
61歳になって、私は初めて「恋」というものに出会いました。
いや、もっと正確に言えば…女として心も体も喜ぶ関係を、ようやく知ったんです。それは、若い頃に夢見たような煌びやかな恋ではありません。でも、温かくて、深くて、しみじみとした喜びに満ちた、私の人生にとってとても大切なものでした。
私の名前は佐々木京子、61歳です。
22歳で結婚し、二人の子供を育て、ずっと「良き妻、良き母」として生きてきました。
だけど、10年前に離婚しました。夫は真面目な人でしたが、職場の若い女性にうまく言いくるめられて、貯金を持って出ていってしまいました。騙されたとも言えますし、私たち親子から逃げたとも言えます。
だけど一番辛かったのは、彼がいなくなったことよりも、それまでの結婚生活で、私は一度も「女」として愛された記憶がなかったということです。
夫婦生活は義務のようで、いつも自分が終わったらさっさと寝るような人でした。なので二人目の子供を産んでからは完全に拒みました。なのであれから30年私はそういう経験がありません。もう干からびてしまっていますかね。でもそういうものなのかなと、自分に言い聞かせるようにして生きてきました。
そんな私がある日、友人のすすめで体操教室に通うようになったんです。ちょっとした健康維持のつもりでした。
そこで出会ったのが、近藤栄治さんでした。64歳。元地方公務員で数年前に奥さまを亡くされたそうです。
第一印象は、正直言って地味な人。でも、どこか誠実そうで、少しだけ寂しげな目が印象に残りました。体操の後にみんなでお茶を飲む流れがあって、私はそこで栄治さんとよく隣になるようになりました。
最初は本当に他愛ない会話。天気の話とか、腰の痛みとか、そんな感じ。でも、ある日ふと彼が言ったんです。
「妻を亡くしてから、誰かと話して笑うことがほとんどなかったんです。……こういうのってなんか良いですよね」
その一言が、私の胸に小さな火を灯しました。同じように思ってくれる人がいるなんて。
それから半年ほどたって、栄治さんから「よかったら、うちでご飯でもどうですか」と誘われました。
正直、迷いました。でも、もしかしてそういうことがあるのかなとちょっと期待もしちゃっていました。
彼の家は、思っていた以上に大きな家でした。でもきちんと庭まで整理されていて、窓からは街路樹の緑が見えました。
作ってくれた料理は丁寧に煮込まれた筑前煮、卵焼き、焼き魚……どれも手作りの味がして、とても美味しかった。
でも期待した半面、この日は何もありませんでした。そして帰り際、彼がふと、言ったんです。
「またこうして一緒に食事したいです。できれば、もっと一緒に過ごせたら……」その時の彼の表情が、とてもまっすぐで、優しくて。
気づいたら、小さく頷いていました。
何度か招待された日の夜、とうとう泊る日がやってきました。もちろん常に泊れる準備はしてました。
期待半分、不安半分と言ったところでしょうか。彼の腕にそっと包まれた瞬間、不思議と不安は消えていきました。
彼は、私の肩にそっとキスをしてきました。私の反応を確かめるように、彼は私を気遣いながら愛してくれました。
彼の唇が首筋に触れ、私の体をゆっくりと確かめるように撫でてくる。心も体も、どこまでも丁寧で、ゆったりとした時間が流れていました。ここまで準備に時間をかけるものなんだと初めて思いました。元夫ならもう終わってちゃっちゃと寝てしまっています。あまりに優しく丁寧に愛でてくれる間に、私は生まれて初めて、もう我慢できないという感覚に陥りました。
もうそこからは頭が真っ白です。何も覚えていません。
これが、本当に愛し合うということなのだと、私は61年生きてきて初めて、自分の体を肯定できた気がしました。
それから私たちは、週に1〜2度会うようになりました。
食事をして、音楽を聴いて、たまに手をつないで街を歩いたり。もちろん夜は毎回体を重ねました。いつだって愛して欲しい。そんな感覚でした。
でもそんな日々に、突然、影が差し込んできたのです。ある日、スマホに見覚えのない番号から着信がありました。
少し迷って出ると、いきなり怒気を含んだ男の声が言いました。
「うちの弟と……いったい何のつもりですか?」一瞬、何を言われているのか理解できませんでした。
「えっ、どちらさまですか?」
「近藤栄治の兄です。…財産目的ですか? そうでないなら、栄治との関係は即刻やめてもらいたい」
「そんなつもりは……ありません」そう言うのがやっとでした。何も言い返せず、電話は一方的に切られました。
私は手の震えを抑えながら、しばらくスマホを見つめていました。
私、悪いことをしてるの?
翌日、栄治さんからうちの兄が失礼なことをして申し訳ないと謝られましたが、私は栄治さんとの連絡を少しずつ控えるようになりました。自分から連絡しにくくなったのです。会いたい気持ちは山ほどある。でも、私がいることで彼が周囲から責められるなら…そんな思いが、私を静かに押し込めていきました。
栄治さんと連絡をしなくなって1週間が過ぎました。彼もしにくいのかもしれません。
会いたい。声を聞きたい。でも、自分の気持ちを押し込めていました。
そんなある日。
ピンポーン、と玄関チャイムが鳴りました。
インターホンに映ったのは、知らない若い女性。30代半ばの、綺麗な女性でした。
「 私……近藤沙羅と申します。父がお世話になっています」思わずドアを開けると、その女性は頭を下げました。
「突然すみません。少し、お時間いただけませんか?」
沙羅さんは栄治さんの一人娘でした。聞けば、私との関係は知っていたそうです。
けれど兄夫婦の横やりが入った後、父が急に元気をなくしていたことが気がかりで、今日ここへ来たとのことでした。
沙羅さんは、私の手を握って、真剣な眼差しで言いました。
「叔父のことは本当に申し訳ありません。親族として恥ずかしいです」
「父のことも、どうか嫌いにならないでください。あの人、不器用で、押しに弱いだけなんです。
でもね、私、見てたんです。父が佐々木さんと会うようになってから、表情がやわらかくなって、笑うことが増えて……あんな父、久しぶりだったんです」
そして沙羅さんは、まっすぐに私を見つめながら、深く頭を下げました。
「父を……よろしくお願いします。、父が誰かと一緒に笑っていてくれる方が、ずっと大事なんです」
その言葉に、私は胸がぎゅっと締めつけられました。
栄治さんが育てた沙羅さんだからこんなにも優しい人なんだ。
そう思ったら、自然と涙がこぼれてきました。
そして、数日後、私は、栄治さんと再会しました。
柔らかいシャツを着た彼は、やっぱり少し照れくさそうに笑って、
「久しぶりですね」と言ってくれました。
「ごめんなさい、私、勝手に離れてしまって。でも……本当はずっと、会いたかったんです」
彼は私の手をそっと握って、言いました。
「僕もです。もう、離れません。兄にはもう何も言わせません。娘にも、叱られましてね。…正座させられて、説教されました」
その話に、ふたりで思わず笑ってしまいました。
なんだか、長く離れていたはずなのに、まるで昨日の続きのように自然に戻れる。
それが嬉しくて、ありがたくて、私は彼の手をぎゅっと握り返しました。
それから私たちは、前と同じように会うようになりました。週に2回。
ときには栄治さんの家で一緒に食事を作り、音楽を聴き、少しだけお酒を飲んで、語り合う。
もちろん毎回体を重ねます。私はこの歳にしてちょっと目覚めてしまったかもしれません。
それとも栄治さんのテクニックにメロメロにされているだけかもしれません。
でも、「愛されている」と実感できる、静かであたたかな時間。
今の私にとってはこれがすごく大事なんです。
私たちはまだ同居はしていません。
それぞれの暮らしを大切にしながらそんな距離感が、今の私にはとても心地いいんです。
ごくたまに、知人から「その歳で恋人なんて恥ずかしくないの?」と言われることもあります。
でも、もう気にしません。体は確かに年を重ねました。
シワもあるし、体力だって若い頃のようにはいかない。
でも、心が喜べば、体もそれに応えてくれるということを、私は今、実感しています。
そして何より、相手を思いやる気持ちと、思いやられる喜びは、いくつになっても変わらない。
「京子さんは、いまが一番綺麗だよ」
そう言ってくれる栄治さんの言葉が、何より私の支えです。
61歳になって、ようやく自分の人生を自分で選ぶことができました。
これまで家族のため、世間のために生きてきたけれど、これからは、
私の心と体が本当に求めるもののために、生きていこうと思っています。
だから、どうか皆さんにも伝えたいのです。
年齢に関係なく、自分の本当の声に耳を傾けてください。
人生の後半こそ、自分らしく、生きるときなのです。
私は悪い女でしょうか?もしそうなら、それでもいい。
私は、いま幸せなんです。心から、そう思っています。
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