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看護婦

いつまでも若く感動純愛
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俺は結婚を諦めた男だ。もう42にもなると、周りの奴らはほとんど家庭を持ってる。昼休みになると、同僚がスマホで子供の写真を見せ合い、「うちの息子がさ~」とか「最近、娘が生意気でさ」とか、そんな会話が当たり前になっていた。

俺は適当に相槌を打ちながら、その輪の外でコーヒーを飲む。羨ましいとは思わない。いや、思いたくないだけかもしれない。

だけど、時々、ふと考えてしまう。あのとき、違う選択をしていたら、俺にもこんな未来があったんだろうか。

佐々木京香。俺より6歳下の、かつての恋人。もう別れて11年が経つ。京香が25、俺が31のときだった。

付き合い始めたのは、彼女が大学生の頃。俺は社会人で、年上の余裕を見せつつ、彼女を引っ張っていくつもりでいた。

だけど、京香が看護師になってから、状況は一変した。彼女の仕事は不規則だった。夜勤があるし、急な呼び出しもある。

デートの約束をしても、「ごめん、やっぱり今日、無理かも」と直前でキャンセルされることも増えていった。

最初は仕方ないと思ってた。俺も仕事で忙しいし、会えないなら次の機会を作ればいい。だけど、そう思えなくなるくらい、会えない時間が増えていった。一方で、京香はどんどん成長していった。夜勤明けでも先輩に呼ばれたらすぐに病院へ行き、勉強熱心だった。

「早く一人前になりたいの」なんてキラキラした目で言う京香に、俺は最初「頑張れよ」と笑っていた。

でも、次第に俺の中に違う感情が生まれていった。俺って、京香にとって何なんだろう?

「仕事が第一」

「患者さんのために」

「看護師として成長したい」そう言って努力する彼女が、俺には遠い存在になっていく気がしてならなかった。デートもできず、連絡も減り、ただ彼女の忙しさを理由に我慢するしかない。俺の中に、寂しさと焦りが入り混じる。それが次第に、疑いへと変わっていった。

本当に仕事なのか?もしかして、他に男がいるんじゃないのか?考え始めると、もう止まらなかった。京香が夜勤の合間に連絡をくれても、素直に「ありがとう」と言えなくなっていた。代わりに、心のどこかで「言い訳なんじゃないのか?」と疑ってしまう自分がいた。

そして、ある日。「お前さ、本当に俺のこと好きなの?」自分でも驚くくらい、嫌な言い方だったと思う。

京香は、ぽかんと俺を見た。

「……何それ?」

「俺たち、もうダメじゃね?」

「……啓介さん、それ、本気で言ってる?」

「……わからねえよ。お前、最近俺のことなんかどうでもいいんだろ?」

京香は、黙ったまま俺を見つめていた。まるで、「何を言ってるの、この人?」という顔だった。

しばらくの沈黙のあと、彼女はふっと笑った。

「……好きだけど、そう思うなら、もういいよ」その言葉が、まるでスイッチだったみたいに、俺たちは別れた。

あれから11年。最初は「仕方なかった」と思っていた別れが、年を重ねるごとにじわじわと心を締め付けるようになった。

京香は今、どこで何をしているんだろう。もう結婚して、子供もいるんだろうか。きっと優しい旦那と可愛い子供に囲まれて、幸せに暮らしているに違いない。そんなことを考えていたある日、俺は仕事中に派手にやらかした。

現場の点検中、足元の溝に気づかず踏み込んだ。次の瞬間、鈍い音と激痛が脳天を突き抜けた。全身が冷や汗でびっしょりになる。

誰かが大声で俺の名前を呼んでいるのが遠くで聞こえた。視界が揺れ、世界がぐるりと回転するような感覚とともに、そこで意識を失っていた。

「気付きましたか?」柔らかくて優しい声が耳に届く。懐かしさと驚きが、同時に襲ってくる。ぼんやりと目を開けると、白い天井と蛍光灯が視界に入った。そして、その隣に――。

「……京香?」

「ビックリしたよ、啓介さんにこんなところで会うなんて」11年ぶりに見るその顔は、大人びていて、どこか落ち着いた雰囲気になっていた。けれど、笑い方や声のトーン、俺の名前を呼ぶ口調は、あの頃と何も変わらなかった。俺は何か言おうとしたが、声が出ない。口をもごもごと動かすだけで、言葉が見つからなかった。

京香はそんな俺を見て、ふっと笑った。

「骨折、ひどいみたいね。しばらく入院だから、しっかり治してね」

「……あ、ああ」

「じゃあ、何かあったら呼んでね」それだけ言い残して、京香は病室を出ていった。俺は呆然と天井を見つめながら、心臓の音がやけにうるさく聞こえるのを感じていた。

それから京香は、毎日病室に顔を出してくれるようになった。

「消毒するね」「点滴、交換するよ」と淡々と仕事をこなす彼女。

俺も最初は気まずくて、ろくに話せなかったが、少しずつ昔のように会話ができるようになってきた。

「そろそろ体を拭きましょうか」京香が何気なくそう言った。

「いや、自分でできるから」

「看護師に任せなさい」そう言うと、彼女は容赦なく俺の服をまくり、温かいタオルで肌を拭き始めた。そのとき、彼女の香りと雰囲気に俺の意識とは別にあそこが反応してしまった。気付かれないようにしていたが、すぐに京香に気付かれてしまった。

「もう、何考えてるのよ!」そういって、バシッと肩を叩かれてしまった。それでも彼女は文句ひとつ言わず全身を拭いてくれた。

その時ふとあるものが目に入った。それは、彼女の左手薬指に、光る指輪。

俺は無意識に

「……結婚、したのか?」気づいたら、口に出してしまっていた。

京香は俺の手を拭いていたタオルを少し持ち上げ、ちらっと視線を寄こす。

「え?なんで?」

「いや……その指輪……」俺の視線をたどるように、彼女は左手の薬指を見た。

「ああ、これ?」京香は、何でもないことのように指輪を外し、指の上でコロコロ転がす。

「この歳になると周りから色々言われるのが面倒だから、ダミーでつけてるのよ」

「……ダミー?」

「うん。看護師ってほら、独身だと色々言われるのよ。『結婚しないの?』とか『いい人紹介しようか?』とか。うるさいから適当に誤魔化してるだけ」拍子抜けしたような、ホッとしたような、不思議な感情が胸をよぎった。

「そうなのか……」

「あなたに振られてから、誰とも付き合ってないよ」俺はその言葉に思わず息をのんだ。その言葉が、想像以上に心に刺さる。11年も経ってるんだぞ。俺が勝手に勘違いして、疑って、突き放したのに。彼女はずっと、一人でいたのか?俺は、京香を傷つけたことを悔いた。だけど、そんな後悔が今さら何になる?俺は俯いて、しばらく沈黙する。

「……ごめん」京香は一瞬、驚いたように俺を見た。

「……今さら謝ることじゃないから大丈夫よ」そう言って、いつものように微笑む。けれど、その笑顔の奥に、ほんの少し寂しさが滲んでいるように見えた。何か言葉をかけたかった。でも、言葉が見つからなく、そのまま黙ってしまった。京香がタオルを洗面器に戻し、立ち上がる。

「はい、おわり!じゃあ戻るね」そう言い残して、病室を後にした。

俺は、何もできなかった。

その後順調に回復し、退院することになった。もうこのまま京香に会えなくなるのは嫌だ!そう思った俺は、彼女に手紙を書いて退院の日に渡した。

彼女からの連絡が来るのを待ったが中々連絡がこない。

退院から3日が経ったある日、ようやくメールが届いた。

そこには、連絡は取らないでいようと思ったけど、もう一度向き合ってみようと思ったことがつづられていた。おまけには相変わらず字が汚いわねと書いてあった。でも一生懸命書いたのが伝わったようだった。

その後、京香とは連絡を取るようになり、メールのやり取りは自然にできるようになっていた。

俺は勇気を出して食事に誘うと、「久しぶりだから、奢ってくれるよね?」と冗談を言いながら、あっさりとOKしてくれた。

そうやって、少しずつ距離が縮まっていく。

「そういえば、家でご飯作ることなんてあるの?」

「最近はほぼ外食。でも、料理は嫌いじゃない」

「じゃあ今度、作ってあげようか?」そんな流れで、京香が俺の家に来ることになった。彼女がキッチンで料理をしているのを、俺はソファに座って眺める。フライパンを振る彼女の後ろ姿は、昔と何も変わらない。

「何ボーっとしてるの?」京香が振り向き、味見用のスプーンを差し出す。

「ちょっと味見して」スプーンを口に含む。

「あぁ……うまいよ」素直にそう言うと、京香は嬉しそうに笑った。

「よかった」俺はその笑顔を見ながら、ふと、昔のことを思い出す。

京香が一生懸命、夜勤明けでも料理を作ってくれたこと。

「食べてもらえるのが嬉しいんだよ」なんて言って、少し照れくさそうに笑っていたこと。あの頃、俺は当たり前のように受け取っていた。彼女が俺のために何かしてくれることも、俺が彼女の傍にいることも、すべて。だけど、当たり前じゃなかったんだ。

「……京香」

「ん?」

「どうして、あのとき別れようって言ったんだろうな……」京香は、一瞬手を止めた。そして、少しだけ目を伏せる。

「……私も、聞きたかった」彼女はまっすぐに俺を見つめた。「ねえ、啓介さん。どうして?」どうして――。俺は、言葉を探す。でも、結局、ひとつの答えしか見つからなかった。「たぶん寂しかったんだと思う。俺がバカだったんだ」京香は、何か言おうとしたけど、何も言わずにそっと俺の肩にもたれかかった。俺の心臓が、少しだけ早くなる。京香の体温が、俺に伝わる。

「……まだ好きだよ」気づいたら、俺はそう言っていた。京香が、ゆっくりと顔を上げた。

俺たちは、ただお互いの目を見つめ合った。彼女の唇が、ほんの少し震えているのがわかった。そして――俺は、京香を抱き寄せた。

彼女は驚いたように一瞬体を強ばらせたが、すぐにそっと目を閉じた。そして、俺たちは再び、唇を重ねた。それは、11年分の時間を取り戻すような、甘くて切ないキスだった。

京香の指が、俺のシャツのボタンをひとつひとつ外していく。俺も彼女のブラウスの裾に手をかけると、彼女は少し恥ずかしそうに頬を染めた。

「……なんか、照れるね」俺は微笑んで、そっと彼女の頬を撫でた。

「……大丈夫か、京香?」彼女はゆっくりと頷いた。

「ずっと……こうしたかった」その言葉に、俺は胸が熱くなる。京香を抱きしめ、ゆっくりとベッドへと導いた。絡み合う指、熱を帯びた吐息。触れ合うたびに、お互いが求めていたものが伝わる。11年分の寂しさを埋めるように、俺たちは何度もキスを交わし、ゆっくりと身体を重ねていった。

朝、目が覚めると、京香は俺の隣で静かに寝息を立てていた。髪の乱れた彼女を見て、俺はなんとも言えない幸福感に包まれる。ふと、彼女の左手を見ると、あのダミーの指輪は外されていた。俺はそっと彼女の手を握ると京香が目を覚まそいた。

「……おはよう」

「おはよう」俺は、もう決めていた。今度こそ、もう二度と手を離さない。

「京香、指輪を買いに行こう」彼女は少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐにふわりと微笑んだ。

「……うん」それだけ言って、俺の胸に顔をうずめた。俺は彼女の肩をそっと抱きしめる。

雨上がりの朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。

俺たちは、ようやく同じ時間を生き始めたのだ。

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