彼女が僕の胸に飛び込んできたのは、雷が激しくなる雨の夜だった。激しい雷鳴が窓を震わせる中、麻衣さんは突然現れた。息を切らし、目には涙を浮かべていた。
「ごめんなさい…怖くて…」言葉を最後まで言い切る前に、彼女は僕の胸に顔を埋めた。その瞬間、僕の心臓は跳ね上がり、手足の感覚がなくなるほど緊張していた。けれど、震える彼女をそっと抱きしめるしかなかった。雷鳴が鳴るたびに彼女の体はびくりと震え、僕の腕を掴む力が強くなる。
「大丈夫ですよ…怖くないです。」そう言いながらも、僕の方が緊張で心も体も暴れまわっていた。僕の腕の中には、美人過ぎるお隣さんの麻衣さん。だけど今の彼女は、全く別の人に見えた。弱さをさらけ出し、僕を頼ってくるその姿に、僕はどうしていいかわからなくなる。煩悩とひたすら戦っていると気づけば雷は遠のき、僕は疲れて寝てしまっていたようだ。そして彼女も僕の胸の中で静かに寝息を立てていた。その瞬間、胸に押し寄せた感情の波に僕は完全に呑み込まれた。
すべての始まりは、引っ越しの日だった。
「こんにちは、隣に越してきた中村です。」僕がお隣に挨拶をしにいくと、ドアが開き彼女が現れた。最初の印象はただ一言――美しい人だった。肩までのゆるいウェーブのかかった髪、細い鎖骨が覗く首元。そして、何よりその目だ。僕の言葉を聞くなり、その目が少しだけ笑い、「あら、同じ苗字なんですね」と口元に微笑みを浮かべた。
その後のやりとりなんて、ほとんど覚えていない。たしか、「下の名前も教えて」と聞かれて、「武史です」と答えたような気がする。けれど、それ以上のことは、僕の頭の中に残っていない。ただ、彼女の名前は麻衣さんということだけを覚えていた。僕の隣人であること、そして自分には無縁だと思っていた「美しい人」との日常が突然始まったということだけが、記憶の中で強く残っている。
ただ、隣に住んでいるとはいえ、麻衣さんとはそんなに接点があるわけではなかった。僕は基本的に内向的な性格で、たまに出会っても挨拶するするくらいで中々会話することは出来なかった。それに、彼女のような「華やかな人」と話すなんて、自分にはハードルが高すぎる気がして自分から話しかけることは出来なかった。
それが変わったのは、病院での出来事だった。
「中村さん」と名前を呼ばれ、診察室に向かおうとしたその瞬間、奥に座っていた麻衣さんも立ち上がった。驚いた僕が彼女を見ると、麻衣さんも「あれ?」と目を丸くしていた。結局、その「中村さん」は僕でも彼女でもない別人だったのだが、その後、彼女が隣に座り直し、「間違えちゃいましたね」と笑った。そこで初めて、僕たちはまともに会話を交わした。どうやら僕たちは同じ病気で通院しているらしい。それが共通点となり、徐々にお互いのことを話すようになった。彼女の声にはいつも落ち着きがあり、僕が緊張しているのを察すると、冗談めかした一言で場を和ませてくれた。
そんな日々が続き、気づけば彼女が手作りのおかずを差し入れたりしてくれるようになった。
「これ、よかったらどうぞ。作りすぎちゃったから。」そう言って渡してくれる彼女の笑顔に、僕は胸が熱くなった。
それから数週間後、僕が洗濯物を干していると、隣の部屋から突然悲鳴が聞こえた。驚いた僕は急いでチャイムを鳴らしたが、応答がない。嫌な予感がして「麻衣さん、大丈夫ですか!」と声をかけても出てこない。「入りますね」と言いながらドアを開けると、そこに立っていたのは、薄いネグリジェ姿の彼女だった。
「ど、どうしました…?」目のやり場に困りながら僕が尋ねると、彼女は顔を赤くしながら「あ、あの、そこにゴキブリが…」と消え入りそうな声で答えた。「え、えっと…ゴキブリ、ですか?」僕は一安心と共に額に汗を滲ませながら、震える声で聞き返した。
「そうです!あの、そこの隅に…!」麻衣さんは半泣きで指を差した。実は僕もゴキブリは大の苦手だ。それでも彼女の為に僕は覚悟を決め、家からホウキとチリトリを持ってきた。「じゃあ、いきますよ!」と声を上げながらも、内心では「頼むから動かないでくれ…」と祈る。
ようやく駆除が終わると、麻衣さんがパチパチと拍手をした。「武史さん、すごい!本当に助かりました!」
「いや、いや…どういたしまして…」僕は思わず彼女の薄いネグリジェ姿に目をやってしまい、顔が熱くなる。「そ、その…麻衣さん、何か羽織ってください!」
「えっ…あ、ごめんなさい!」慌てて部屋に戻る恥じらう彼女の後ろ姿を見ると、僕は「なんだこれ、ラブコメかよ」と心の中でツッコミを入れていた。
そして、あの雷雨の夜――。
雷が鳴り響く中、突然チャイムがなり彼女が僕の部屋にやってきたのだ。何とか落ち着かせようと震える彼女をリビングに案内し、毛布を掛けて落ち着かせようとしたが、雷鳴が鳴るたびに彼女は僕にしがみついてきた。
「ごめんなさい…怖くて…」その声に、僕は何も言えなかった。ただ、彼女を抱きしめることでしか、不安を取り除いてあげることができなかった。
どれくらい経っただろうか。気がつけば雷は収まり、僕はいつの間にか眠ってしまっていた。そして彼女も僕の胸の中でスースーと静かに眠っていた。目が覚めた彼女は、「ごめんなさい。守ってくれてありがとう」と僕にそっとキスをして部屋を出て行った。その夜、僕は34歳にして初めてのキスを経験した。
再び家のチャイムが鳴る。1時間。僕は彼女にキスをされ呆けていたようだ。今回は彼女がお礼にと手料理を持ってきてくれた。そしていきなり、「武史君、私と付き合いたい?」と直球で問いかけてきた。僕は緊張しながらも「はい」と答えた。その夜、僕たちはぎこちないながらも、お互いを求め合った。1回目はうまく出来なかったけど、一晩で4回も彼女を抱いてしまった。
「私も初めてだったのに武史君凄すぎるよ」と彼女が布団で顔を隠しながら伝えてくれた。彼女曰くお付き合いしたことはあったけど彼女もこの年まで経験が無かったそうだ。男性に触れられるのが嫌で仕方なかったそう。だけど僕だけは何故か不思議に触られても心地よかったらしい。
34歳にして、僕は初めて「恋愛」を経験しようやく大人になった。それを機に、僕たちは新たな関係を築き始めた。これが僕と麻衣さんの馴れ初めであり、僕の人生が大きく変わるきっかけとなった物語だ。
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