

ある日、夕食のあとに祥子が涙を見せました。

テレビを見終えたタイミングでした。祥子がぽつりと、こう言ったのです。

「友達が、急に離婚したのよ」

驚いて顔を向けると、祥子は静かに、そして堰を切ったように話し始めました。

その友人は、長年連れ添ったが定年し、さあこれからという時に夫が亡くなったそうです。後悔ばかりが押し寄せてきて、「もっといっぱい出来ることがあったのにと」と泣きながら言ってたそうなんです。

祥子は、その話を聞いて、自分のこれまでの態度を恥じたのだと打ち明けました。

「私もね、ここまで頑張ってくれたのに優しく出来てないなって思って…あなたがいるのが当たり前で、感謝も伝えないまま……それが当たり前になってた」

彼女の声が震えていました。私は何も言いませんでした。頭の中で、これまでの日々をひとつずつなぞっていたからです。

怒鳴られたわけでも、罵られたわけでもありません。けれど、確かに“寂しさ”という名の隙間は、私の中にあったのです。

といっても、そこまで嫌な思いはしていなかったのですが、それが最近の、あの変化だったのでしょう。

「ばかだなあ、おまえは」

私がそう言ったとき、祥子はぽろぽろと涙をこぼし、そしてその夜、私たちは、長い眠りから覚めたように、静かに、そして確かに、また夫婦の夜が復活したのです。

 朝、目を覚ましたとき、私はまだ夢の中にいるような気分でした。横を見ると、祥子が穏やかな寝息を立てて眠っていました。薄いカーテン越しに差し込む朝の光が、彼女の髪にやさしく触れていました。

昨夜、あんなふうに体を重ねたのは、本当に十五年ぶりでした。年齢のせいもあり、決して軽々と動けるわけではありません。息も上がるし、少し関節が軋む感じもありました。けれど、それでも私はあの夜、自分の中に何かが戻ってきたような気がしたのです。

身体の奥に沈んでいた、男としての自信。そして、それ以上に、ひとりの人間として妻とつながっているという確信。

何よりも、祥子の表情が変わっていたのが嬉しかったのです。何かを解き放ったような、やわらかい目をしていました。

長年、心のどこかに溜めていた澱のようなものが、流れていったのかもしれません。

それはきっと、私の中にも同じようにあったのだと思います。

起き上がり、台所に立って湯を沸かしていると、寝室の方からかすかな気配がしました。祥子が目を覚ましたのでしょう。私は何も声をかけず、そっとコーヒーを淹れました。やがて、パジャマのままの祥子が、ぼんやりとした顔でキッチンに入ってきました。

その姿を見て、私は思わず微笑んでしまいました。

なんでもない、よくある朝。だけど、それがどれほどありがたいことか、昨日の夜を経て、私は初めて実感したのです。

それからの数日間、私たちは以前と変わらない日々を送っていました。けれど、ほんの少しだけ、何かが違っていました。

食卓で顔を合わせたときの空気。洗濯物を取り込むタイミングが重なったときの笑い。

風呂あがりに差し出される冷たい麦茶の優しさ。

それらすべてが、以前より少しだけやわらかく、温かいものでした。

そして私はその変化に、気づかぬふりをしながら、胸の奥でそっと噛みしめていました。

ある日、祥子が私の隣に腰を下ろし、恥ずかしそうに小さな声でこう言ったのです。

「ありがとうね、栄一さん。また今度もしてね」

今からするかと冗談ぽく言うと、「もう」と言いながら洗濯物を干しに行きました。

それだけで十分でした。言葉ではうまく伝えられない思いのほうが、世の中にはきっと多いのです。

それから、私たちは週に一度、近所の川沿いの道を散歩するようになりました。手をつなぐことは、最初は恥ずかしかったけれど、次第に当たり前になっていきました。彼女の手は少し冷たくて、でもしっかりとした温もりを持っていました。

ふたりで歩く時間は、いつしか私の一番の楽しみになりました。

十五年という時間を飛び越えて、もう一度、妻と恋を始めたような気持ちです。

恋と呼ぶには少し照れくさいけれど、でも確かに、私は今、妻に惚れ直しているのです。

これから先、また日々に慣れて、少しずつ惰性が顔を出すかもしれません。

けれど、あの夜のことを私は忘れません。

祥子が泣きながら抱きついてきたときの、あの細い背中の震え。

長年の夫婦だからこそ、もう一度つなぎ直せる絆がある。

それを教えてくれたのは、ほかでもない妻自身でした。

今日も、彼女は朝の支度をしながら、私の名前を呼びました。

「栄一さん、朝ごはんできてるわよ」

その声に返事をしながら、私は少しだけ胸を張って椅子に向かいます。

十五年前のことを笑い話にできる日が来たら、それはそれで幸せです。

でも、今はこの小さな日常のなかで、もう一度手に入れた“夫婦”という言葉を、できるだけ大切に守っていきたいと思っています。

妻が微笑んでいてくれるかぎり、私はそれでいいのです。

それ以上のことなんて、もう望んでいません。

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