私の名前は鈴木恵子、61歳です。パートタイマーとして働く日々が続いています。結婚してからもうすぐ35年が経ちますが、今は4歳年下の夫と二人暮らしです。子どもたちも独立し、家の中は静かになりました。夫は55歳で早期退職し、家で過ごす時間が増え、私たち夫婦の時間も長くなりました。そんな中、ある夜のこと、夫が突然「恵子、今夜良いかな」と久しぶりに夜のお誘いをしてきました。若い頃はそれなりに親密な時間もありましたが、そんな突然の誘いに、正直戸惑ってしまいました。この年齢でそんなことをするなんて、誰にも話せないし、気持ちが乗らないと思ってしまいました。
夫からの誘いが嫌なわけではありません。ただ、心の中で葛藤が生まれました。今まで普通に過ごしてきたのに、どうして急にこうなったのか。体力的な問題もあり、若い頃のように感じることができないのも事実です。身体は年齢とともに変わり、それに伴い感情も変わる。夫の気持ちはありがたかったのですが、自分の変化に向き合うのが怖かったのです。
そんな中、パートの会社の飲み会があり、同年代の同僚たちと話す機会がありました。お酒が入ったことで、思い切って夜の営みについて聞いてみました。顔が赤くなるほど恥ずかしかったですが、意外にもみなさんが恋愛に前向きであることに驚きました。「年を取っても恋はするし、愛を確かめ合うことは大切よ」と、同僚たちが言うのを聞いて、自分の気持ちに少しずつ変化が生まれました。夫の誘いも、自然なことなのかもしれないと感じ始めたのです。
次の週にも、夫から夜のお誘いがありました。その日もまだまだ不安が拭えず、行為に集中できませんでした。夫は私の表情に気づいたのか、「大丈夫か?嫌ならやめるよ」そう言い、途中で辞めました。少し気まずい雰囲気の中で二人並んで横になりましたが、言葉を交わすことなく眠りにつきました。
翌朝、夫は普段と変わらず接してくれましたが、私の心中はかなり焦っていました。このままでは、夫婦の関係が悪くなってしまったらどうしよう。そう思うと不安がどんどんと大きくなりました。それからしばらく、夫からのお誘いはなくなりました。夫婦仲が悪化しなかったことに少しホッとしましたが、私の心の中はずっとモヤモヤとしたままでした。
もうすぐ夫の58歳の誕生日です。いつもより豪華な食事と、ささやかなプレゼントを用意していました。久しぶりにローストビーフを作ることに挑戦しました。夫のために色々調べたり準備するうちに、なんだか気分が晴れ楽しかったです。野菜が苦手な夫にはいつも野菜を食べさせるのに苦労します。細かく刻んだり混ぜたりしながら少しでも多く野菜を取らせるように普段からしています。いつまで経っても味覚は子どものままなのです。結婚当初、好き嫌いのことを言えず私の作ったものを嫌々食べていたということを思い出し、懐かしさに笑みがこぼれました。こんなにも夫のことを大切に思っているんだなと再認識しました。
夕方、夫が帰宅すると、手には花束を持っていました。「どうしたの、それ?」と驚いて尋ねると、「お前に買ってきたんだよ」と照れ臭そうに渡してくれました。驚きと嬉しさが一気に押し寄せ、私は思わず涙がこぼれました。花なんて一度ももらったことがなかったのに。夫のその行動に、私に対する深い愛情が感じられ、胸がいっぱいになりました。そのとき、先日の飲み会のことを思い出しました。「年を取っても恋はするし、愛を確かめないと」。私の反応がいまいちだから、夫は私の愛を確かめたかったのかもしれません。歳を取ってしまって自信のない私だけど、それでも好きでいてくれ、私を求める夫。その気持ちが分かっただけで、胸のもやもやが一気に吹き飛び、心から嬉しくなりました。
頑張って作った夕食は「美味しい」と喜んでたくさん食べてくれました。何も言わなくてもちゃんと野菜まで頑張って食べている夫を見ると愛おしく感じてしまいました。私も心から楽しくなり、自然と微笑んでいました。
その夜私は、意を決して夫に夜の営みについて相談しました。久しぶりの行為に戸惑ったこと、昔のような感覚じゃないこと、女としての自信がないことなどなど、思っていたこと全て夫に吐き出しました。夫は私の話を最後まで聞いてくれた上で、夫も心の内を話してくれました。働いている間は疲れ切ってそんなことは考えられなかったが、今はエネルギーが余っているのか、性欲が戻ってきたそうです。どう声をかけようかずっと悩んでいたそうです。私に声を掛けるまでに3か月もかかったそうです。やっと声を掛けられて満足していたが、夫自身も戸惑ったそうです。2回目の時は少し余裕が出たことにより私の表情に気付いて途中でやめたそうです。そうなんです。夫もまた、不安を抱えていたのです。
ここまで話したのです、もう怖いものはありません。一旦落ち着いて話そうということで一緒にお酒を飲むことにしました。そして私たちは今後のことについて話し合いました。その結果、お互いに納得のいく方法を見つけようと話がまとまりました。嫌な時は嫌だとはっきり言うこと、行為の前にはお互いの気持ちを確認し合うことなど、ルールを決めました。ただ、行為が出来ないときでもたまには一緒のお布団で温もりを感じながら眠ろうと決めました。今まで多少うっとおしいななどと思うこともありましたが、愛されていると感じれば、心地よさを感じられることに気づきました。高齢者は高齢者らしい方法がちょうどいいのかもしれません。結局のところ、私のモヤモヤは心の持ちようだったのでしょう。
夫はそれからというもの、色々と調べてくれました。最近のラブホテルは老人が半数近く占めているところもあるそうです。やはり気分を変えたりするのが良いのでしょうか。それから私たちは自分たちのペースでゆっくりと過ごすことを心がけました。夜の時間も、自然とお互いのペースで楽しめるようになり、次第にあの時感じた不安なども感じなくなりました。夫との行為は、これが高齢者のやり方なんだと、心が通じ合う大切な時間に感じるようになりました。
夜の事情が変わると、普段の日常も少しずつ変わりました。夫も少し若く見えるように変化しました。そして、自分で言うのも何ですがかなり若返ったと思います。夫はたまに私のことを名前で呼んでくれることも増えました。私はまだ恥ずかしいですが、たまに名前で呼んであげています。その時、夫は子供のように嬉しそうな顔をしています。結婚35年が経ち私たちの夫婦生活は新たな段階へ引きあがったような気がしました。
私たちの寿命はあと20年くらいでしょうか?まだまだ長いです。このまま朽ちていくのではなく、もっともっといろんなことを二人で経験できるように健康寿命を伸ばしていきたいと最近は思っています。ある日夫が「恵子、これからもずっと健康でいてくれよ。死ぬときは出来るだけ近いタイミングでな」と言いました。その言葉に、私は胸が熱くなりました。正直結婚35年も経つと、悪いことも嫌なことも駄目なことも、たまに良いことも、たくさんの思い出がありました。が、こうして最後にお互いが支え合っていることが何よりの幸せだと感じました。終わりよければ全てよし。昔の人は良い言葉を作ったものです。「最後まで一緒にいてね、お父さん」そう思いながらいつも一緒に眠っています。