PR

私は生贄

いつまでも若く恐怖

「博美、申し訳ないが中川家に嫁いでくれるか?」父が深いため息をつき、私に頭を下げた。その瞬間、私の心は凍りつき、世界が崩れ落ちるような感覚に襲われた。長い沈黙の後、私は小さく息を吸って言葉を紡いだ。
「…うん。わかった。もうどうしようもないんでしょ?」

私は半年前まで、10年付き合って同棲していた彼氏がいた。そろそろ結婚をと考え始め、それとなく結婚の話を彼氏にした瞬間、彼から「結婚することは考えられない」と告げられた。一度そういうことを伝えると、二人の関係が上手くいかなくなり、結局別れることになってしまった。私は失意の中、仕事も辞め実家に戻ることになり、父の仕事を手伝い始めたのだった。

 私の実家は江戸時代から続く和菓子の製造企業で、従業員30名ほどの小さな会社だ。創業二百年を超える歴史があるのだが、このご時世では売り上げも厳しいらしく、外から見ていても年々経営は厳しいのだろうなと思っていた。前職が経理職だった私は、父の会社でも経理を手伝い始めたのだが、調べれば調べるほどすでに倒産寸前で自転車操業なのは明らかだった。

「お父さん、もう会社をたたんだ方が良いんじゃない?正直これ以上は難しいと思うよ」
「あぁ、分かってる。でもダメだ、今潰したら従業員はどうなる?ご先祖様にも顔向けできないだろう」
父は悲痛な顔でそうつぶやく。
「そうは言っても、もう銀行もお金貸してくれなかったんでしょ?」
「あぁ。だから今度中川さんの所に相談に行ってみようと思う」
「だからもうちょっとだけ待ってくれないか」

中川さんとは、うちの商品を全国に卸してくれている仲卸の取引先で、主要な売り上げ先だった。さらに餡や小麦などの主要な仕入れ先でもあった。祖父の代から続く四十年の付き合いで、正直その販路が無ければ経営は成り立たなかった。父の会社は売上も仕入れも完全に中川家に依存している状態だった。

後日、中川さんの所に融資の相談に行っていた父が帰ってきた。
「お父さん、どうだったの?」
「あぁ、融資してもらえることになったよ。ただ…」
父が中川の会長に相談に行ったところ、売上対策などの細かな条件はあったが、融資自体にはOKが出た。しかし、その次の言葉が問題だった。私を嫁として欲しいと、中川家に入って欲しいと要求されたそうだ。

「え?何を言ってるの?」驚きと困惑が私の心を支配した。 父は私に頭を下げ、
「博美、申し訳ないが中川家に嫁ぐことは出来ないか?」そう言う父の声は、かすかに震えていた。
「前の彼とはお別れしたんだろ?でもお前がどうしても嫌なら断る。」
二人の間に沈黙が流れる。 どれくらいの時間が経ったのだろう。
「うん、わかった。もうどうしようもないんでしょ?」
私はもう結婚のことは諦めていたのもあり、さらに私が嫁ぐことで父を助けることが出来る。
結果こうするしか方法が無いような感覚に陥り、結局私は受け入れることにした。
聞くと、中川会長には40歳の息子、孝也さんがいるそうだ。どんな人かもわからないまま、私は父を助けるために中川家に嫁ぐことになった。お互い年を取っているということで、式を挙げることもなく私が中川家にそのまま入るだけで良いそうだ。不思議だったのは、一度も顔を合わせていないまま、嫁入りする前日を迎えていた。

「お父さん。私、行ってくるね。今まで男手一つで私を育ててくれてありがとう」と感謝すると、
「博美、本当にすまないな」と父は声を出し泣いていた。
「お父さん、もう泣かないで。私、大丈夫だから」 父が号泣しているのを見ると、なぜか私は冷静になり、父を助けられて良かったなという気持ちと、孝也さんがせめて優しい人でありますようにと願っていた。

嫁入り道具もいらないとのことだったので、着替えと必需品だけを持って中川家まで父に送ってもらった。
「お父さん、本当にありがとうね。」と父に挨拶するも父は泣いたままこちらに振り向きすらしない。
するとその時会長と息子の孝也さんが出てきてくれた。
「あっ、これからお世話になります。博美と申します。よろしくお願いします」と挨拶をした瞬間、父は何も言わず車を出して行ってしまった。
「良く来てくれたね、さあさあどうぞどうぞ」と荷物を持ってくれ二人は家の中に案内してくれた。
初めて会った二人はすごく優しそうな人たちだった。 その後、家を案内され、彼らは豪勢な食事で私を迎え入れてくれた。お酒も勧められ、お互いの緊張が解け出した頃、孝也さんからの言葉を聞いた時、私は絶句しお箸を落としてしまった。
「義母さん。これからよろしくね」
(え?義母さん?何を言ってるの?)意味が分からずパッと会長の方を見ると、
「わしも若い奥さんをもらえて嬉しいよ」とにこやかに笑っていた。

その時、私は初めて理解した。 あぁ、私は生贄にされたのだと。
父は知っていたけど私には言えなかったのだ。胸の中に冷たい不安が広がり、先の見えない未来が私を包んでいく。 ああ、このまま私はどうなってしまうのだろう。

YouTube

タイトルとURLをコピーしました