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初老の春

いつまでも若く感動純愛

康弘は、小さな配達会社で働く配達員をしていた。毎日のように荷物を運び、汗をかきながら必死に仕事をしている。けれども、彼にはいつも時間が足りなかった。同僚が9時間以内で終える配達を、彼は12時間近くもかかってしまう。要領が悪いと自覚していたからこそ、人一倍丁寧に仕事をする。それが康弘の「真面目さ」だった。けれど、その真面目さが彼を苦しめることもあった。

「努力しても、どうしても要領よく出来ない。結局、いつも遅れてばかりだな……」と独り言のようにつぶやくこともある。でも、それでも彼は自分のペースを変えられなかった。荷物を丁寧に扱い、話しかけられると遮ることが出来ずつい聞きこんでしまったり。そんな小さな積み重ねが、彼の時間を奪っていくのだった。

ある秋の日、康弘はいつも通りの配達ルートを急いでいた。空はどんよりと曇っていて、風は冷たく肌を刺すようだった。そんな時、目の前でおばあちゃんが足をもつれさせて転んでしまうのが見えた。一瞬どうしようか悩んだが康弘は急いで車を路肩に停め、おばあちゃんのもとへ駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

「ありがとうねぇ、歳を取ると足がもつれて……」

康弘は手を差し出し、おばあちゃんはその手をぎゅっと握り返した。少しの間、二人で立ち上がるまでを見守り、康弘は「後で痛くなるかもしれないから、病院に行ってくださいね」と丁寧に伝えた。その後おばあちゃんと少し会話をし、再び配達に戻ると、時計を見てハッとした。予定より30分も遅れていた。

「急がなきゃ、急がなきゃ……」と呟きながら、アクセルを踏む康弘。だが、焦るほどに道は思い通りには進まない。長い信号、遅れる配達先の対応、気がつけば、予定を大幅にオーバーしてしまっていた。

会社に戻ると、社長に「また遅れたのか!」と怒鳴られ、いつものように「すみません……」と頭を下げる。その日はただの叱責で終わったかに見えたが、翌日、康弘は会社の倉庫に呼び出された。冷たい風が吹く倉庫の中で、社長から聞かされたのは思いも寄らない言葉だった。

「もういい加減にしてくれよ。最近はクレームも増えてるし、これ以上かばうのも限界だよ」

その一言が、康弘の心に突き刺さった。社長は元々自分のペースでやってくれたら良いからと優しい言葉を投げかけてくれていた。だが、ここ数年はため息交じりで会話されることも多く、最近では怒鳴られることも珍しくなくなっていた。倉庫の奥の暗がりに目をやりながら、これ以上早く自分には出来ないのにどうしたら良いんだと憤っていた。

 数日後、いつもの配達先である美容院に着くと、美容師の女性が康弘に声をかけてきた。彼女は優しく微笑みながら、康弘に頭を下げた。「この前は母を助けてくださって、本当にありがとうございました。母から聞いて、すごく嬉しかったです」

「え?」

彼女の笑顔は柔らかくて、康弘の胸に温かいものが広がるのを感じた。彼女はあの時助けたおばあちゃんの娘さんだったのだ。康弘はそのことに驚きながらも、「僕はただ……」と答えたが、うまく言葉が出てこなかった。彼女の笑顔があまりに眩しく、思わず視線をそらしてしまった。

「よかったら、お礼も兼ねてうちで食事でもしませんか?母がずっと誘えって言ってくるんです」と彼女は言った。その言葉に康弘はさらに驚いたが、戸惑いながらも誘いを受けることにした。けれど、心の中ではまた自信のない自分が顔を出す。彼女の期待に応えられるのか、自分なんかでいいのだろうか、そんな思いが、胸を締め付けた。

そして、約束の日。康弘は、いつも通りの配達に追われていた。いつもより早く終わらせようと心がけたが、いつものようにもたもたしてしまい、結局また遅れてしまった。時計の針が約束の時間を過ぎていくのを見つめながら、康弘は「またやってしまった」と自己嫌悪に陥った。車を運転する手が汗で滑りそうになる。

「すみません、遅れます。あと30分くらいかかりそうです……」

震える手で彼女にメッセージを送ると、「気にしないで、待ってます」という返事が届いた。彼女の優しさが、むしろ康弘には痛く感じられた。「こんな僕のために、彼女は待ってくれている……」そう思うと、胸の奥が締めつけられるような気持ちになった。

彼女の家に着いたのは、約束の時間を1時間も過ぎてからだった。冷たい風が吹きつける玄関先で、彼女は小さく手を振りながら待っていてくれた。彼女の頬は寒さで赤く染まっている。康弘はそれを見るたびに、迷惑をかけた自分を責めた。

「すいません。寒い中お待たせして」と彼は何度も頭を下げた。彼女は「本当に大丈夫ですよ」と笑顔で返したが、康弘の中の負い目は簡単には消えなかった。

部屋の中に入ると、彼女の母親、あの時助けたおばあちゃんが、手料理をたくさん用意して待ってくれていた。煮物や煮魚、手作りの味噌汁がテーブルに並んでいる。康弘はその温かな光景を見て、胸がじんわりと温かくなるのを感じた。

食事中、彼女は康弘に話しかけた。

「実はね、前からお話したかったんです。あなたが配達中に、店の前に落ちてたゴミを拾ってくれたのを見かけたことがあって。その時、屋上から見ていたんです。それを見て、この人はきっと真面目で優しい人なんだろうなって思ったんです」

彼女の言葉に、康弘は視線を落としながらも、胸が温かくなるのを感じていた。自分の些細な行いが、こんな風に誰かに伝わっていたなんて。自分が無駄だと思っていたことに、意味があったのだと感じたのは初めてだった。

「僕、不器用で……いつも遅れてしまうし、周りに迷惑をかけてばかりなんです」

彼女はその言葉を聞いて、小さく首を振った。

「私は、そういうところが好きですよ。誰よりも一生懸命で、人のために手を差し伸べることができる……それってすごいことですよ」

彼女の優しい声が、康弘の心に染み渡るように広がった。そして、康弘は37歳にして、初めて彼女ができた。彼女は一つ年上の38歳。一緒に過ごす時間が増えるにつれ、これまで「自分は迷惑ばかりかけている」と感じていた康弘の心に、少しずつ自信が芽生えていった。見て見ぬふりをせず、人のために手を差し伸べてきた自分が、こうして報われたような気がしたのだ。彼は心の中でつぶやき、彼女の温かい笑顔を見つめた。彼女もその視線に気づいて、頬を赤く染めて目をそらした。

そんな良いことがあった翌月、社長が誰かとヒートアップしながら電話応対をしていた。後で事務員に聞いたら荷物の中身が損傷していることへのクレームの応対だった。その時、「うちの康弘は多少モタモタはしますが、荷物を損傷するような行動は絶対にしません。仮にそういうことがあったとしても絶対に黙ったままにしない男です。その点に関しては明確に否定させて頂きます。」と聞こえてきました。そして、その点に関しては明確に否定した上で今後どうするのか話し合いをしているようだった。

康弘はその社長の言葉に、荷物を積み込みながら涙を流し、配達に出かけた。

見てくれている人は見てくれている。これからも、不器用なままかもしれない。でも、そんな自分を受け入れてくれる人がいる。こんな生き方しかできない自分だけど、初めて自分のことが好きになれたかもしれない。そして少しだけ配達の仕事が好きになった。たとえその道が遠回りでも、これからも誠実に進んでいきたいと彼は思っていた。

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