
「しばらく、お世話になりますね」麻美さんは微笑んだ。49歳とは思えないほど若々しく、肌に張りがあり、整った顔立ちは上品な色気をまとっていた。美香と結婚する前から、「義母にしては綺麗すぎる」と思っていたが、義母は義母であり、特別な感情を抱くことはなかった。
だが、それは今日までの話だ。美香の実家を建て替えることになり、工事が終わるまでの間、義父と義母がうちに居候することになった。「お母さんが家事をやってくれるなら助かるし、いいんじゃない?」と美香は気軽に承諾し、僕も「もちろん、大歓迎です」と答えた。問題は、義父の隆さんが仕事で全国を飛び回っていることだった。
月に数回しか家に戻らない義父に代わり、必然的に僕と麻美さんが二人きりになる時間が増える。最初はそれがどんな影響を及ぼすのか、深く考えたこともなかった。だが、少しずつ何かが変わり始めていた。最初に感じたのは、生活の変化だった。
朝起きれば、朝食が用意されている。仕事から帰れば、温かいご飯が待っている。
「おかえりなさい。お疲れさま」そう言って迎えてくれる人がいる生活が、こんなにも居心地のいいものだとは思わなかった。
美香も料理はするが、忙しいときは簡単なもので済ませることが多かったし、僕自身も一人で適当に食事をとることが多かったためだ。
「康太くん、これ好きだったでしょ?」そんなふうに、僕の好みを覚えてくれているのも嬉しかった。何気ない会話をしながら二人で食卓を囲む時間が、次第に心地よくなっていった。しかし、それ以上に変化を感じたのは、麻美さんの 無防備さ だった。
家の中ではラフな格好をしていることが多く、風呂上がりには薄手の部屋着姿でリビングにいることもあった。洗濯物を干しているとき、ふと振り向いた麻美さんのシャツが風で肌に張りつき、体のラインがはっきりと浮かび上がる。エプロン越しに覗くしなやかな腰のカーブ。意識しないようにしていたつもりが、ある時ふと、目が合った。
「……どうしたの?」
「あっ、いや、なんでもないです」
「そっか。なんだか、変な顔してたよ」軽く笑って、また料理に戻る麻美さん。僕は、気まずさを誤魔化すように、無理やり視線を逸らした。
妻がいないときは、ソファで並んでテレビを観ることが増えた。ほんの数センチの距離しかない。
「康太くんって、意外とがっしりしてるのね」
「え、そうですか?」
「うん。細身だと思ってたけど、腕とかしっかりしてる」そう言って、軽く僕の腕を触れる。
「運動してるの?」
「ああ、まあ、仕事で多少動くんで」何気ない会話のはずなのに、僕は言葉を返すのがやっとだった。こんなささいなスキンシップすら、なぜか意識してしまう。それが わざとなのか、無意識なのか は分からなかった。
そんなある晩、二人で晩酌をしていたときのことだった。
「康太くんって、優しいよね」
「いきなり、どうしたんですか?」
「なんとなく。美香が羨ましいなぁって」
「……そんな、普通ですよ」少し頬を染めながら、麻美さんは僕をじっと見つめる。
「もしね、私がもうちょっと若かったら…なんて、冗談よ?」冗談のはずなのに、その目には 甘い光が宿っていた。風呂場に入り、熱い湯に肩まで浸かる。麻美さんの言葉が頭の中をぐるぐる回る。
最近の麻美さんは、確実に僕を揺さぶっている。試されているのか、それとも…考えを巡らせていると、 浴室の扉がノックされた。
「……康太くん?」驚いて顔を上げる。
「はい?」
「ごめんなさい、ちょっと失礼するわね」扉が開く音がした。
「えっ…」振り返ろうとしたが、「後ろ向いたままでいてね」と言われ、硬直する。気配がすぐ後ろに近づくのを感じた。
「…せっかくだから、背中流してあげるわ」僕のすぐ後ろに、麻美さんが座った。手が、背中に触れた。冷たい指先が、そっと肩に滑る。
「…意外と、硬いのね」指がゆっくりと肩から腰へと降りていく。それだけで、全身が粟立つのを感じた。
「……麻美さん、それは…」
「じっとしてて。…すぐ終わるから」その言葉の響きとは裏腹に、彼女の手つきはじっくりと、感触を確かめるようだった。
「康太くん、だめ?」耳元で囁かれる。
「……だめじゃ、ないです」そう呟いた瞬間、 何かが決壊した。
「そっか…よかった」次の瞬間、 麻美さんの唇が、僕の耳元に触れた。唇が耳元に触れた瞬間、体の奥から熱い何かがこみ上げた。
「……麻美さん」そう呼んだ声は、自分でも驚くほどかすれていた。
「ん?」軽く微笑むような声。背中を流すはずだった手は、肩から腕へと移動し、やがて僕の腰へと滑っていく。
湯気の中で、彼女の指先の感触が妙に鮮明だった。
「…ねぇ、康太くん」囁く声が、やけに甘く響いた。
「こんなの…本当は、ダメよね?」ダメに決まっている。それでも、僕は逃げることができなかった。
気づけば、僕は振り向き、彼女を抱き寄せていた。湯気の中、しっとりと濡れた肌が触れ合う。
麻美さんは抵抗しなかった。それどころか、そっと目を閉じ、すべてを受け入れるように体を寄せてきた。
「…このまま…」そう囁かれた瞬間、理性は完全に崩壊した。その夜、僕たちは一線を越えた。
浴室の中で、何度も何度も求め合い、気がつけば朝になっていた。目を覚ますと、隣には麻美さんがいた。柔らかい布団の中、彼女は静かに微笑んでいた。
「おはよう、康太くん」
「…おはよう、ございます」まるで昨夜のことがなかったかのように穏やかな顔。けれど、肌のぬくもりは、何もかもが現実だったことを示していた。
「…どうするつもりですか?」そう聞くと、麻美さんは、ふっと笑った。
「どうもしないわ」
「…え?」
「このまま、普通に過ごすだけ。…それじゃ、ダメ?」ダメに決まっている。でも、今さら後戻りもできない。
「…また、夜にね」そう囁いて、彼女は先にリビングへ向かった。
それから、僕たちは何度も、何度も、逢瀬を重ねるようになった。義父がいない夜は、当然のように麻美さんの部屋へ向かう。
あるいは、僕の部屋に彼女がやってくる。静まり返った家の中、妻が眠るすぐ隣の部屋で、背徳の時間が繰り返された。
そんなある日、事態は一変する。美香が仕事で早く帰ってきたのだ。
「ただいまー。あれ、康太、今日は早かったの?」
「お、おう。まあな」思わずぎこちなくなる。隣では、麻美さんが静かに微笑んでいた。
「今日はお母さんがすき焼き作ってくれたんだ。やっぱり手料理は嬉しいな」何も知らない美香が、笑顔で食卓につく。
麻美さんは、何事もなかったかのように、箸を取りながら口元に笑みを浮かべた。
「美香のために、これからも美味しいもの作るわね」まるで、何もなかったかのように。夜、寝室で美香が話しかけてきた。
「ねえ、お母さん、なんか最近楽しそうじゃない?」
「…そうか?」
「うん。なんか、昔に戻ったみたいな感じ」何気ない一言だった。でも、僕の胸の奥に鋭く突き刺さる。
「康太も、お母さんに感謝してるでしょ?」
「あ、ああ…もちろん」
「よかった。お母さんがここにいる間、仲良くしてあげてね」美香の言葉が、皮肉のように聞こえた。
仲良く、なんて、とっくに通り越しているのに。その夜も、僕は麻美さんの部屋へ向かった。扉をノックすると、すぐに開く。
「…待ってたわ」そう言って微笑む麻美さんを、僕は抱きしめた。罪悪感は、あった。でも、もう後戻りはできない。
美香に隠れて続く関係。義父に知られたら、すべてが終わる。それでも、僕はやめることができなかった。
「これから、どうするつもりですか?」ある夜、僕はそう聞いた。
すると、麻美さんは少しだけ考えたあと、静かに微笑んだ。
「このままでいいわ」
「…バレたらどうするんです?」
「その時は、その時よ」
「…怖くないんですか?」
「怖いわよ。でも、それより、こうしているほうが大事だから」僕は何も言えなかった。
僕たちの関係は、まだ続く。この先に何が待っているのかは分からない。ただひとつ、分かっていることがある。もう、元には戻れないということだけだ。