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忘れちゃいけない日を忘れてました

シニアの話シニアの馴れ初めチャンネル様

私は光晴と申します。63歳の会社員です。定年の65歳まであと少しですが、幸い会社ではまだ働き続ける道があり、何とか職場に貢献できている状況です。長年働いてきたおかげで、職場では頼りにされることも増えました。家庭には、結婚35年を迎えた妻、美子がいます。子どもも独立しており、二人きりの静かな日々を送っています。

仕事が忙しく、最近は家庭での会話も減りがちでしたが、それが特別な問題だとは思っていませんでした。美子も文句を言うことはなく、穏やかに暮らしていると思っていました。私が言うのもなんですが、美子はあまりわがままを言うタイプではありませんでした。

何か欲しいものがあればあれを買ってほしい、これを買ってほしいなんてことを言われると、私の周囲の男性たちは言っていますが美子はまったくそんなことありませんでした。

ただ買い与えてないわけではありません。仕事が忙しいので自分で好きなものを買ってくるように言って、お金を渡していました。一緒に選んでも私の場合わかりませんし、その方が無駄なく時間を使えるのでいいと思っていました。美子も特に不満を感じていなかったようなので、きっと私たち夫婦はこれで正解なのだと思っています。けれども、その日はいつもと違う光景が広がっていたのです。

ある日のことです。仕事を終え、いつもの時間に家に帰ると、家が妙に静かでした。リビングに入ると、美子の姿が見当たりません。夕食の準備もされておらず、テーブルには1枚の置き手紙が置かれていました。

「しばらく家を出ます。私がどうして怒っているかわからなければ、このまま離婚を考えます。」

驚きました。何が起きたのかまったく心当たりがありませんでした。

「怒ってるって…え、どうしてだ?」思わず口に出てしまいました。この日まで美子は怒ったことも少なく、不満を言うタイプではなかったのです。私は手紙を握りしめたまま、美子の携帯に何度も電話をかけましたが、応答はなく、メッセージも既読になりません。途方に暮れた私は、娘の麻衣に電話をかけて事情を話しました。

「お母さんから何か聞いてないか?」

麻衣は少し困ったような声で答えました。

「何も聞いてないけど、お父さん、本当にお母さんがどうして怒ってるのか心当たりないの?」

「ないよ。最近は特に喧嘩もしてないし、いつも通りだったんだ。」

「もう一度よく考えてみて。きっとお父さんにわかってほしいから、あの手紙を書いたんだと思う。」

麻衣の言葉にさらに困惑しました。美子が何を怒っているのか、どうして家を出たのか、何も分からないまま時間だけが過ぎていきます。

数日間、美子からの連絡はありませんでした。家の中は妙に広く、静かで、食事をしていても味がしません。どうしてこんなことになってしまったのかと考えながら、仕事をこなす日々を送りました。しかしいくら考えても美子が怒る理由が思い当たらず、次第に苛立ちさえ感じるようになってきたのです。

「どうして怒っているかなんて分かるわけがないだろう!」とつい愚痴がこぼれました。美子との関係は長いものの、ここ数年はお互い干渉しすぎず、必要最低限の会話で日々を過ごしていました。その結果、彼女の気持ちに気づけなくなっていたのかもしれない、とぼんやり思うようになりましたが、それでも何が原因かは掴めませんでした。

このままではどうしようもない、と思いつつも、美子が戻らないのならそれでもいいと考えてしまう自分がいることに気づき、嫌な気持ちになりました。妻が家を出ていったのは、私のせいなのでしょうか。これが、平穏に見えた35年の結婚生活の終わりの形なのかもしれない、と思うとやるせない思いに苛まれます。

次第に、家の中の写真や記念品に目が留まることが増えていきました。そこに写るのは笑顔の美子と若い頃の私。そしてその笑顔が今、家から消えてしまったという事実が、じわじわと胸を締めつけます。

美子が家を出て数日が経ちました。相変わらず連絡は取れず、置き手紙の言葉が頭の中で何度も繰り返されます。最初は理由がわからず苛立っていましたが、時間が経つにつれて、美子の気持ちに鈍感だった自分を責めるようになっていました。それでも、具体的な理由にはたどり着けません。仕事に出ても、集中できず、職場でもミスをしてしまう始末です。

そんなある日、職場で部下の岡田が相談をしてきました。彼は30代半ばの既婚者で、普段は礼儀正しく、仕事にも熱心な男です。

「部長、ちょっとよろしいですか?」

「どうした?」

「結婚記念日が近いんですけど、何をプレゼントしたら妻が喜ぶかわからなくて……アドバイスをいただけませんか?」

その言葉に、思わず心がざわつきました。「結婚記念日」という言葉が、まるで心の奥を突くように響いたのです。

「結婚記念日か……」

そう呟いた瞬間、唐突に気づきました。美子が家を出たのは、私たちの結婚35周年の記念日だったのです。あの日、美子は朝から少しそわそわしていたように思います。それでも私は特に気に留めず、普段通り仕事に出て、夜遅く帰宅しました。美子は夕食も準備してくれていましたが、食卓に座ると妙に静かでした。その後、美子は「今日は特別な日だったのに……」と呟いていたような記憶があります。しかし私は疲れた顔で、「また明日話そう」とだけ言ってしまったのです。

思い出せば思い出すほど、胸が痛みました。美子は結婚記念日を祝いたいと言っていたのに、私はそのことを完全に忘れていました。35年という節目の記念日を祝うどころか、ただの平日同然に扱ったのです。

岡田の相談に答える余裕もなくなり、慌ててスマホを取り出しました。そして、美子にメッセージを送りました。

「美子、ごめん。ようやく気づいた。あの日は結婚記念日だったね。35年という大切な節目を忘れてしまって、本当に申し訳ない。もし許してくれるなら、帰ってきてほしい。ちゃんとお祝いをしよう。」

メッセージを送った後、しばらくの間スマホを握りしめていました。美子はすぐには返事をくれませんでしたが、数時間後、短い返信が届きました。

「ようやく気づいたんですね。とりあえず会いに行きますね」

その言葉に安堵すると同時に、後悔がさらに深まりました。私の些細な無関心が、美子をどれほど傷つけたのかをようやく理解したのです。

その週末、美子が家に帰ってきました。私は美子のためにささやかながら特別な食事を用意し、プレゼントとして美子が好きな花を贈りました。美子は少し驚いた顔をしながらも、微笑んで「ありがとう」と言ってくれました。

食事の後、美子はぽつりと呟きました。

「どうして結婚記念日を祝いたかったかわかる?それは、何年経っても夫婦でいることを祝い合える関係でいたいと思ったからなのよ…」

その言葉を聞いた瞬間、私は目が潤むのを感じました。美子は、私との日々を大切にしたいと思ってくれていたのです。そして、私がその思いに応えられなかったことを深く反省しました。

それからは、二人で過ごす時間を意識的に増やしました。週末には一緒に散歩をしたり、喫茶店でお茶をしたり、そんな何気ない時間がとても愛おしく感じられます。歩くときには、自然と手を繋ぐことも増えました。

35年という長い時間を共に過ごしてきた美子を、私はこれからも大切にしたいと思います。あの日の後悔を胸に、いつまでも「夫婦でいること」を祝い合える関係であり続けるために。

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