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調子に乗った娘

シニアの話シニアの馴れ初めチャンネル様

私の名前は渡瀬香織50代後半の専業主婦です。以前は私も仕事をしていたのですが、結婚をした時に子育てや家事など家庭のことに専念してもらいたいと夫に言われてやめました。私自身、専業主婦になることが嫌だったわけではないので特に何も思いませんでした。

だけど、娘が思春期に入った時に言われた言葉が今も心に刺さっています。それは「お母さんはお父さんにおんぶにだっこで社会のことを知らない」と言われたことです。確かにその通りです。結婚してからは夫の収入で私は仕事をせずに子育てや家事に専念することができました。自己満足かもしれませんが、そのおかげで幼い子供たちに寂しい思いをさせずにすんだと思っています。だけど、子供たちの世界が広がるにつれて私に対する不満なども募っていたでしょう。

夫に話そうかと思いましたが、夫が激怒しそうなので私は何も言わないようにしました。その日以降、娘の私に対する態度は冷たいものになったのです。勉強を頑張ってキャリアウーマンを目指している娘にとっては家庭の中でのほほんと暮らしている私が許せなかったのでしょうね。娘は大学生で独り暮らしをしています。思春期の頃より娘の態度は軟化したとはいえ、それでも私に対する嫌悪感があるのでしょうね。

これから娘も色々と経験して私の気持ちを分かってくれるはずと考えていたのですが、そんな矢先に私に厄介な病気が見つかってしまったのです。完治自体は難しく、医者からも緩やかに進行していくと考えてほしいと言われました。それは事実上の余命宣告のようなものです。私も夫と一緒に年老いて寿命が来るのを待てると思っていたのですが、そういう時間はないということが分かりました。

「娘と和解した方がいいんじゃないか」

この先の人生をどうやって過ごすべきか考えていると夫が話しかけてきました。娘が大学生になって独り暮らしを始めた頃に娘から言われたこと、それ以降冷たい態度を取られていることを話しました。案の定夫は激怒して娘のところに突撃しようとしましたが私が慌てて止めました。娘は娘なりに考えた上であんなことを言ったのでしょう。それを上から押さえつけるように訂正させても余計に反発するだけだと思ったからです。

「病気だということを話したら、娘は納得していなくても受け入れなきゃいけなくなるでしょ。そんな風に押し付けることはしたくないのよ」

「そうは言うけど、後から知った方が余計に後悔すると思う」

「あの子は強い子だから大丈夫よ。それにあなたにおんぶにだっこというのは間違ってないしね」

「俺が仕事を辞めてほしいと言ったから従っただけじゃないか」

そう、娘には夫に頼まれたから仕事を辞めたとは言っていません。

「それを伝えたから何になるの? 頼んだのはあなたでも受け入れたのは私なのよ? 結果的に自分で決めたことでしょって言われると思わない?」

私の言葉に夫は「うっ」と言葉に詰まっていました。きっかけがなんであれ、最終的に専業主婦になることを選んだのは私です。それにあまり必死になって否定すると自分の人生を否定するような気がして嫌だったのです。

「おまえは気にしないかもしれないけど、和解しないままキミが逝くようなことがあれば恐らく娘は自分を責めてしまうよ。気が強いことと何でも受け入れられるということは違うんだから」

夫に言われて妙に納得する部分がありました。娘は気が強いので何があっても大丈夫と思っていたのですが、確かに気の強さと何でも受け入れられることは違います。私は何かと理由をつけて娘と本気で話し合うことを避けていたのかもしれません。どちらにしても病気が見つかったこと、完治ができないこと、恐らく長く生きられないことなどはきちんと伝えなければいけないですよね。

「なに? 課題とかで忙しいんだけど」

翌週、娘だけを家に呼びました。案の定娘は不機嫌そうな表情です。夫はそのことを咎めましたが、娘は聞く耳を持たずにぷいっとそっぽを向いています。客観的な立場から見てみると、娘の言動はひどく幼稚なものに見えてしまいます。このままだと娘の将来に良い影響を与えないでしょう。ある意味、今日話し合いをすることになって良かったのかもしれません。

「あのね、お母さんは病気が見つかって多分長く生きられないの」

「は? ……あぁ、そういう方法で同情を引くって作戦?」

「おい!」

「それが本当なら随分な身分だよね。生活に関するお金をお父さんに負担してもらって、自分はのうのうと暮らしていたのにお父さんより早く病気? そんなの」

娘の言葉の途中で夫が引っ叩いてしまいました。

「今までは母さんが何も言わなかったから黙っていたが、専業主婦になれと言ったのは俺だ。それにお前は金だけですべて生活ができると思っているのか。お前が毎日飯を食えていたのは誰が作っていた? きれいな服を着られていたのは誰が洗濯をしていた? 母さんを否定する割にお前は昔から手伝いなんてしたか?」

「そ、それは……」

「偉そうなことはばかり言っていたが、それは自分のことは自分でできる奴が言うことだ。全部母さんにやってもらっておいて、批判ばかりなんて俺の親父にそっくりだな!」

「え、おじいちゃん……?」

夫の父は昭和気質の性格で家事や育児は妻がするべきという考えでした。夫もそういう部分があったので結婚と同時に私に家庭に入って欲しいと言ったのかもしれません。ただ、夫と義父の違いはちゃんと相手のことを考えてくれるかどうかということです。義父は高圧的に命令するような感じでしたが、夫はきちんと私の考えも聞いてくれました。だから、私は素直に夫の言葉を受け入れることができたのかもしれません。

「お前も独り暮らしを始めたのなら家事の大変さは分かるだろう。それともコンビニ弁当やランドリーばかりで自分でするということさえしないのか? だから生活費がすぐなくなって追加で仕送りをしてくれなんて言うのか?」

「それは……」

「母さんが病気になったと聞いても心配するどころか、同情のための嘘だと思うなんてな。我が娘ながらそこまで腐った考えを持っているとは思わなかった。もういい。出て行け」

「ちょ、ま、待って」

「あぁ、偉そうなことを言うんだから生活費はしっかり自分で稼げよ。来月から仕送りはしない」

夫は娘の話を聞こうとせずに追い出してしまいました。私との仲を取り持とうとしてくれたのに、今度は夫と娘の間で確執ができてしまい申し訳なく思ってしまいます。

「おまえが気にすることじゃない。あいつは甘えすぎだ」

その後、娘から謝罪がありました。苦労は分かっていたつもりだったけど、今さら謝るなんてこともできずにひどい言葉を言ってしまった、と。夫は仕送りをしなくなりましたが、私が結婚前の貯金を崩して多少ですが仕送りをしています。ただ、夫が仕送りをしていた金額には追い付かないので、きっと娘もバイトを増やして頑張っているのでしょう。

思春期の頃から距離ができてしまった娘ですが、今はぎくしゃくしながらも少しずつ親子として接することができているように思います。ただ夫と娘はまだ仲直りをしていないので、私が間に入ってなんとか仲を取り持たないといけないですね。今は無理でも私が元気なうちに家族で旅行なんてしてみたいななんて希望も出てきました。病気になってしまった時は悲しかったですが、生きているうちに仲直りして過ごせるようにするのが今の目標です。

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