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お義母さん 濃すぎる関係

シニアの体験シニアの恋

こんにちは。私は奈央子と申します。 先日61歳になりました。先日義母が亡くなりました。その義母との関係のお話です。それでは私のお話をお聞きください。
  夫は、マザコンというわけじゃないんです。自分の意志がないわけじゃない。ただ、義母の言うことに逆らえない人でした。彼にとって、母は絶対の存在。何か私が反論すると、決まって「母さんの顔を立ててくれよ」って言うんです。その一言で、私の心の中に溜まっていたものが、毎回じわじわと溶けて消えていくようでした。私の意見なんて、最初からないに等しい。何を言っても無駄。義母がすべて決めて、夫はそれを従うだけ。私の存在感なんて、その中には微塵もなかったんです。
同居が始まった当初、私はまだ若くて、これから家族を築いていくという期待で胸がいっぱいでした。義母との関係も、多少のすれ違いがあるだろうけれど、何とかうまくやっていけるはずだって信じていたんです。でも、そんな淡い期待はすぐに打ち砕かれました。義母は、とにかく厳しい人で、最初から私を敵視しているようなところがありました。料理ひとつ取っても、炊事、洗濯、掃除、何をやっても文句を言われました。

「こんなもの、誰が食べるの?」とか、「昔はこんなやり方しなかった」とか、常に否定。義母にとって、私のやることはすべて未熟で、認められることなんて一度もなかったんです。 ある日、私は新しいレシピに挑戦して、手の込んだ料理を作ったんです。夫も好きな料理だし、きっと喜んでくれるはず、そう思って。テーブルに料理を並べて、皆で食べ始めたとき、義母が箸を止めて私を見ました。そして冷たい声で、「こんなもの、昔は作らなかった。誰がこんなの食べるの?」と一言。それだけで、私の胸に広がった期待は、一気に凍りついてしまいました。私が何か新しいことに挑戦すると、義母は決まって「昔の方が良かった」とか、「あなたは楽をしているだけ」と言うんです。何かを成し遂げたという満足感を感じる間もなく、否定されて終わる日々。それが毎日続くと、心が少しずつ擦り減っていくのが分かりました。

炊事だけじゃないんです。洗濯をしても、「このシャツはどうしてこんなにシワが残ってるの?」と文句を言われ、掃除をしても、「隅っこのホコリが残っているわよ」と指摘される。私が何かをしようとすればするほど、彼女の目は冷たく鋭くなり、私の存在そのものが間違っているかのように感じるようになっていきました。そして、その度に私は、自分が小さくなっていくような気がしたんです。気を使って一日を終えても、夜、布団に入ると涙が止まらない。どうしても心が休まることがありませんでした。

子育てのことでも同じです。息子が生まれた時、私は不安もありましたが、母親として成長していこうと一生懸命でした。だけど義母は、ことあるごとに昔の育児方法を押し付けてきました。「昔はこうやって育てたんだから」「あなたは甘やかしてるだけよ」。息子が夜泣きをすれば、「泣かせっぱなしにしなさい、抱っこするから泣き癖がつくんだ」と叱られる。私は息子が泣くたびに、自分の母親としての感情を抑え込み、「お義母さんの言う通りにしなきゃ」と自分を言い聞かせる。だけど、私の心はくたびれていくんです。一緒に住んでいる手前、義母に逆らうことはできない。だから、ただ従うしかない。そうして、息子が泣き続ける声を聞きながら、私も一緒に涙を流していた夜が何度あったか、もう覚えていません。
一度だけ、私は義母に反抗したことがあります。それは、息子がまだ小さかった頃、彼が風邪を引いて熱を出したときのことです。熱が上がり、息が荒くなる息子を見て、私は病院に連れて行こうと決心しました。でも、義母はそれを止めました。「大したことないわ、昔はこんなことで医者に行くなんて考えられなかった」と。だけど、私はどうしても息子を放っておけなくて、「お義母さん、今は昔とは違います!」と声を上げたんです。自分でも驚くほど強い口調で言ってしまったその瞬間、義母の顔色が変わりました。彼女はその場で黙り込み、冷たい目で私を見つめました。そして、無言のまま台所に戻って行ったんです。その後、息子を連れて病院に行った私の心には、少しの解放感と、大きな罪悪感が残りました。義母に逆らったことが、何かとんでもないことをしたような気がして、その夜も寝付けませんでした。

ただ、この時ばかりは逆らって病院に行って良かったんです。もう少し遅かったら脳性まひなど何かしら障害が出ていただろうとの事でした。こういうこともあり、 夫に助けを求めることも何度かありました。でも、そのたびに彼の答えは同じ。「母さんの言うことは間違っていない」「母さんの経験を尊重してやってくれ」。私が泣きながら訴えても、彼はただ困った顔をして、「分かってくれよ」と言うだけ。まるで、私の言葉は壁に吸い込まれていくような感覚でした。私は一人だった。家の中に、私の味方はいない。義母に否定され、夫に頼れない。そんな日々が何年も続いていました。

 でも、そんな生活の中で、一つの光が見え始めたのは、息子が高校生になった頃です。息子が成長し、義母に対してはっきりと「おばあちゃん、それはもう時代が違うんだよ」と言ってくれるようになったんです。義母も孫には弱かったので、息子の言葉には耳を傾けざるを得ませんでした。最初は息子も義母に遠慮していたけれど、少しずつ自分の意見を言えるようになり、義母もそれを認めるようになったんです。それが私にとっても大きな変化でした。義母が息子の言葉を聞くことで、私も少しずつ「お義母さん、今は昔とは違いますよ」と言えるようになったんです。もちろん、最初は勇気が必要でした。義母に反論することが、どれだけ大きなストレスになるかは痛いほど分かっていたから。でも、息子が義母に立ち向かってくれる姿を見て、私にも自信が生まれました。 

そのころから、義母との関係は少しずつ変わっていきました。義母も歳を取り、昔ほどの勢いはなくなってきたのです。体力も気力も衰えていき、私に対する厳しい態度も和らいでいきました。以前は、大きな声で私を否定していた義母も、今では静かに話を聞いてくれることが増えました。義母の姿が弱々しくなっていくのを見ていると、私の心にも少しずつ優しさが芽生えてきました。かつては、憎しみや怒りしか感じなかった彼女に対して、今では同情や慈しみの気持ちも湧いてくるようになったのです。昔、義母に反抗できなかった自分が、今では彼女を支える存在になっていることに、奇妙な感覚を覚えました。
義母が亡くなったとき、私は正直、複雑な気持ちでいっぱいでした。義母との生活は確かに大変で、辛いことばかりでした。でも、最後にはお互いを理解し合うことができた。今、静かな家の中で、私は義母との日々を振り返ることができる。そして、あの苦労の20年間があったからこそ、今の私があるのだと感じています。長いトンネルの向こうには、確かに光があったのです。

 私の義母との関係はこんな感じでしたが、息子の嫁に同じことをしないように心掛けています。何も言わないわけではありませんが、基本的に息子たちを尊重しています。彼らから助けを求めることがあった時だけ助けるようにしています。 ただ、息子の嫁との薄い関係と、私と義母のような濃すぎる関係、どちらの方が良いのかなぁなんて思ったりもしています。

皆様はどうですかね?奈央子さんのお話でした。 義母と姑問題。難しいですよね。それではまた。

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