
私の名前は菅野真理子、61歳です。夫とは2年前に突然のお別れをしました。真面目で責任感が強い人で、仕事に全てを注ぎ込むような人でした。あの日も、いつものように出勤したあと、次に会ったのは冷たくなった夫でした。突然倒れ込むように会社で倒れたようです。もう二度と話すことはできませんでした。
その後会社からは退職金に加えて、何やら多めの金額が振り込まれました。明言はされませんでしたが、きっと夫の死因を過労死とされたくなかったのでしょう。その対応がかえって透けて見えて、やるせない思いだけが残りました。もっと休ませてあげればよかった、無理をさせなければよかった。そんな後悔が、今でも胸の中にあります。
息子たちは、そんな私を気遣ってくれていますが、上の子は北海道、下の子は東京で働いていて、顔を合わせる機会はほとんどありません。たまに電話がかかってきても、ゆっくり話す機会はなかなかありません。「母さん、元気にしてる?」と聞かれるたびに「大丈夫よ」と答えながらも、孤独を感じてしまいます。
そんな時、地域の広報誌で「スマートフォン講座」の案内を見つけました。息子たちからLINEで写真やメッセージが送られてくることが増えたのですが、操作に困ることも多くて……。「これができるようになったら、息子や孫たちとももっと話せるかもしれない」と思い切って申し込んでみました。
講座当日、会場に入るとすでに多くの人が集まっていて、賑やかな雰囲気に少し気圧されました。久しぶりに新しいことを始めるというだけで、心がどこかそわそわして落ち着きません。それでも、空いていた席に腰を下ろし、周りの会話をぼんやり聞いていました。
その時です。隣に座っていた男性が、不意に話しかけてきました。
「お一人ですか?」私は驚きながらも思わず頷きました。すると、彼は少し恥ずかしそうに「僕も一人で来たんです。なんだか誰とも話せなくて、つい声をかけてしまいました」と笑いました。
その人は久志さん、66歳だそうです。話してみると、若い頃に離婚し、男手一つで息子さんを育てたそうです。「暇だから、スマホでも覚えようかと思って」と、少し照れたように笑う彼の顔に、どこか親しみを感じました。
講座の間、先生の話に耳を傾けながらも、私はどうしても隣の久志さんが気になってしまいました。休憩時間には、「息子さんは、どちらに住んでいるんですか?」と聞かれ、「上の子は北海道、下の子は東京です」と答えました。すると彼は「遠いね。寂しくない?」と優しい声で尋ねてくれて、その言葉に思わず「そうですね」と答えてしまいました。
講座が終わった後、自然と「お茶でもどうですか?」という話になり、近くのカフェに寄ることにしました。お互い初対面とは思えないくらい話が弾みました。久志さんは「仕事ばかりで、息子には寂しい思いをさせたんじゃないかと思う」と語り、私も「夫が同じように仕事人間でした」と応じました。不思議と、共通する部分が多いのです。
その日を境に、久志さんとは定期的に会うようになりました。ただお茶を飲んで話すだけですが、私にはその時間がとても大切なものに思えました。
久志さんとお茶をする日が増えるにつれて、私の中で彼の存在が少しずつ特別なものになっていきました。会話の内容は他愛のないことばかりですが、なぜか久志さんと話していると心が穏やかになり、楽しいと思えるのです。彼もまた、私と同じ気持ちでいてくれているようでした。
そんなある日、久志さんが、これまでとは違う真剣な顔つきで言いました。
「真理子さん、少し大事な話があるんです」
カフェの静かな空気の中、その言葉に私の胸が一瞬高鳴りました。どうしたんだろうと彼の顔を見つめていると、久志さんは少し緊張した様子で続けました。
「もし良かったら、僕と結婚していただけませんか?」
その言葉に一瞬、時間が止まったような感覚に陥りました。まさかそんな話をされるなんて思ってもいませんでした。久志さんはさらに言葉を続けます。
「この年齢になって、こんなことを言うのは恥ずかしいし、迷惑かもしれない。でも、真理子さんと過ごす時間が本当に大切で……これからも一緒にいられたらと思うんです」
その言葉には誠実さがあふれていて、私は胸が温かくなるのを感じました。少し照れながら「ありがとうございます」と返し、続けて「私で良ければよろしくお願いします」と言葉にしました。久志さんの表情がほっとしたように緩み、その姿を見て、私も自然と笑顔になりました。
結婚を考えるにあたって、現実的な問題も浮かび上がりました。それは、お互いの家をどうするかということです。私の家には亡き夫との思い出が詰まっており、簡単に手放す気にはなれませんでした。久志さんも同じように、息子さんと一緒に住んでいた家を大事にしていました。
「息子たちに相談してみます」と私が言うと、久志さんも「僕もそうしてみます」と頷きました。息子たちは意外にも「再婚にも賛成で、新しい家で生活すればいいじゃん」と背中を押してくれました。その言葉に勇気をもらい、私たちは一緒に住む中古の家を探すことにしました。
そんなある日、久志さんが、少し言いにくそうに切り出しました。
「真理子さん、ひとつだけ……話しておきたいことがあります」
その真剣な表情に私も身構えました。すると、彼は少し目を伏せながら続けました。
「実は、もう男としての役目は果たせないと思うんです。情けない話だけど……結婚する前にちゃんとお伝えしておきたくて」
その言葉に、一瞬驚きはしましたが、それ以上に彼の誠実さに心を打たれました。私は微笑みながら答えました。
「そんなこと、気にしないでください。私はただ、久志さんと一緒にいられるだけで十分なんです」
彼はホッとしたように微笑み、「ありがとう」と小さな声で言いました。その姿を見て、私もなんだか胸がじんわりと温かくなりました。
新しい家を決め、引っ越しの準備が進む中で、「還暦過ぎて花嫁支度なんて…」と思わず自分で笑ってしまいました。荷物をまとめながら、夫の写真に向かって「ありがとう」と心の中でつぶやき、新しい人生に向けての覚悟を固めました。
新しい家での生活は、これまでの一人暮らしとはまったく違いました。久志さんとの日々は、特別なことがなくても穏やかで温かいものでした。家具を選び、一緒に部屋を整えながら少しずつ「二人の家」を作っていくその時間が、何よりも愛おしいものでした。
「こんな風に誰かと一緒に生きることができるなんて、想像もしなかったよ」と久志さんが言った時、私も心の底からそう思いました。この歳で新しい幸せを見つけられたことに感謝しながら、これからの日々を静かに、穏やかに過ごしていきたいと思います。
いかがだったでしょうか。年齢なんて関係無いですよね。素敵な出会いだなと思いました。皆様にも素敵な出会いはありますか?良ければコメント欄にて教えてくれると嬉しいです。それではまた。