
…あの夜のことは、今もはっきりと覚えています。
彼女の指先が、私の顔をそっと包んだ瞬間。あれほど濃密で、深くて、溺れた夜が、人生のどこかにもう一度訪れるなんて思ってもいませんでした。
「おでん、もうちょっと温めますか?」
そう言って立ち上がろうとした彼女の手首を、思わず、引き止めていました。
口に出すのが照れくさくて、何も言えなかったけれど……目を見れば、伝わったんでしょう。彼女は何も言わず、静かにまた私の隣に腰を下ろしました。
部屋は、エアコンの音だけがしていて、窓の外には雨の音がかすかに混じっていて。
テレビの画面はバラエティ番組を流していたけれど、音は小さく、私たちの間には静寂のほうが支配的でした。
私は、彼女の髪に手を伸ばして、軽く触れました。
もうすぐ還暦だと言うのに、綺麗な髪の毛は、想像よりも柔らかくて、軽かった。
彼女も私の顔に手を添えてくれて……やがて、ふたりは、言葉のないまま、ゆっくりと身体を寄せ合っていったのです。
60を過ぎた身体が、こんなにも誰かに触れられて反応するとは思ってもいませんでした。羞恥も、躊躇もありました。でも、それ以上に「愛し合うという記憶」が、久しぶりに心を満たしてくれたんです。
…でも、あの夜は、決して“始まり”では無かったんです。
もっとずっと前から、私の人生には静かな孤独がありました。そして彼女と出会って、少しずつ、その孤独がほどけていった──。
すみません、いきなりこんな話から始めてしまって。
ちょっとだけ、順を追ってお話しさせてください。
あの夜に至るまでのことを、そして、彼女との関係がどうなったのかを。
あらためて申し上げますが、私は大沢彬、今年で61歳になります。
つい半年ほど前に、建材関係の会社を定年退職しました。42年勤め上げた会社で、最終的には営業の部長職も任されて……まぁ、それなりに働いたと思っています。
会社を去るときは、同僚や後輩が送別会を開いてくれて、「第二の人生を楽しんでください」なんて言われて、まあ楽しいのだろうな、そう思っていました。
そのときは本当に、心から「ありがとう」って思っていたんです。これからは自由な時間だって。
……でもね、いざその“自由”を手に入れてみると、それがいかに“空白”かということに気づくんですよ。
最初の数日は、まぁ解放感ですよね。朝は目覚ましなしでゆっくり起きて、散歩して、スーパーで買い物して、好きな時間にご飯食べて。
でも1週間もすると、ふと「あれ? 今日誰ともしゃべってないな」ってことに気づくようになるんです。声を出す機会が減ると、喉の奥が乾いたような感覚になるんですよね。あれは不思議な感覚でした。
部屋も荒れました。最初はね、妻が亡くなってからも、母が一緒に住んでいた頃は、まだピシッとしてたんです。
でも母もいなくなって、息子も結婚して家を出て……特に定年してからは、どんどん生活が雑になりました。
洗い物は流しに積みっぱなし。洗濯物は椅子の背もたれにかけて終わり。床にはいつの間にか埃が溜まっていて、気づいてはいるけど腰が上がらない。
冷蔵庫の中なんか、いつもほとんど空っぽで、唯一入ってるのは缶ビールと、おつまみが少々。…まあそんなもんです。
そんな生活を続けていたら、ある日、古くからの友人・高井と飲みに行く機会がありましてね。
彼も定年したばかりだったので、お互い似たような話をしてましたよ。そこで、彼がぽつりと口にしたんです。
「なぁ、お前、“レンタル奥さん”って知ってるか?」
正直、最初は意味がわかりませんでしたよ。
「え? なんだそれ、水商売の類か?」って笑ったんですが、彼は「違う違う」と言って、真顔で言うんです。
「ちゃんとした家事代行のサービスだよ。掃除とか、洗濯とか、料理とか、そういうの。で、なんなら話し相手にもなってくれるらしい」
ふうん……とそのときは聞き流しましたけど、家に帰ってから、やけにその言葉が頭に残ってしまって。
“レンタル奥さん”なんて、なんだか引っかかる言い回しじゃないですか。
で、酔いが少し冷めた深夜、スマホでこっそり調べてみたんです。
いくつか出てきましたけど、ひとつのサイトが目に留まりました。
何が目を引いたかというと、スタッフの顔写真ですごく目を引く女性がいたことでした。年齢もだいたい書いてあって、見た感じ、40代後半から60代前半くらいの女性が多くて、どこかほっとしました。
レビューもたくさんあって、「料理が家庭の味で泣きました」とか、「静かに話を聞いてくれて癒やされました」とか書かれていて……正直、それを見てるだけで、どこか胸がチクチクしたんです。
結局、その夜のうちに、申し込みをしてしまいました。
「初回限定割引」という言葉にも背中を押されて、「料理が得意な方希望」とだけ書いて。
数日後、サービスから連絡が来て、「お伺いするのは篠原美雪(しのはら・みゆき)さんになります」と。
年齢は59歳とのこと。私と同じくらいか……それだけでなんだか、少し肩の力が抜けた気がしました。
そして、約束の日の夜。彼女がうちの玄関に立っていたのです。
紺色のエプロンを身につけた、物静かな女性でした。
柔らかくて、どこか落ち着いた声で「こんばんは。篠原美雪と申します。よろしくお願いしますね」と頭を下げたその姿に、私は思わず言葉を詰まらせました。
一言で言うなら、「気品がある」という印象でした。派手でも地味でもない、けれどきちんとしていて、そして、目がやさしかった。
「……あ、どうぞ、どうぞ、入ってください」
そんなふうに、私は急に緊張してしまって、玄関でまごつきました。
誰かに“ようこそ”なんて言うの、何年ぶりだったでしょうか。
その日を境に、私の暮らしは、少しずつ変わっていくことになるのです。
篠原美雪さんが、我が家のキッチンに立つようになってから、どれくらい経ったでしょうか。
最初は週に1度、料理と掃除、たまに洗濯。そんな程度のつもりでした。
彼女も、あくまで「お仕事ですから」という姿勢を崩さず、過度に踏み込んでくることはなかったのです。
でも、人って不思議なもんですね。
“ただそこに誰かがいる”というだけで、こんなにも気持ちが落ち着くんだってことに、60を過ぎてから知るなんて思いもしませんでした。
ある日のこと、たしか肌寒い小雨の降る日でした。
私はふと、調理中の彼女に声をかけたんです。
「……美雪さんって、なんでこの仕事を?」
彼女は手を止めるでもなく、ほんの少しだけ首を傾げてから、こう答えました。
「娘が独立して、ひとりになってしまったんです。
家にいても話し相手もいなくて……。誰かの役に立つことが、まだできるならって、そんな思いからです」
私はその言葉を聞いて、胸が締めつけられるような気がしました。同じじゃないか、と。
私も、妻を亡くし、母を見送り、息子を送り出して──残ったのは静かな部屋と、自分の影だけ。
「自分のため」では、なかなか手が動かない。でも「誰かのため」なら、少しだけ動ける。そんな感覚。
美雪さんの声は、静かで、芯があって、それでいてどこか壊れそうな繊細さもあって──私は少しずつ、心の中で、彼女に手を伸ばし始めていました。
その日の帰り際、彼女が玄関で靴を履きながら言ったんです。
「大沢さん、お一人で寂しくないですか?」……どう答えたか、正確には覚えていません。
でも、私はたしか、「寂しいですよ」と、少し笑って言ったように思います。
そして、それから間もなくのある金曜の夜でした。
その日は珍しく、外は本降りの雨で、気温もぐっと下がっていました。
私は「今日は大雨なので来なくて良いですよ」とメッセージを送ろうか迷っていたのですが、結局そのままにしてしまいました。
彼女は予定通り、少し濡れながらも現れました。
「このくらい、平気です」と言って笑った顔に、私はなぜか胸が詰まりました。
その晩は、おでんを作ってくれて。私はちびちびと熱燗を飲みながら、彼女と並んでちゃぶ台を囲んでいました。
テレビからはバラエティ番組の音が流れていたけれど、二人ともほとんど画面を見ていなくて。
食べる手を休めながら、ただ、ぽつぽつと会話を続けていました。
「……なんだか、久しぶりです。こうして誰かと食卓を囲むの」そう呟いたのは私の方でした。
彼女は、何も言わずに微笑んで、私のおちょこにお酒を注いでくれました。
そのとき、ふいに手が触れたんです。彼女の指先が、私の手の甲に、そっと重なって。
私は反射的に、その手を握ってしまっていました。それがいけなかったのか、よかったのか、正直今でもわかりません。
けれど、彼女は手を離さず、逆に自分の指先を絡めてきて……そして、私の方を、真正面から見つめてくれました。
そのまま、二人でソファに移り、肩が触れるほどの距離で座りました。お互い、何も言いませんでした。
でも、何かがもう、後戻りできないところまで来ていると、はっきりと感じていました。
ゆっくりと、私は彼女の頬に手を添えて、顔を近づけました。
彼女は目を閉じて……私たちは、深く、静かに唇を重ねました。
熱や、欲や、そんな単純なものじゃなかったんです。むしろ、お互いの孤独が、ようやく見つけた居場所を確認するような、そんな行為でした。
その夜、彼女に泊ってもらいました。同じ布団で寄り添いながら、私は一睡もできませんでした。
ただ、彼女のぬくもりを確かめるように、何度も何度も胸に手を当てて……
「こんなこと、してよかったんだろうか」と問いながら、それでも離れたくなくて。
彼女は翌朝、何事もなかったように味噌汁を作って、食卓に並べて、やっぱり何事もなかったように「ありがとうございました」と微笑んで帰っていきました。
私は、その背中を見送りながら、心の中がぐしゃぐしゃになっていました。嬉しさ、恥ずかしさ、罪悪感、希望、全部がごちゃ混ぜになっていて。でも一つだけ、確かなことがありました。
…私は、彼女に恋をしてしまったのです。
あの夜を境に、私の心は大きく揺れていました。
これまでの“サービス利用”とは、もう明らかに違っていました。私は、美雪さんを“待つ”ようになったんです。
彼女が来る前に部屋を片付けたり、ちょっといい食器を出してみたり、冷蔵庫の中身をあらかじめ揃えておいたり……。
今まで、そんなことしたことがなかったんですよ。
「どうせ俺ひとりなんだから」と、最低限のことしかしなかった。
それが、「彼女に見せる自分」が気になって仕方がない。
馬鹿みたいな話ですが、シャツにアイロンをかけたのなんて、妻が亡くなって以来じゃないかってくらいです。
でも同時に、怖くもありました。
この気持ちが“片思い”だったらどうしよう。
あの夜のことを、美雪さんが“ひとときの慰め”と割り切っていたら……。
そんな不安を抱えながらも、私は週に一度、彼女に来てもらう生活を続けていました。
けれど──それは長くは続きませんでした。ある日、息子から電話がかかってきましてね。
「父さんさ、そろそろこっち来て一緒に住まない?孫も大きくなってきてるし、空いてる部屋もあるからさ」
…頭をガツンと殴られたような気がしました。
そうか、そうだよな、と。本来なら、そっちに行くのが筋なんだよな。
定年して、ひとりでいるより、家族の近くで過ごす方が、安心だっていうのは、分かっていたつもりでした。
でも、即答できませんでした。
私は電話の向こうの息子に「ちょっと考えさせてくれ」と言ってしまった。
それが、自分でもおかしいほど情けなくて。どうして素直に「ありがとう」と言えなかったんだろうか。それは、やっぱり、美雪さんの存在があったからです。
その日の夜、私は彼女に「来週は少しお休みにしてください」と連絡を入れました。
理由は書きませんでした。
でも、美雪さんからの返信は、いつもより短く、あっさりしたものでした。
「かしこまりました。またご都合が合いましたら、いつでもご連絡くださいね」
“また”という言葉が、こんなにも遠く感じたのは初めてでした。
数日後、私は自分の中で整理をつけようと決めました。
このままでは、だらだらと関係が続くだけになってしまう。いずれ彼女にとっても、私にとっても、良くない。
彼女に依存するのではなく、ちゃんと「この関係にどう向き合うか」を考えようと。
そして一週間後、私は勇気を出して、もう一度だけ彼女を呼びました。
いつもどおり彼女は来て、いつもどおりエプロンをつけ、いつもどおり料理を作ってくれました。
だけど、私はそのあいだ、ずっと落ち着かなくて……食後、テーブル越しに、彼女に言ったんです。
「この前の夜のこと、私は本気です。お仕事じゃなく私とお付き合いするのは無理でしょうか」
自分でも、顔が真っ赤になってるのがわかりました。情けないくらい緊張していました。
でも、美雪さんは、すぐに返事をしませんでした。
少しの間、黙ってお茶を見つめて、やがてこう言ったんです。
「私も……思うことはあります…」そう言いながらも、彼女の声は、どこか震えていました。
「でもね、大沢さん。私、あの夜……本当にうれしかったんです。あんなふうに、誰かに求められるなんて、もうないと思ってたから……」
私はその言葉だけで、十分だと思いました。
「ありがとう、美雪さん。……ありがとう」それ以上、何も言いませんでした。
彼女はその日、静かに片付けを終えて、エプロンを丁寧にたたみ、「お身体、大切になさってくださいね」と言って、玄関を出て行きました。
それが、今のところ、彼女と会った最後になっています。
私はその後、息子への返事は一時棚上げしています。
正直、まだ迷いがないわけではありません。こんな歳で、新たな女性と付き合っても良いのか。迷っています。
美雪さんには、また会うかもしれないし、会わないかもしれない。
私は今も、ときどき思い出します。愛し合った瞬間を。彼女の体温を。
人は、いくつになっても、誰かを恋しく思うものなのだと、あの夜に教えられました。
でも、ただ想うだけでは手に入らない。言葉にして、差し出して、それでも届かないことがあると知るのも、大人の愛なのかもしれません。
春が来たら──私はもう一度、自分の足で選びたいと思います。
静かだったあの部屋に差す光の角度が、ほんの少しだけ変わるそのとき、誰の隣にいたいか。
誰に「おかえり」と言ってほしいのか。
答えは、きっと、そこにあるのだと思っています。