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つい魔がさしてしまいました

シニアの恋愛は60歳からチャンネル様シニアの話

私の名前は渡辺勇次、66歳の清掃員です。朝4時に起きて現場へ向かい、床を磨き、ゴミを集める仕事をしています。以前は普通の会社員をしていましたが、今はこうして地道な仕事で生計を立てています。理由は単純です。私には戻るべき家庭も、頼れる家族もいないからです。すべては私がしでかしたことですから、家族の誰も悪くないのです。悪いのはすべて私です。15年前、私は家族を裏切りました。いや、正確に言えば、自分で家族を捨ててしまったのです。妻の真由美と娘の杏奈、3人で穏やかに暮らしていたのですが、私はその幸せを壊してしまいました。当時、会社の後輩だった若い女性と浮気をしてしまい、その事実が真由美に知られてしまったのです。最初は何とか許してもらおうと懸命に謝りましたが、真由美の心は私から離れていきました。彼女から言われた言葉は今でもよく覚えています。「裏切り者、二度と近づくないで」でした。家庭を捨ててまで一緒になった女がいたらなおさらでしょう。浮気相手の女性から「奥さんを捨てて私と一緒になりましょう」と甘い言葉で誘われたとき、私はその誘惑に負けました。真由美を悲しませてまで離婚し、その女性と暮らす道を選んだのです。私は彼女を選んだことで、家族を捨てることになったのですから一緒になろうとしていたのは必然かもしれません。ただ今思えば、それが人生最大の過ちでした。真由美は、私の裏切りが原因で体調を崩し、その後病気を患って亡くなりました。葬儀の場では、親戚や友人、そして娘からも責められました。「お母さんはお父さんのせいで亡くなったんだ」と罵られた言葉が、今でも耳にこびりついています。私はそれを否定することもできず、ただうなだれるしかありませんでした。それ以来、娘や親戚とは絶縁状態が続いています。こうなることはある程度わかってたことです。浮気が発覚してから妻が体調を崩し病気まで見つかってしまった。私が悪いとしか言いようがありません。いや、実際そうなのですが……その後浮気相手と一緒になった私ですが、その生活も長くは続きませんでした。一緒に暮らし始めてわずか1年も経たないうちに、彼女は私の元を去りました。ある日帰ってきた時に家がもぬけの殻だったのです。それだけではありませんでした。私の預金や財産をすべて持ち去り、何も残さずに姿を消したのです。後からわかったことですが、彼女の目的は最初から私のお金だったようです。自慢ではないのですが私も会社ではある程度の立場を築いていましたから家族を捨ててまで選んだ相手に、こんな形で裏切られるとは思いませんでした。

すべてを失った私は、生活を立て直すために清掃の仕事を始めました。それまでの会社員時代の生活とはまったく異なり、朝から晩まで体を動かし続ける日々です。収入は最低限で、贅沢なんてできるはずもありません。でも、これが私の報いなのだと思っています。自分の身勝手な行動が、今の孤独で貧しい生活を招いたのですから。

そんな毎日ですが、夜になるとやはり考えてしまいます。「なぜあのとき、真由美と娘を裏切ったのか」と。後悔しても遅いことはわかっています。それでも、あの穏やかな家庭に戻りたいと願う自分がいます。けれど、それはもう叶わない夢です。

最近では、体の衰えも感じるようになりました。清掃の仕事は思った以上に体力を使うので、年々きつくなってきています。それでも働き続けるしかありません。誰かを頼るわけにはいきませんし、頼れる人もいません。私は、自分の過去と向き合いながら、ただ毎日を過ごしているのです。

家族を捨て、愛を裏切った男の末路としては、これがふさわしいのかもしれません。それでも時折、あの頃の幸せな記憶が胸を締めつけるように思い出されるのです。

清掃の仕事を始めてから15年。地道な生活には慣れていましたが、最近は少しずつ体の調子が悪くなってきました。朝早く起きるのが辛く、咳も止まらない日が続いています。最初はただの風邪だと思い込み、無理をして仕事を続けていましたが、どうにもならないほど体が重く感じるようになりました。

ある日、息切れが酷くなり、作業中に膝をついてしまいました。周りの同僚から「病院に行った方がいい」と心配されましたが、医療費の心配が先立ち、なかなか行く気になれませんでした。しかし、夜も咳で眠れなくなり、これはもう限界だと思い、意を決して病院へ向かいました。

診察の結果、医師から告げられたのは「肺がん」の診断でした。言葉を失いました。医師の話によれば、進行がかなり進んでおり、治療の選択肢も限られているとのこと。私はただ静かにその言葉を聞くしかありませんでした。「これが私の終わりか」と思うと、不思議と諦めの気持ちが湧いてきました。家族を裏切り、自分勝手な生き方をしてきた私には、こうなるのが当然なのだと感じたのです。

治療については、医師から「家族と相談してください」と言われました。しかし、私には相談する家族がいません。これを機に、もう全てを受け入れるべきなのかもしれないと考えました。せめて最後は静かに、この世を去るのがいいのではないかと。

そんなある日、仕事を終えて自宅に戻ると、ドアの前に一人の女性が立っていました。顔を見た瞬間に、それが娘の杏奈だとわかりました。15年以上会っていなかったため、多少容姿は変わっていましたが、あの時の面影が残っています。隣には男性と小さな子供がいました。おそらく杏奈の夫とその子どもでしょう。

思いがけない訪問に動揺しながらも、家の中に招き入れました。杏奈は最初、緊張した面持ちで言葉を選ぶように話し始めました。「お父さん、病院に行ったんでしょ?」その言葉に驚きました。どうやら、私が診察を受けた日に杏奈も病院にいたらしく、偶然私の名前を見つけたのだそうです。さらに驚いたのは、隣にいる男性が私を診察した医師だったことです。杏奈は「父親が重病だと知って、ほっとけなかった」と言い、ここに来た理由を話してくれました。私は娘に会わせる顔などありませんでした。「もう忘れてくれ」と突き放すつもりでしたが、杏奈は毅然とした表情で言いました。「お父さんがしてきたことは許されない。お母さんを悲しませたことも、私を捨てたことも。でも、だからといって何もせずに見送るのは後悔すると思うの」。その言葉に胸が詰まりました。私のことを心から憎んでいるはずなのに、こうして顔を見せてくれた杏奈の優しさが痛いほど伝わってきたのです。

それ以来、杏奈は夫や子どもを連れてよく家に来てくれるようになりました。孫と遊ぶ時間がこんなに楽しいものだとは思いませんでした。孫たちの笑顔を見ていると、「もっと生きたい」と思う気持ちが湧いてきます。自分の過去を悔やむ日々から、未来を見据える日々へと少しずつ変わっていきました。杏奈は決して過去を許すとは言いませんでした。それでも「お父さんには、最後まで生きる努力をしてほしい」と力強く言ってくれました。その言葉に背中を押され、私は治療を受けることを決意しました。確かに、これまでの人生は後悔ばかりでしたが、今からでも遅くない。娘夫婦や孫たちに恩返しをするために、何が何でも生き抜いてみせます。

病室の窓から見える景色は変わらないけれど、私の心には新しい光が差し込んでいるように感じます。私はもう一度、生きるために立ち上がります。この命が尽きるその時まで、全力で生き抜いてやるつもりです……今の私は一人ではないので…

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