
義父が亡くなりました。10年以上前から認知症が進行していて、今は誰が誰だか分からないまま、静かに施設のベッドで息を引き取ったそうです。夫の生家、かつて私が“嫁”として通ったこの家。正確には義父がひとりで暮らしていた古い日本家屋。今では埃の匂いがしみつき、ところどころきしむ廊下の音さえ懐かしく感じられます。
仏壇の前に置かれた花の香りが、やけに強く鼻に残っていました。
家の中は親族のざわめきが一通り過ぎ去ったあとの静けさに包まれていて、私の心の中にも、長いこと閉じ込めていた何かが、ふっと息を吐いたような感覚がありました。
「ようやく……終わった」そんな言葉が、心の奥底から湧いてきました。誰にも聞かれないように、口には出さず、ただ自分の胸の中で繰り返す。言ってはいけないと思いながらも、どうしようもないほど、安堵している自分がいました。
夫は台所のほうで誰かと話しています。私はひとり、居間の柱にもたれながら、ぼんやりと天井を見上げていました。
そうしていると、思い出がどんどんと浮かんできます。まるで、もう開かないはずの古い引き出しが、湿った音を立てて勝手に開いてしまうような、そんな感じでした。思い返せば、初めてこの家に来たのはもう30年以上も前のことでした。
あのとき私は夫とは結婚前。正式に挨拶をするために訪れた、まだ若かった頃の私。
夫は緊張と高揚のせいか、義父に勧められた日本酒を断りきれず、すぐに顔を赤らめて布団に倒れ込んでしまいました。
私はというと、義母が早くに亡くなっていたこともあり、家事の手伝いなどをしながら義父としばらくふたりで過ごすことになったのです。
あの夜の、障子から漏れるぼんやりとした明かり。
座敷の隅に置かれた灯油ストーブの匂いと、義父が手酌で酒を注いでいた湯飲みの音。
思い出したくないのに、はっきりと思い出してしまう。
誰にも言えなかったこと。夫にも、友人にも、誰ひとりとして。まるで自分が悪いことをしたかのように、恥をかかされたように、私はその記憶を胸の一番奥に押し込んで、生きてきたのです。でも今、その義父がいなくなった家で、私はやっと、息ができるような気がしているのです。ようやく、心が動いてもいいと思えるような。あの夜のことを、私はずっと封じ込めてきました。けれど、人の記憶というものは、封じ込めれば封じ込めるほど、やがてゆっくりと形を変えて浮かび上がってくるようです。まるで、湿った木の節目に滲むように、気づけば匂い立っている。
そのとき、夫は酔いつぶれて先に眠ってしまっていました。義父は私に何か手伝わなくていいかと声をかけてきて、私は台所で片付けをしていました。義父は静かな人でしたし、まさか。そう、まさか、なんてことが自分に起きるなんて、思ってもいませんでした。背後から感じた気配は、妙に近くて、でも、私は振り向けませんでした。
次の瞬間、肩に触れる指先があまりに静かで、逆に全身が硬直したのを覚えています。
「博美さんは、きれいだね」その声は妙に落ち着いていて、だからこそ、私の恐怖は深くなりました。
やめてください。心の中では、何度も何度も叫んでいたはずなのに、声は喉の奥に引っかかったまま出てこなかった。
義父の手は私の肩を伝い、背中、腰へと回り込んできました。
私は抵抗しました。両手で突き飛ばそうとしました。でも、義父は驚くほど力強く、片腕だけで私の動きを封じてしまいました。
「声を出したら、どうなると思う?」その囁きに、私は凍りつきました。
すぐ隣の部屋では、夫が眠っている。もし声を上げて、駆けつけてきたら。そう思った瞬間、私は声を上げることすらできなくなったのです。
押し込まれるように畳に引き寄せられ、義父の息が耳元にかかるたび、私の体は硬直しながらも、どこか熱を帯びていくのを感じてしまっていました。こんな状況で、なぜ――なぜ体が反応してしまうのか。羞恥と恐怖と、混乱のなかで、私は自分が崩れていくのを止められませんでした。
心は嫌がっているのに、体が反応してしまっていました。乱暴に押さえつけられるその感触に、否応なく女としての奥がうずきはじめているのを、私ははっきりと自覚してしまったのです。あの夜、私は泣きませんでした。泣けば、自分が壊れてしまいそうだったから。私はただ、夜が明けるのを待つように、すべてをやり過ごしました。
それからです。私と義父の関係が続くことになったのは。
最初のあの夜から、次の帰省、そしてまた次の帰省。夫は必ず酒に酔って眠ってしまい、私は何も言えないまま、義父と体を重ねるようになっていきました。
恐怖だったはずの彼の手が、いつの間にか、体を思い出させる感触に変わっていた。
理性では何度ももうやめようと思っていたのに、帰省が近づくたび、私は鏡の前で下着を選んでいる自分に気づくようになっていました。
夫はもともと淡白な人で子供も欲しがりませんでした。
なので、女としての自分を、あの人にしか感じさせてもらえなかった。
誰にも打ち明けられない、その事実がまた、私を縛っていたのです。
40歳を過ぎた頃、急に義父との関係が無くなりました。
何かあったわけではありません。ただ、あの人の視線がどこかぼんやりとしていて、手を伸ばしてくることもなくなっていったのです。
最初は、少し安心する自分がいました。
「これで終わるのかもしれない」でも、それと同時に、どこか胸の奥でぽっかりと穴が空いたような感覚もあったのです。
私はいったい、何を求めていたのだろう。あれほど心では拒みながら、なぜ義父に抱かれるたび、自分の体が深く安堵していたのか。
その矛盾を抱えたまま生きるには、あまりにも時間が経ちすぎてしまっていました。
関係が始まってから十数年。私は一度も、「好き」という感情を持ったことはありません。
ただ、あの人の腕の中にいるときだけ、自分が“女”でいられた。
嫁でも、妻でも、母でもない、生身のひとりの女として、熱を持てる場所があった。それが、すべてだったのです。
義父が70歳を迎える頃、はっきりと認知症の兆しが出はじめました。最初は「物忘れがひどくなった」と夫が笑っていた程度でしたが、
しばらくすると、私の名前すら思い出せなくなり、会話もかみ合わなくなっていきました。
施設に入れたのは、夫と義兄たちの決断でした。その頃には、私とのことはすっかり覚えてはいないようでした。むしろ、ほっとしたのです。
このまま、何も言わずに、終わっていくことができるなら、それでいいと。
終わりを迎えたことを、声に出して確認することすら、必要ではありませんでした。
最後に施設で会ったとき、義父は私を見て笑っていました。にこにこした、ただの好々爺の顔で。
私の名前を呼ぶこともなく、過去の記憶のどこにも、私の影が残っていないようでした。心がざわつくこともなかったのです。
むしろその顔を見て、「この人と、そんな関係にあったなんて」と、現実味が失われていくようでした。
でも、夜になると、ふと思い出してしまうんです。あの夜のことを。押し入れの影、障子の裏、酒の匂い、耳元の吐息――
思い出したくないのに、なぜか記憶が体のどこかを温めるように蘇る。
罪悪感という言葉では語りきれない。許せなかったのは、他でもない“自分”でした。
拒絶しながらも、求めてしまったこと。それを受け入れていた体と心を、私は誰よりも深く責めていたのです。
でも、あの人が何もかもを忘れてくれたことで、私はようやく、「終わり」に手が届いたのかもしれません。
義父の遺影が置かれた仏間で、私はひとり、線香をあげました。ゆらゆらと立ちのぼる煙が、まるで自分の過去の時間をなぞっていくようで、私はしばらくその煙を見つめたまま、動けませんでした。
部屋の隅にある箪笥。障子の向こうにある縁側。どこも変わらないのに、どこも少しずつ古びていました。
私の中にあった“あの頃”の風景も、きっとこうやって静かに、少しずつ色褪せていったのだと思います。
「ようやく、終わったんだな」そう思うと、心の奥に小さな波が立ちました。
涙ではありません。ただ、少しだけ胸がきつくなるような、ゆっくりとした痛み。
義父の死を悲しんでいるわけではありません。かといって、憎しみや怒りも、もうどこかに置いてきてしまったようでした。
長いあいだ、何かに縛られていました。誰にも言えず、自分でも見ないふりをして、ずっと心のどこかに押し込めていたもの。それが、今ようやく、少しずつほどけていくのを感じていたのです。夫は今も優しい人です。私がどんな過去を抱えていたかも知らず、信じて、寄り添ってくれている。
罪悪感からではなく、私はあの人の隣にいることを選びました。
それだけは、私の中で何度も問い直し、選び直してきたことでした。
今夜、眠る前に、縁側に出て夜風を感じました。秋の風が肌に優しく、ふと、何十年も前の自分がそこに立っているような錯覚に陥りました。
あのときの私は、まだ若くて、まだ世間を知らなくて、なのに、ひとりで何もかも背負おうとしていた。
「あなたは悪くないよ」そう声をかけてあげられるのは、60歳になった今の私だけなのかもしれません。
もう、義父はこの世界にいません。記憶も、罪も、すべて置き去りにして消えていった人。でも私には、その記憶がまだ、体のどこかに残っている。
それでも、いいんだと思えるようになりました。消さなくていい。否定しなくていい。ただ、これからの人生には、もうあの人はいない――それだけでいい。
夜空に向かって、小さくつぶやきました。
「さようなら」
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