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店長と夫

いつまでも若く背徳
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俺がこの店で働き始めて、もう五年が経つ。もともとはただのアルバイトだったが、前の店長が辞める際に、そのまま雇われ店長として店を任されることになった。店は駅から少し離れた場所にある昔ながらの喫茶店で、流行りのカフェとは違い、常連客が多い店だった。昼間は年配の客が多く、夕方になると仕事帰りのサラリーマンや主婦たちがやってくる。派手さはないが、地道に続いている店だ。

俺がこの仕事を気に入っている理由のひとつは、常連たちとの他愛もない会話。そしてもうひとつは一緒に働く丸山ひかりの存在だった。

彼女が店で働き始めたのは二年前。パート募集の張り紙を見て応募してきたのが出会いだった。最初は普通の主婦だと思っていたが、実際に働いてみると、接客の丁寧さと気配りの細やかさに驚いた。笑顔を絶やさず、客の些細な変化にもすぐ気づく。誰かがメニューを眺めて少し迷えば、自然に近づいて「お決まりですか?」と優しく声をかける。そんな彼女の存在は、店にとっても、俺にとっても欠かせないものになっていた。

だが、彼女の家庭の事情は、決して穏やかなものではなかった。

「旦那は全然帰って来ないんです」ある日、閉店後のまかないの時間に、ひかりがぽつりと漏らした言葉だった。

「仕事で出張だって。でも、実際は……ほかの女の人の家にいるみたいで」

そう言ったひかりの声は、淡々としていた。感情を押し殺しているようにも思えたし、もう諦めているようにも聞こえた。俺は返す言葉が見つからず、黙って彼女の前にコーヒーを差し出した。ひかりは小さく笑って、「ありがとう」と言った。

彼女は、旦那の浮気を知っていても何もできずにいる。見て見ぬふりをして、ただ日々をやり過ごしている。そんな彼女の姿に、俺はどうしようもない苛立ちを覚えた。

「そんなやつ、捨てちまえばいいのに」思わず口をついて出た言葉に、ひかりは驚いたように俺を見た。そして、ゆっくりと微笑んだ。

「簡単に言うけど、そういうわけにはいかないのよ」

「なんで? もう気持ちもないんだろ?」

「……そうだけど…長く一緒にいたから、それを切るのが怖いのかもしれない」

「バカみたいだな」

「うん。自分でもそう思うよ」ひかりはカップを両手で包み込みながら、静かに息をついた。その仕草が妙に愛おしく感じて、俺は視線を逸らした。

それからも、俺たちは閉店後にまかないを食べながら、たわいもない話をすることが増えた。ひかりは俺にとってただの同僚ではなくなっていった。いや、もしかしたら最初から、彼女のことが気になっていたのかもしれない。

そんなある日、ひかりが「ちょっと飲まない?」と言い出した。

「飲むって……ここでか?」

「うん。ビール、少しだけ。良いじゃないちょっとくらい」俺は断る理由がなかった。いや、むしろ彼女と飲めるのなら、それだけで嬉しかった。

ビールを入れカウンターに並んで座る。ひかりは一口飲んでから、ふっと笑った。

「お酒何て久しぶり…」

「……そんなに長いこと、飲んでないのか?」

「うん。あの人、お酒は好きだけど、私と飲まないしね」ひかりの視線が遠くなる。俺は何も言わず、ビールを口に運んだ。

「ねえ、店長」

「ん?」

「もし、私が……旦那と別れたら……」ひかりの言葉が途切れる。俺は無意識のうちに彼女の顔を覗き込んでいた。

「なんでもない……」彼女はそう言って、カウンターに腕をのせた。そして、そのまま目を閉じる。俺は何も言えずに、彼女の横顔を見つめていた。この夜のことが、すべての始まりだったのかもしれない。

翌日から、俺とひかりの距離は少しずつ変わり始めた。

それまで閉店後のまかないは、仕事の延長線上のような時間だった。でも、あの夜を境に、俺たちの間に妙な空気が生まれた。ひかりの視線が、なんとなく俺を探しているように思えることがあったし、俺も気づけば、彼女の動きを無意識に目で追っていた。

「店長、今日のまかないは何ですか?」

「そうだな……鍋焼きうどんとかどうだ?」

「うわぁ、それいいですね。寒くなってきたし、温まりそう」以前と変わらないやり取り。でも、俺の心の奥では、何かがざわついていた。

ひかりは俺の隣で、小さく鼻歌を歌いながら食材を並べている。お揃いのエプロンをつけた彼女の姿は、なんとなく家庭的で、ふとした瞬間に妻がいるような錯覚すら覚えた。

「ひかり、ネギ切るの頼む」

「はーい」包丁を握る彼女の手元を見ていたら、不意に思った。俺は、彼女とこうしている時間が好きなんだ、と。

「……店長、さっきからじっと見てません?」

「え? あ、いや、包丁の持ち方がちょっと危なかったから」

「えー、嘘。ぜったい違う。もしかして、私のこと見惚れてた?」彼女は冗談めかして笑う。でも、その表情の奥には、どこか試すような色があった。

「……そんなわけないだろ」俺は視線を逸らし、鍋に火をかける。

「そっかぁ……」彼女は軽く肩をすくめて、再び包丁を動かし始めた。でも、その声には少しだけ寂しそうな響きがあった気がする。

鍋焼きうどんを食べ終えた頃、彼女がぽつりとつぶやいた。

「……ねえ、店長」

「ん?」

「今日、もう少しだけ付き合ってくれませんか?」

「付き合うって?」

「今日もちょっと飲みたいなって思って」またか、と思った。でも、俺は「いいよ」と言っていた。

ビールを持って、カウンターに並んで座る。

「こうして飲むの、なんか癖になりそう」

「ほどほどにな」

「はいはい、わかってます」ひかりはビールを飲み干し、俺の方に顔を向ける。

「……ねえ、店長って、寂しくない?」

「何が?」

「一人でいるの」俺は少し考え込んだ。寂しいか、寂しくないか——正直、よくわからない。

「一人が長いと、それが普通になるんだよ」

「……私も、そうだったのかな」

「ひかり……」

「店長がいるから、気づいちゃったんだと思う。私、本当は、ずっと寂しかったんだって」彼女はそう言って、グラスの中をじっと見つめる。俺は迷った。でも、気づいたら、手を伸ばしていた。

彼女が顔を上げる。俺はゆっくりとその手を握った。

「店長……」ほんの少しだけ、ひかりの指が震えているのがわかった。でも、彼女は手を離さなかった。

でも俺はまだこれ以上進むことは出来なかった。進みたくても彼女は人妻なのだ。

ただ、その夜以降俺たちは初めてお互いの距離を縮まったように感じた。

次の日も店の片付けを終え、いつものようにまかないを食べていた。

ひかりの隣に座る時間は、もうすっかり当たり前になっていた。毎日のように、閉店後に二人で過ごす時間ができるなんて、少し前までは考えもしなかった。

「ねえ、店長」

「ん?」

「……もうちょっとだけ、一緒にいてもいい?」いつもなら冗談めかして笑いながら言うのに、今日は妙に真剣だった。俺は一瞬戸惑ったが、彼女の目を見て、静かに頷いた。

「いいよ」二人で並んで、いつものようにビールを飲む。でも、今夜はいつもと違う。

彼女の指が、テーブルの上で俺の手に触れた。そのまま、絡まるように、ゆっくりと握り合う。

「……店長」ひかりの声は、少し震えていた。

「どうした?」

「……もう、戻れないかも」彼女は俺の手を握る力を強くする。

俺も、それを拒むことができなかった。次の瞬間、彼女が体を寄せてきた。

ふわりと香る、彼女のシャンプーの匂い。

「……いいのか?」ひかりは何も言わず、ただ頷いた。

俺は静かに、彼女を抱きしめた。長い間、誰かを抱きしめることなんてなかった。その温もりが、驚くほど心地よく感じる。

「……店長、もっと……」俺の腕の中で、彼女は小さく呟く。

理性なんて、もう残っていなかった。俺は彼女を抱き寄せ、唇を重ねた。

ひかりは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに目を閉じ、俺に身を預けた。

彼女の肩が、小さく震えている。どこか不安そうにも見えたが、それでも俺を拒もうとはしなかった。

「……大丈夫、怖くない」俺がそう言うと、彼女はぎゅっと俺のシャツを掴んだ。

「店長……離さないで」その夜、俺たちはすべてを超えて、一つになった。

誰にも見せたことのない姿を、俺たちは互いにさらけ出し、深く、求め合った。

彼女が欲しかった。もっと、もっと、強く——

だが、その静寂を破るように、突然、店のドアが激しく叩かれた。

ドンッ! ドンッ!

「開けろ!」俺とひかりは、凍りついた。

「……まさか」ひかりが震える声で言う。

俺は彼女を守るように立ち上がり、店の入口へ向かった。

「誰だ?」

「開けろっつってんだろうが!」その声に、俺は息を呑んだ。ひかりの夫だ。

夫が怒鳴り声を上げながら店内に押し入ったとき、俺はすぐにひかりを背に庇った。

店内に響く彼の荒い息遣いと、重たい空気。

「てめぇ……どのツラ下げて、俺の女に手ぇ出してんだよ……!」

夫の顔は真っ赤に染まり、明らかに酒が入っていた。

目が据わり、理性なんてどこにも見当たらない。

「ひかり、こっちへこい!!」彼の怒声が店内に響き渡る。ひかりは俺の後ろで震えていた。

「あなた……もうやめて……」彼女のか細い声は夫には届かず、男は一歩、俺に詰め寄る。

「てめぇのせいだろうが……ひかりは俺の女だ!!」

「お前に、ひかりを呼ぶ資格なんてない」俺は静かに、しかしはっきりと言った。

「……は?」男の顔が怒りで歪む。次の瞬間、奴の拳が振り上げられた。

——そのときだった。

「ちょっと! 何の騒ぎですか!警察です!」

店の外から声が聞こえた。ドアの外に、人の気配がする。

近所の住人らしき声が続く。

「バンバン音がして、叫び声が聞こえたんで通報しました!」

夫が振り向く。懐中電灯を持った警察官が3人入って来た。

「警察です。今すぐその場から離れてください」低く冷静な声が響く。俺は、深く息を吐いた。

「ひかり、もう大丈夫だ」俺の腕の中で、彼女は小さく震えていた。

夫は警察官に囲まれ、明らかに動揺していた。

「おいおい、俺は何もしてねぇだろ!? 夫婦喧嘩だよ! 他人が口出すことじゃねぇ!」男は必死に喚くが、警察官は冷静だった。

「勝手に店に押し入り、暴力を振るおうとしたのは事実ですね?」

「店で暴れてますし被害届を出す意思があるなら……」警察官が事務的に告げると、夫の顔が青ざめた。

「は……? ふざけんなよ……!」男は警察官を振り払おうとするが、すぐに腕をねじ上げられた。

「お、おい! 俺はただ……!」

「ただ、何ですか?」警察官が冷静に問いかける。男は口を開きかけたが、歯を食いしばって押し黙る。

「ひかり……」悔しそうに彼女の方を睨みつける。

ひかりは、怯えながらも、はっきりとした声で言った。

「……あなたとは、もう終わりにするの」その言葉に、男の顔が歪んだ。

「……ざけんなよ……!!」最後の悪あがきのように、男は体を揺らすが、警察官にしっかりと押さえ込まれた。

「暴れないでください」

「このまま署で話を聞かせてもらいます」男が警察官に引きずられていく。最後の最後に、俺を睨みつけ、捨て台詞を吐いた。

「……ひかり、覚えてろよ」俺の奥底から怒りが込み上げる。

だが、俺はそれを飲み込み、静かに言った。

「……お前が言うな」男が連れていかれ、店の中に静寂が戻る。ひかりは、俺の腕の中で小さく震えていた。

俺は、深く息を吐いた。

「……大丈夫か?」ひかりは、震えたまま俺を見上げた。

「……ごめんなさい……巻き込んでしまって……」俺は、そっと彼女の頬に触れた。

「謝らなくていいよ。これからは俺が守ってやるから」ひかりの目が、大きく揺れた。

「……店長……」俺は彼女を、そっと抱きしめた。

「でもこれからは、店長じゃなく名前で呼んで欲しいな」彼女の細い肩が、震える。

俺は、ひかりの背中にそっと手を回した。

「どこか遠くで店でも開くか」ひかりは、俺の胸に顔を埋め、静かに頷いた。パトカーの赤色灯が遠ざかっていく。

この夜を境に、俺たちは新しい未来へと進んでいくのだった。

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