
私の名前は大友幸三と申します。
今年で70歳になりました。年齢のわりには元気なほうだと自負しておりましたが、数年前に足を手術してからというもの、杖を手放せない生活が続いております。
外出もままならず、日々の買い物や掃除など、生活の細々したことが思いのほか億劫になり、歩かなくなると老いというものをしみじみと実感するようになりました。
3年前に妻を亡くし、それ以来、私はひとり暮らしをしております。
妻とは口数の少ない夫婦でしたが、それでも、やかんの沸く音や、味噌汁をすくう音、そういう日常の気配があった頃と比べると、今のこの家はひどく静かです。テレビの音ばかりが空間に響き、ふと自分のため息の音がやけに大きく聞こえる日もあります。
そんなある日、息子から電話がありました。転勤が決まったとのことで、赴任先は東北の雪深い土地になるそうです。
私はそれを聞いて「気をつけて行けよ」と言ったきり、黙ってしまいました。
寒さの厳しい土地に行く息子のことも心配でしたが、それ以上に、彼が続けた言葉に、私は戸惑いを隠せませんでした。
「単身赴任で行くから、麻衣に父さんの面倒を見てもらうから」
こっちに一人で置いとくの心配だし、お金も浮くから私と同居させると言うのです。
麻衣さんは私の息子の嫁でございます。彼女は38歳になりますがまだ子供はおりません。
明るく、しっかり者で、気配りもできる。正直、息子にはもったいないくらいの嫁だと思っておりました。それほどまでに、よくできた女性なのです。
けれど、だからこそ、私の心には複雑なものがありました。足の悪い私と息子の嫁が二人で暮らす。それだけで、人に説明すれば「ありがたい話だ」と言われるでしょう。
ですが、私自身はその提案をすんなりとは受け入れられませんでした。
老いを受け入れるというのは、自身が失われていく過程だと、最近になってようやく気づきました。
手を借りる、ということが、こんなにも情けなく、また申し訳ない気持ちになるとは。とはいえ、足の悪い私の生活は一人では難しくなってきていたのも事実です。
息子は気を遣って、寒さが苦手な麻衣さんを東北に連れて行くつもりはないと言っておりました。
それならばと、私は観念するようにうなずき、「わかった」とだけ答えました。
そして数日後、麻衣さんがやって来ました。笑顔で「今日から、よろしくお願いします」と頭を下げたその姿を見て、私は言いようのない気恥ずかしさと安堵に襲われました。
麻衣さんは、昔から本当に丁寧で気が利く子でした。口調や所作に柔らかさがあって、無理に近づこうとはせず、かといって距離を感じさせない。あの頃は、ただ「いい嫁をもらったんだな」と思っていただけでした。
けれど、いざこうして同じ屋根の下で暮らすとなると、私はどこか、身の置きどころがわからなくなってしまいました。
それでも麻衣さんは、何ひとつ気負うことなく、私の日常を整えてくれました。
朝は食事を用意してくれ、洗濯や掃除も手際よくこなし、適度に会話も交わしてくれます。
私はといえば、最初のうちはどこか落ち着かず、何かをされるたびに「悪いな」と繰り返していたように思います。
それに対し、麻衣は「遠慮しないでください」と、さらりと笑って答えてくれるのです。
私は、そんな彼女の言葉に、ただうなずくことしかできませんでした。これが、義父と嫁の距離感というものなのだろうか。
ふと、そんなことを考えていた日もあります。言葉には出さずとも、彼女の気遣いやあたたかさが、少しずつ、私の中の乾いた部分をやわらかくしていくのを、私は感じておりました。もちろん、私は彼女の義父であり、彼女は息子の嫁です。
そこにある線を越えてはならないことなど、痛いほどわかっております。けれど、たまにふと心が揺れる瞬間があるのです。
それが何かは、まだこのときの私は言葉にすることができませんでした。
麻衣さんとの生活が始まって、もう十日ほどが過ぎました。暮らしのリズムというのは不思議なもので、最初こそぎこちなさがありましたが、気づけば私の身体も、彼女の動きに合わせて動くようになっておりました。
朝は麻衣さんが一足先に起きて台所に立ち、私はその音に導かれるように布団を抜け出します。
お茶の香り、味噌汁の湯気、ごはんの立ちのぼる香ばしさ。妻が居たころを思い出します。
それらが静かな家にひとつずつ灯っていくようで、私は何とも言えない安心感を覚えておりました。
麻衣さんは、何かを押しつけるようなことは一切いたしません。
「お義父さん、私の味付けどうですか?」そんなふうに、気を遣ってくれるところがあります。
その度に私は、「美味しいよ」と返しながら、どこか心があたたかくなるのを感じておりました。
そして、ふとしたときに気づくのです。私はいつの間にか、彼女の世話を「ありがたい」と思うだけではなく、
彼女の手の動きや声の抑揚、表情の変化に、意識が向くようになっているということに。
これは、いけないことなのではないか。そう思う気持ちも、もちろんございます。
私は義父であり、麻衣は息子の妻。それ以上でも、それ以下でもない。それなのに、彼女が笑うと、なぜか胸の奥がざわつく。
麻衣さんが洗濯物を干している後ろ姿を、ふと目で追っている自分に気づいたとき、私は慌てて視線を逸らしました。
自分が何をしているのか、わからなくなりそうになることがございます。
年を重ねるにつれて、そういった気持ちも次第に薄れていくものだと思っておりました。
ですが、そうではなかったのかもしれません。何かが、私の中で、また静かに目を覚まそうとしている…そんな気がいたしました。
ある晩、麻衣さんがお風呂上りに「寒くなりましたね」と言ったことがありました。
ああ、もう家もガタがきてるから隙間風がはいるからなと返しましたが、彼女のほんのり濡れた髪と、風呂上がりの石鹸の香りに、妙に胸が締めつけられたのです。
その日の夜、私はなかなか寝つけず、布団の中で静かに目を閉じたまま、考えておりました。
「このままずっとこうなのか」と。彼女と過ごす時間が増えるにつれ、私の中で、ある種の“恐れ”のようなものも生まれてきたのです。
息子の嫁に対し、好意を抱いてはいけない。感謝の気持ち以上の何かを、抱いてはいけない。
それでも、そう思えば思うほど、感情の芽生えまでは止められないものなのだと、私は知り始めておりました。
翌朝、私は台所で湯を沸かす音を聞きながら、壁の時計を見つめておりました。いつものように、時間は過ぎていきます。
けれど、心の中では何かがじわじわと動いているのです。自分でも気づかぬうちに、心の奥にあった何かが溶け出している。そんな気がしてならないのです。
寒さが日に日に増してきておりまして、家の中にいても底冷えするような夜が続いておりました。特にこの古い一軒家は、窓の桟から風が入りやすく、夜になると床の隙間から冷気が這ってまいります。
私の足も冷たくなりがちで、湯船に浸かる時間と、コタツの中が、唯一の“救い”のようなものになっておりました。
とはいえ、その入浴も、だんだんと億劫になってまいりました。足を悪くしてからというもの、湯船の出入りにも神経を使います。
何かの拍子でバランスを崩したら、ひとりではどうにもなりません。それを知っていたのでしょう、麻衣さんがある日、何気なく尋ねてくれました。
「お義父さん、入浴のとき、ひとりじゃ大変ですか?」私は即座に「いや、大丈夫だよ」と返しました。情けないところは見せたくなかったのです。ですが、そう言った矢先にその日の夜、風呂場の中で転びそうになっていました。出るときには手すりにすがるようにしてようやく立ち上がる始末でした。
そして、数日後のことでした。
石鹸が切れていることに気づき、風呂場を出て脱衣所に向かったとき、そこに、麻衣さんの姿がありました。彼女はタオルを巻いたまま、棚の引き出しを開けて、何かを探していたようです。
「すまん」私は反射的に声をかけた、そのときでした。
彼女がバスマットに足を取られ、よろめいた拍子に、胸元に巻いていたタオルがふわりとほどけたのです。
ほんの一瞬でした。でも、その一瞬が、私にはとても長く感じられました。
麻衣はすぐにタオルを拾い、背を向けながら整えました。私はただ、その場に立ち尽くして、言葉を失っておりました。
見てしまいました。その時、息子の嫁としてではなく、一人の女性として見てしまっていた自分に気付きました。義父として、年長者として、男として越えてはならない一線を、心の中で踏み越えてしまったような気がいたしました。
麻衣は何も言いませんでした。私もまた、何も言えませんでした。ただ、お互いに視線を合わせることなく、その場を離れたのです。
その晩、私は寝室の布団の中で、ずっと目を閉じたまま動けませんでした。あのときの彼女の肌の色、湯気のなかに浮かぶ柔らかな曲線、それらが、頭の奥から離れなかったのです。
見られた彼女は、どんな気持ちだったでしょうか。
怒っていたかもしれない、恥ずかしかったかもしれない、あるいは、いや、そんなことを考えるのは不遜というものでしょう。
ただ私は、眠れぬ夜をただただやり過ごすことしかできませんでした。
翌朝、麻衣さんはいつも通りに台所に立ち、私に朝食を用意してくれました。
何も変わらぬように見えるその背中が、どこか遠く感じられて、私は言葉をかけることもできませんでした。
けれど、ひとつだけ確かなことがございました。
私の中で何かが変わってしまったのです。
それは、老いのなかで眠っていたもの、女という存在を意識する感覚、肌のぬくもりを求める衝動、そして罪悪感。
それらが混ざり合い、私の胸の奥に、熱のようなものを生み出していたのです。
“欲”と言ってしまえば、それまでかもしれません。でも、そんな単純なものではなかったように思います。
人に触れたい、誰かとぬくもりを分かち合いたい、ただそれだけの、ごくささやかな感情。でもそれすらも、年齢や立場によって犯罪と言われてもおかしくありません。そう思うと、私の心はいっそうもやもやとしていきました。
義父と息子の嫁。
その境界線の向こうに立つことは、決してあってはならない。わかっております、わかってはいるのです。
それでも、あの夜、私の心の奥底で目覚めたものは、決して簡単に眠りについてはくれない気がいたしました。
あの夜以来、私と麻衣のあいだに、何かが確かに変わっておりました。
言葉ではなく、行動でもなく、ただ、空気の質が、ほんの少しだけ違っていたのです。
朝、台所に立つ彼女の姿。その横顔に、私は無意識に目をやっておりました。
今まではただ「働き者だな」と思っていた視線が、どこか無意識に見つめてしまっていたのです。
そして、そんな自分に気づいては、ハッとして目を逸らしました。
それでも麻衣さんは、以前と変わらぬ様子で接してくれておりました。笑顔も、言葉遣いも、湯呑みに茶を注ぐ手つきも。
けれど、ときおりふと、目が合うときがあります。ほんの一瞬で目を逸らされますが、その一瞬が、妙に長く感じられるのです。
私もまた、目を逸らします。お互い、何事もなかったように振る舞っているつもりなのでしょう。
でも、それがかえって、何かをはっきりと物語っているようにも思えました。
暮らしは静かに続いております。食事の時間、洗濯物をたたむ時間、テレビをぼんやりと眺める時間。
それらが交差するたびに、私は意識せずにはいられませんでした。
たとえば、麻衣の指先。食器を洗うときの、泡をすすぐ滑らかな動き。小さな湯呑みを丁寧に拭くその手が、なぜか印象に残るのです。
ある夜、彼女が少し遅くまで台所に立っておりました。私はいつものように、隣室のこたつで静かにしておりましたが、ふと彼女が動きを止めた気配を感じました。振り返ると、麻衣は振り向かず、ただ静かにスポンジを握ったまま、流しに手をかけておりました。
「すぐにお湯が出てこないだろう」私が思わずそう声をかけると、彼女は小さく頷いて「ええ、水が冷たいですね」と返しました。
ただ、それだけのやりとりでした。けれど、その「ええ」というひとことに、妙に胸が温かくなるのを感じました。
裸を見てしまったあの夜のことは、お互い、口にしておりません。
けれど、あの夜から、私は麻衣を見る目が変わりました。
もう無くなってしまっていたと思っていた、女を意識する自分がいました。
彼女のそばにいることで、じんわりと染み出してきたのかもしれません。
老いた身体で、人に世話を焼かれるということは、
時に、情けなくもあり、ありがたくもあり、そして…どこか切ないものです。
自分のすべてを見せることに、恥じらいがないと言えば嘘になります。
ですが、麻衣は、私にそういう感情を抱かせることなく、淡々と、しかし確かに、私の暮らしを整えてくれているのです。
夕食を終え、片付けをしながら麻衣がぽつりと呟きました。
「お義父さん、最近よく笑うようになりましたね」私は驚いてしまいました。
自分では気づいていなかったのです。でも彼女のその言葉に、なぜか胸がじんとしました。
「そうかもしれないな。…麻衣さんのおかげだよ」それが、私の精一杯の本音でした。
もし、この先もずっとこうして一緒に暮らすのなら、私はきっと、何かの“線”を越えてしまう気がいたします。
それがいけないことだとは、重々承知しております。
人は誰かと暮らすことで、知らぬ間に新たな感情を育てていくのかもしれません。
他人である異性との生活は、私の感情を少しずつ侵しています。
夜、布団に入ると、隣の部屋の麻衣の気配を、感じてしまいます。
彼女がまだ起きているのか、それとももう寝息を立てているのか。
私はそっと目を閉じます。これから先私は正常でいられるのか、あたたかな記憶と、ほんの少しのざわめきを胸に抱きながら、
今日という一日を、静かに終えるのです。
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