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置いて行ってしまったあの人

シニアの恋愛は60歳からチャンネル様シニアの話

病室の薄暗い蛍光灯の下、夫の手が冷たく硬くなっていくのを、私はただ見つめていました。体温が消えていく瞬間、何か大切なものが私の中からも一緒に消えていくような気がしました。私は千代子、64歳です。5年前に夫を亡くしました。彼は5歳年上で、胃がんを患い、胃の全摘出手術を受けてから5年間、痛みと闘いながらも生きてくれましたが、最後は肺に転移してしまいました。冷たくなった夫の手の感触を、今でもはっきりと覚えています。あの瞬間、私の心もぽっかりと穴が空いたように感じて、そこから何かが流れ出してしまったようでした。

それからの毎日が空っぽで、時間が止まってしまったかのように感じます。夫がいなくなった家は広すぎて、どこにいても寂しさが押し寄せてきます。テレビの音だけが虚しく響くリビングで、いつの間にかひとりごとをつぶやいてしまうのです。「おはよう」「ただいま」誰もいない家に話しかけることが習慣になってしまいました。寒い日には「今日は寒いね」と夫に語りかけるように、声が出てしまいます。そんな様子を見ていた娘が「お母さん、最近よくひとりごとを言ってるけど、大丈夫?」と心配そうに言いました。認知症の兆候ではないかとまで言われて、正直ショックでした。自分ではそんなつもりはないのに、寂しさが無意識に言葉になっているのでしょう。「私はまだしっかりしているのに」と思っても、娘の言葉が心に引っかかってしまいます。

夫は生きていた頃、さまざまな事業に手を出していました。成功したこともあれば、失敗して借金を抱えたこともあります。その影響で、今の私の年金は月に9万円ほどしかありません。贅沢なんてとてもできません。朝はご飯と味噌汁に漬物だけのおかず。スーパーでおかずを増やそうと思っても、値段を見てはため息をついてしまいます。特売品ばかりを探してカゴに入れるのが習慣になってしまいました。昔は少し高くても好きなものを買えたのに、今の環境は自分がとても情けなく感じてしまいます。

家の中も、使うのは私の居場所だけ。リビングの片隅の椅子に座って、テレビをぼんやりと見て過ごす時間が増えました。夫が座っていたソファは、そのままの形で残っていて、私はどうしてもそこに座ることができません。あの場所は夫のものでした。洗濯物も私ひとり分だけ干して、少しの洗濯物が風に揺れるたびに、私はこの世界に取り残されているような気持ちになります。

生活費を稼ぐために、週に3回、近所のスーパーでパートをしています。レジ打ちの仕事は体力的には楽ですが、若い同僚たちとの会話はほとんどありません。みんな忙しそうにしているので、あまり話したりもしません。たまに雑談が始まっても、上辺だけの会話に笑顔で相槌を打つだけでした。そんな自分に「私もこんなに歳を取ったんだな」と感じてしまいます。休憩中、一人でお弁当を食べていると、どうしても夫がいた頃のことを思い出してしまいます。「あの頃はまだ楽しかったのに」と心の中で呟きながら、ご飯を口に運ぶと、涙が込み上げてきそうになるのを必死でこらえます。

家に帰ると、また静けさが広がります。夕食の準備をしても、食べるのは私だけ。娘が孫を連れて遊びに来てくれると、一瞬だけ家が賑やかになりますが、それもほんのひとときです。帰り際、娘が「一緒に住もうよ、お母さん」と言ってくれた時、心のどこかで「迷惑をかけたくない」と思ってしまいました。「お母さん、私たちと一緒に住めば寂しくないし、何かあったらすぐに助けられるから」と娘は言ってくれますが、私はまだ一人で頑張りたいという気持ちがあります。娘たちに甘えたくない気持ちもあって、義理の息子と一緒に暮らすことを想像すると、やはり自分のペースを守りたいという思いが強くなるのです。

毎月の年金支給日が来ると、少しだけ心が弾みます。郵便局でお金を引き出して、家計簿に記帳するのが日課です。少ない年金でも、何とかやりくりしてきましたが、残されたお金の少なさに改めて不安が募ります。「もう少し計画的に生きていれば…」と後悔することもありますが、今さら何を言っても仕方がありません。夫が好き勝手に生きたのも、あの人の生き方だったんだと、今はそう思うようにしています。

そんな日々の中で、少しでも寂しさを紛らわせようと手芸を始めました。昔、娘が小さい頃に作ったワンピースや、夫のために編んだセーターを思い出しながら、今は自分のためだけに針を動かしています。出来上がった作品を眺めても、誰に見せるわけでもなく、ただ自己満足で終わります。それでも手を動かしていると、少しだけ心が落ち着くのです。「この時間が、無駄じゃないと思いたい」そんな思いで、毎日針を持っています。

ある日、家の整理をしていたら、古いアルバムが出てきました。結婚したばかりの頃の私たちの写真です。そこには、若くて笑顔の私と夫が写っていました。未来に希望を抱いて、これからの人生を楽しもうとしていたあの頃の自分が、今ではこんなにも孤独を感じているなんて、誰が想像できたでしょうか。写真を見つめているうちに、涙がポロポロとこぼれてきて、あの頃に戻れたらどんなにいいだろうと、無理な願いを心の中で何度も繰り返しました。

最近、庭の隅に小さな畑を作ることにしました。スーパーで買った苗を植えて、水をやるのが新しい日課になっています。土を触るのは初めての経験で、夫がいた頃は全く興味がなかったのに、今ではこの小さな畑が私の生きがいになりつつあります。少しずつ芽が出て、花が咲く様子を見ると、心がほっと温かくなるのです。この小さな畑が、私にとっての小さな希望の象徴なのかもしれません。畑をすることにより野菜をプレゼントしたり、おかずを頂いたりと、少しだけご近所さんとのやり取りが増えました。今は人とのつながりがすごく幸せに感じます。

皆様は人生に悔いや後悔はありませんか。私はこれからの年金生活を夫とふたりでどう過ごしていけるのかなと思っていた矢先に夫を失ってしまいました。旅行にいつか行こうね。あそこで食事しようね。そのように、今出来ることは、今、計画を立てておいてくださいね。未来は安定のバラ色ではありません。今行動しておかないと私みたいに後悔することが増えてしまいますので、皆様は後悔の無いように動いてくださいね。最後になりますが、私のこんなつたないお話でも少しはお役に立てたらと願っています。

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