
私の名前は田中敏江、先日もう58歳になりました。
夫が60歳で定年退職した日、私は少しだけ晴れやかな気持ちでした。
会社帰りに小さな花束を持って帰ってきた夫は、どこか照れくさそうで、でもホッとしたような表情を浮かべていました。
42年も朝早くから夜遅くまで、真面目一徹で働いてきた人です。夫が定年を迎えたことは、どこか私自身の区切りのようにも感じていました。ようやく、やっとこれから二人でゆっくりできるんだなと。私は心のどこかで、小さな期待のようなものが芽生えていたのです。
夫が退職してから最初の一ヶ月くらいは、本当に穏やかでした。朝、一緒にコーヒーを飲みながらテレビを見たり、買い物に行ったり。
夫が買い物についてくるだけで新鮮でした。でもついつい余計なものを買ってしまうんですけどね。これ買っても良いかと聞いてくる姿が可愛く思えたりして、ああ、幸せだなって、なんて微笑んでいたものです。
けれど、そんな気持ちも、時間が経つにつれて少しずつ変わっていきました。夫は、毎日家にいて、朝はいつまでもパジャマ姿でうろうろしてるし、新聞を読んではゴロンと寝転び、気づけばうたた寝。
動いていないのにちゃんとお腹はすくみたいできちんと3度の食事は用意しないといけないし。私に全く休む時間が無い状態が続いていたんです。それが数カ月も続くと何もしない夫に対し少しずつストレスが溜まってきてしまっていました。
最初は、「退職してすぐだし、今は休ませてあげよう」と思っていました。けれど、月が変わっても季節が移っても、夫の暮らしぶりは一向に変わらないまま。私は気づけば、毎日同じようなことを口の中でつぶやいていました。
どうしてもイライラすることが増えてしまっていました。
そんなある日、通帳を記帳しに行ったのですが開いてギョッとしてしまいました。
思っていた以上に、貯金が減っていたのです。そりゃそうですよね。退職金が入ったとはいえ、年金をもらうまでは無収入なわけです。これまで夫の給料でやりくりしていた生活費が、そのままそっくり貯金から出ていっているわけですから。
年金が入るまで、あと数年、早くもらうことも出来るけど減らされるのは嫌だし、どうしようかずっと考えていました。
なんだか不安で、心臓がきゅっと縮こまるような感覚に襲われていました。
夫にそれとなく伝えてみても、返ってくる返事は「大丈夫でしょ」「何とかなるよ」とお気楽な返事ばかり。
いつ何時、病気になってお金が必要になったりするかわからないのに呑気なものなのです。
焦る気持ちと、どんどん減っていく通帳残高、そして夫の危機感の無さ。
私は、ひとりで気持ちの行き場を失い、ついに決断しました。
さすがに夫にまた働いてきてというのは、心が引けるので久しぶりに私が外へ働きに出ることにしたのです。
50代手前までパートはしていましたが、いざこの歳でパートに出てみると、久々の仕事はやっぱりきつかったです。
でも、月に数万円でもお金が入ってくるだけでどこか救われるような気持ちにもなりました。
朝の空気を吸って、制服に袖を通して、目的のある一日を過ごす。
そんな当たり前のことが、家の中にこもっていた時よりもずっと気分を軽くしてくれました。
夫はというと、最初はぼんやり私の支度を見送っているだけでしたが、私が働いているのが申し訳ないのか、
少しずつ、何かを思い直したように、洗濯物を取り込んだり、風呂掃除をしてくれるようになりました。
そして、ある日。仕事から帰ると、家の中に香ばしい匂いが立ちこめていました。
キッチンに行くと、揚げたてのコロッケが置いてありました。なんとYouTubeを見ながら自分で作ったとのことでした。
テーブルの上には、茹でたブロッコリーと、味噌汁らしきもの。
まあ、キッチンは荒れ放題でしたが、夫のその気持ちに、何とも言えないあたたかい気持ちに包まれました。
「ごはん、作ってみた」褒めて欲しそうな夫の顔を見て思わず笑ってしまいました。
私のために何かしてくれようとしているんだって、それだけで、涙が出そうになるくらい久しぶりに嬉しかったです。
私は、ご飯をよそいながら、ふと夫の手のぬくもりを思い出しました。
なんだか新婚時代を思い出すかのような温かさに触れ、とにかくうまく言葉にできない気持ちが、じわじわと込み上げてきたのです。
きっと、夫は気づいているのでしょう。私がパートに出たこと、黙って耐えていた気持ちに。
そういうこと、うちの康太さんは、案外ちゃんと見てるんです。私が心を閉ざしていない限り、夫は、ちゃんと何かを届けようとしているのかもしれません。
そのときには、まだ気づかなかったのですが、
私はきっと、もう一度夫に触れてほしいと思っていたのかもしれません。
あの日、私はいつもより少し早めに仕事から帰りました。
夫が台所で黙々と揚げ物をしている背中が見えて、思わずふふっと笑ってしまいました。
エプロンが逆さまで、油が跳ねたのか、袖に小さな染みができていました。
もう、ほんとに不器用なんだから――そう思いながらも、その背中がどこか頼もしく見えたのです。
夕食を一緒に食べて、いつものように片づけをして、テレビをつけて、私たちは並んでソファに座りました。
部屋の照明は落として、スタンドライトだけにして。
何か、そうするのが最近のお決まりのようになっていました。
そして、何の前触れもなく、夫がそっと私の手に触れてきました。一瞬、体がビクリと反応してしまいました。
昔はこんなこと、自然にしていたのに。なのに、いまはどうして、こんなにも身構えてしまうのか。自分でも情けなくなりました。
でも、夫の手はあたたかくて、やさしくて、握るでもなく、ただ重ねているだけのような触れ方でした。そのぬくもりが、じんわりと私の指先から胸に広がっていきました。
昔と同じではいられない。それは分かっています。でも、まるっきり違う自分になってしまったような気がして、怖かったのです。
年齢を重ねた身体は、正直です。張りもなければ、艶もない。鏡を見れば、年々落ちていく頬、目尻の皺、くすんだ肌。
若い頃は、自分の裸を恥じるなんて思わなかったのに、いまは夫に見られることすら、怖くなっていました。
夫の指が、私の肩にそっと触れたとき、私は反射的に身体をこわばらせてしまいました。恥ずかしさと不安と、でもどこか嬉しさが入り混じって、呼吸がうまくできなかったのです。夫はそれ以上何もせず、静かに手を引っ込めました。
私は何も言えず、そのまま二人並んで、静かな時間が流れました。
その夜は、言葉もなく、別々の布団に入りました。目を閉じても眠れず、天井を見つめながら、私はずっと考えていました。
どうしてこんなに怖いのだろう。愛されているのに、それを素直に受け取れない。
身体の変化も、心の変化も、全部ひっくるめて「歳をとる」ということなのかもしれません。
けれど、夫のやさしさを、私は拒みたくないと思っていました。ただ自信がなかっただけ。
この年齢になっても、女性として求められることに、まだ戸惑っているだけだったのです。
数日後、パート先で、同年代の女性たちと話す機会がありました。お茶を飲みながら、なぜだかふと、ぽつりと私の口から出てしまったのです。
「この歳で、夫に求められると、なんだか恥ずかしくて…」と。
すると、一人が笑いながら言いました。
「恥ずかしいくらいでちょうどいいのよ。うちなんてもう、手も握ってくれないわ」
その言葉に、私はなぜか救われたような気がしました。
ああ、そうか。求められることは、ありがたいことだったのだ。
ずっと一緒にいて、家族になって、空気のようになっていた夫が、それでも私を“女”として見てくれている。
私は、それをもっと大切に思うべきだったのかもしれません。
家に帰ると、夫がリビングでうたた寝をしていました。その寝顔を見ていると、胸の奥がじんと熱くなりました。
この人は、ずっと私のことを見ていてくれたんだ――そんなふうに思えて、静かに座って、夫の隣に寄り添いました。
自分の身体にもう自信はまったくありません。でも、愛されたい気持ちはまだちゃんとあるんです。夫のぬくもりがほしい。優しく包んで欲しい。心の奥で、そう願っている自分に、私はようやく気づくことができたのです。
週末の夜、私は早めにお風呂を済ませ、寝室の布団に入っていました。夫が迫ってきても良いように細部までお手入れをしました。こんなことは本当に20代の頃以来かもしれません。
外は風の強い日で、窓が少し揺れていました。電気を消した部屋の中で、私は毛布の中で静かに丸くなっていました。
夫はまだ居間にいたのか、食器の片付けをしていたのか、しばらくして寝室の戸がそっと開き、足音が近づいてくるのがわかりました。
私は目を閉じたまま、でも耳だけが敏感に夫の動きを追っていました。
布団に入る音、吐息、ほんのわずかな沈黙。そのすべてが、なぜだか胸を締めつけるように響いてきました。
隣に夫の気配があるだけで、心臓の音が強くなったように感じました。
こんな感覚、いつ以来でしょう。夫婦になって何十年も経って、こんなふうに「近づかれること」に、
私がまだ緊張するなんて思いもしませんでした。
夫の手が、私の肩にそっと触れました。ゆっくりと、たしかめるように。私は、その手のひらのあたたかさに、呼吸が浅くなるのを感じました。怖さ、恥ずかしさ、でもそれを上回る私の愛されたいという気持ち。
いま、私はこの人に触れてほしいと思っている。けれど、そのことを、うまく受け止めきれていない自分もいる。
若い頃のように、何も考えずに抱き合うことなんて、もうできないと思っていました。
でも、夫の手は急がなかったのです。背中をなで、肩を包み込み、頬をなぞるように触れてくる。
指先ひとつひとつが、まるで言葉のように語りかけてくるようで、私は少しずつ、身体の力が抜けていくのを感じました。
見ないで、と思いながら、見てほしい、とどこかで願っている自分がいました。
その矛盾の中で、私は何も言えず、ただ静かに身を委ねていました。
夫が私をそっと抱き寄せたとき、なぜか涙がにじんできました。声にはならない涙。
恥ずかしくて、でも嬉しくて、そしてずっと忘れていた“女としての感覚”が、
胸の奥で小さく目を覚ましたような、不思議な気持ちでした。
私の身体が震えているのを、夫は気づいていたと思います。
だからでしょうか、夫の動きはとてもやさしくて、まるで時間をかけて「大丈夫だよ」と伝えてくれているようでした。
ふたりの身体が重なった瞬間、私は過去と現在が溶け合っていくような感覚に包まれました。
夫の中に、かつて愛し合った“あの人”が、ちゃんとそこにいました。
お互いたしかに年老いた身体かもしれません。けれど、心はまだ、こうして誰かを求めることができる。
この人となら、歳を重ねることさえ、悪くないと思える。
終わったあと、夫はしばらく何も言いませんでした。静かに、私の髪をなでてくれていました。
その手の温もりに、私は目を閉じたまま、ずっと黙っていました。
しばらくして、夫がぽつりと言いました。
「最近お前が若返ってるのをみて、俺も体が若返ってきたんだ。」と夫は言うのです。
私が外で働くために、見た目にも気を使って努力してるのを見て、愛し合いたいと思ったのだそうです。
その言葉に、胸の奥がぎゅっとなりました。
お互い変わっていく身体に戸惑いながらも、私のことをまだ“女”として見てくれていたことに、心が満たされました。
私は言葉にできなかったけれど、ただ、夫の手を握り返しました。強く、あたたかく、確かに。
その夜を境に、何かがはっきりと変わったわけではありません。
夫が突然甲斐甲斐しく動くようになったわけでもないし、私が急に女らしく振る舞えるようになったわけでもありません。
でも、毎朝目が覚めたとき、夫の寝息を近くに感じるだけで、どこかほっとするようになりました。
その安心感は、結婚して30年以上経ったいまでもお互いの温もりを感じていたい。そう思っていました。
夫が朝の洗い物をしている音が、以前よりも軽やかに聞こえるようになりました。
私が出勤する時には、玄関まで来て「気をつけて」と小さく言うようになり、
帰ると、さりげなくお茶を淹れて待っていてくれるようになりました。
とても些細なことばかりです。
けれど、そういう積み重ねが、私の心をじんわりと満たしてくれます。
夜、隣に並んでテレビを見ながら、
ふと、夫の手が私の膝にそっと置かれることがあります。
何も言わず、ただ触れているだけのその手が、妙にあたたかくて、私はそのまま、肩を寄せてしまいます。
こうして触れ合うことが、こんなにも心をやわらげてくれるものだなんて、
若い頃には想像もしませんでした。ただ激しく求め合うことよりも、
いまの私たちには、ぬくもりを分かち合う時間の方が、ずっと大切に思えるのです。
時折、あの夜のことを思い出します。
身体を重ねることに迷いもありましたし、恥ずかしさに顔が赤くなるような気持ちもありました。
でも、それでも――私の中には、確かにあたたかさが残りました。
夫から言われた、「抱きたいと思った」という言葉も、ずっと心の奥で響き続けています。
歳を重ねても、女として見てくれる人がいる。
それが、こんなにも心を救ってくれるものだとは知りませんでした。
最近では、夫がたまに私のことを名前で呼ぶようになりました。
「敏江」と。呼ばれるたびに、胸の奥がくすぐったくなります。
私は照れ隠しに、曖昧に返事をしてしまいますが、夫はどこか嬉しそうに笑ってくれます。
少し前まで、老後が不安で仕方ありませんでした。貯金の残高や年金の支給日を数えては、溜息をつく日々でした。
けれど今は、その先の時間よりも“この人と一緒に過ごせる”ことが、なによりの希望になっている気がします。
「お前とは、できるだけ近いタイミングで死にたいな」夫がそんなことをぽつりとこぼした言葉に、本当は胸が熱くなりました。
長く連れ添って、喧嘩もたくさんして、互いにわがままも言って、何度も腹を立ててきたけれど、
それでも今、こうして“愛されている”と実感できる。
それが、老いていく私たちにとっての救いなのだと思います。
これから、身体も心も、また少しずつ変わっていくでしょう。
でも、変わっていくことを、怖がらずに受け入れていきたい。この人となら、きっと大丈夫。
そう思えるようになったことが、私にとっては何よりの収穫です。
「最後まで一緒にいてくださいね」
そう心の中でつぶやきながら、私は今夜も、夫の隣でそっと目を閉じます。