私の名前は正雄と申します。現在64歳になりました。私は24歳の時に結婚をしましたが、その2年後に妻を病気で亡くした過去があります。あれから40年近く、独り身の生活を続けてきました。妻の名前は美奈子。控えめで優しくて、少しおっちょこちょいなところが愛らしい人でした。結婚生活は短かったけれど、あの2年間は今でも私の中で輝いています。けれども、幸せの記憶が鮮やかであるほど、それを失った痛みも深かったのです。
美奈子と出会ったのは、友人の紹介でした。最初はお互いぎこちなく、私も人付き合いが得意ではなかったので、彼女の前で何を話せばいいのか分からず戸惑ってばかり。それでも彼女は、私の話を興味深そうに聞いてくれる人でした。「正雄さんって、面白い考え方をするのね」と笑う彼女の顔に、いつの間にか惹かれていました。
結婚してからの生活は、ささやかだけれど幸せでした。私が仕事から帰ると、彼女は「おかえりなさい」と笑顔で迎えてくれる。その声を聞くだけで、疲れが吹き飛んだものです。休日には一緒に公園を散歩し、帰りに小さなパン屋で焼きたてのパンを買って帰る。そんな他愛もない時間が何より心地よかった。彼女が台所に立つ後ろ姿を眺めながら、こんな穏やかな日々がずっと続けばいいと、心から願っていました。
しかし、そんな幸せな日々はあっという間に崩れ去りました。結婚してから1年後、美奈子は突然体調を崩しました。最初はただの体調不良だと思っていたそうです。でも、体がだるそうな様子が気になり、病院へ行くことになったのです。医者から告げられたのは「すい臓がん」という残酷な現実でした。その瞬間、私は言葉を失いました。美奈子は「大丈夫」と笑っていましたが、その笑顔がかえって痛々しくて仕方ありませんでした。
それからの日々は、闘病生活の連続でした。治療の副作用で髪が抜け、痩せ細っていく彼女を見るのは辛かった。けれども、彼女は決して弱音を吐きませんでした。「正雄さん、私のせいで疲れてない?」と逆に私を気遣うのです。そんな彼女に何もしてあげられない自分が歯がゆくて、何度も自分を責めました。それでも、彼女の手を握るたびに「大丈夫だよ」と励ますことしかできませんでした。
特に最期の1週間は特に辛かったです。美奈子はほとんど話すことができなくなり、ただ私の顔をじっと見つめていました。病室で彼女の手を握りしめながら、私は「まだ行かないでくれ」と心の中で叫んでいました。彼女が最後に残した言葉は、今でも耳に残っています。「正雄さん、私の分まで幸せになってね」。その言葉がどれほど私の胸を締め付けたか、彼女は知ることがないでしょう。
美奈子を失った後、私は表向きは仕事に没頭しているふりをしていたけれど、心のどこかで常に空虚さを抱えていました。特に甥や姪っ子が遊びに来た時、その笑顔を見ると胸がざわつきました。彼らが「おじさん!」と駆け寄ってくるのは嬉しいのに、その姿が私に子供を持つ喜びを教えてくれるようで、どうしても目をそらしたくなる自分がいました。
弟や妹が子供たちと幸せそうに過ごしている様子を見ると、「どうして自分はこんな人生なのだろう」と思ってしまうことがありました。特に、甥っ子が運動会で頑張る姿や、姪っ子が「おじさん、見て!」と嬉しそうに絵を見せてくれる時、心の奥底から湧き上がるのは、羨ましさと後悔の入り混じった感情でした。
街で仲良さそうな夫婦を見かけることもありました。手をつないで歩いている中年夫婦や、子供と一緒に買い物を楽しんでいる家族連れ。そのたびに「自分だって、もし美奈子が生きていてくれたら、こんな未来があったのだろうか」と考えずにはいられませんでした。そして、そうした風景を見ていると、自分の中にわずかばかりの妬ましさがあることにも気づかされました。その妬ましさに気づくたび、私は自分を情けない人間だと思い、ますます孤独に閉じこもっていったのです。
ただ、50代を迎える頃には、独りの生活に慣れ切っていました。誰からも干渉されない自由は、それはそれで心地よいものではありましたが、年齢を重ねるにつれ「このまま一人で人生を終えるのだろうか」と思うことが増えていきました。定年が近づき、仕事が人生の中心から外れつつある今、家に帰った時の静けさがこれまで以上に重く感じられるようになりました。
そんなある日、電車の中で「中高年専門の結婚相談所」という広告を目にしました。「今さら婚活なんて」と最初は思いました。でも、美奈子の「幸せになってね」という言葉がふと頭をよぎり、私はその日の夜、結婚相談所のサイトを検索していました。「新しい一歩を踏み出す」という言葉が心に響きました。
和子さんと初めて会った日は、思いのほか緊張していました。結婚相談所で紹介されたのですが、久しぶりに女性と二人で会うという状況に、自分でも驚くほど肩に力が入っていたのを覚えています。待ち合わせ場所の駅前で出会った和子さんは、控えめで落ち着いた印象の女性でした。短めの髪と、穏やかな笑顔が印象的でした。
「初めまして、正雄です。」
「初めまして、和子です。今日はよろしくお願いします。」
その挨拶だけでも、自分が思っている以上にぎこちないのがわかりました。どちらかといえば、和子さんの方が自然体で、緊張している私を気遣って話題を振ってくれるような場面が多かった気がします。
最初に行ったのは、近くの落ち着いた喫茶店でした。お互いの趣味や日々の過ごし方について話すうちに、少しずつ緊張がほぐれてきました。和子さんは読書が好きで、特に歴史小説に詳しく、話の中で私の知らない著者の名前をいくつか挙げていました。彼女の穏やかな語り口に安心感を覚えたのを覚えています。
「正雄さんは何をされる時が一番リラックスできますか?」
「そうですね……最近は散歩ぐらいでしょうか。近所の公園に行ってぼんやり景色を眺めていると、なんだか落ち着きます。」
「いいですね。私も、季節ごとの花を見るのが好きなんです。」
その一言がきっかけで、次の約束をした時は、近くの植物園を一緒に訪れることになりました。和子さんが花の名前をいくつか教えてくれる中、私たちは少しずつ距離を縮めていきました。
それから月に数回会うようになり、和子さんといる時間がどんどん楽しみになっていきました。彼女も私に少しずつ心を開いてくれているのがわかりました。季節が巡り、春の桜、夏の花火大会、秋の紅葉と、様々な思い出が積み重なっていく中で、私はいつしか「彼女となら新しい人生を歩めるかもしれない」と感じるようになっていました。
交際が始まってから半年が経ち、私は思い切って和子さんに言いました。「もしよければ、一緒に暮らしてみませんか?」と。彼女は驚いたようでしたが、やがて微笑んで「よろしくお願いします」と答えてくれました。成婚料を払い、駅近のマンションを借り、私たちの新しい生活が始まりました。
けれども、同居が始まってから最初のうちは、お互いに気を遣い合う場面が多かった。食事の準備や掃除の分担をどうするか、どちらが先にお風呂に入るかといった小さなことでも、お互い遠慮が見えるのです。まだ本当に「夫婦」と呼べるほど自然体ではありませんでした。
二人で暮らしだしてしばらくしたある日、夕食後に二人でテレビを見ている時、ふと和子さんが言いました。「正雄さん、最初の頃はもっと緊張されてましたよね。でも、最近は少し柔らかくなった気がします。」
「そうですかね。……和子さんのおかげで少しずつ安心できてきたかもしれません。」
そのやり取りがあってから、私たちは少しずつスキンシップも増えていきました。たとえば、外出先で手をつないでみたり、テレビを見ながら肩を寄せ合ったり。それでも私はどこか臆病で、深い関係になることに躊躇がありました。美奈子の記憶が私を縛り付けているのだと、どこかで自覚していました。
そして、ある夜のこと。私は布団の中で目を覚まし、隣で寝ているはずの和子さんのことを考えていました。彼女に触れたいと思いながらも、どうしても勇気が出ない自分がいました。「こんな年になって、何を迷っているんだろう」と情けなく思いながらも、体は動かないのです。
その時、不意に布団が動く音がして、私は驚きました。隣の布団から和子さんがそっと私の布団に入ってきたのです。「正雄さん、寒くない?」と小声で言った彼女の顔には、柔らかな笑顔が浮かんでいました。その瞬間、胸の奥で張り詰めていた何かがふっと解けるのを感じました。
「和子さん、ありがとう」と言葉を絞り出した私に、彼女は「私もね、ずっと怖かったの」とぽつりと言いました。彼女の手は少し震えていて、それがどれほどの勇気を振り絞ってくれたものかが伝わりました。
その瞬間、胸の奥で張り詰めていた何かがふっと解けるのを感じました。ここまでしてもらって何もしないのは男が廃ります。私はようやく彼女を愛することが出来ました。お互い年齢を重ねている為、うまく出来るか不安でしたが案外若い頃のように盛り上がることが出来ました。数十年ぶりに味わうこの気持ち。
その夜、私たちはただ静かに寄り添い、長い間閉ざしていた心の扉をそっと開けていきました。温かいぬくもりの中で眠りに落ちる時、私はふと美奈子の微笑む姿を思い出しました。「美奈子、ようやく前に進めたよ」と心の中で呟きました。