私の名前は麻衣です。30歳、ただの平凡な人生を歩んでいる――ずっとそう思っていました。でも、私にはもう一つの人生があります。それは前世の記憶です。それも、あまりに鮮明な記憶を持っているんです。
前世の私は「京子」という名前でした。私は中学生のとき、交通事故に遭った瞬間、突然その記憶がよみがえったのです。前世の京子は東京で30歳まで生き、愛する彼、裕太を残して亡くなりました。死因は同じく交通事故。でも、その時の最後の瞬間だけがどうしても思い出せなくて、ずっと私の心の中に重く残っていたのです。
大人になるにつれ、東京に行きたいという思いが心の中でどんどん大きくなっていきました。前世のお父さんやお母さん、そして何より裕太に会いたかったからです。でも、「前世の京子です」なんて言ったら、今の私が消えてしまいそうで――そんな恐怖に押さえ込まれて、東京に行くことを避け続けていました。
そんな私に、突然転機が訪れたのです。30歳を迎えたある日、たまたま手に取った新聞で裕太の姿を見つけました。彼が車椅子でパラリンピックを目指しているという記事でした。裕太はもう60歳を超えているはずなのに、挑戦を続けていたのです。昔と変わらない優しい笑顔が載った写真を見た瞬間、胸がぎゅっと締めつけられました。記事を読み進めるうちに、ずっと曖昧だった記憶の断片が一気に繋がっていきました。
――あの時、私が運転していたんです。事故の瞬間、私がハンドルを握っていました。後ろからトラックが突っ込んできて……押しつぶされてしまった。そう、あの瞬間が、すべてを変えてしまったんです。
記憶がよみがえり、私は涙が止まりませんでした。もし、私が運転していなければ、あの事故は起きなかったかもしれない。そう思うと、やり場のない罪悪感と後悔が押し寄せてきました。
でも、その感情に突き動かされるように、私は決断しました。裕太に会いに行こう、と。
ネットで調べ、彼が練習している場所を探し出しました。そして、実際にその練習場に足を運んだ日、遠くから彼の姿を見つけた瞬間、胸の奥で何かが震えました。車椅子を押している彼の姿が、今でも鮮明に覚えている前世の彼と重なったのです。
「これが、今の彼なんだ……」自然と涙がにじんできました。確かに白髪は増えたものの、変わらない優しい笑顔がそこにありました。私の視線に気づいた彼が、こちらに歩み寄ってきました。胸がどんどん高鳴るのがわかります。「見学させてもらっています」と声を掛け、今の名前だけを名乗りました。本当のことを話す勇気なんて、とても持てなかったのです。もし、彼が私の話を信じてくれなかったら、今の私はどうなってしまうのか分からなかったからです。
「何でも聞いてくださいね。」と彼は微笑みながら言い、練習に戻ろうとしました。その瞬間、私は少し名残惜しさを感じて、足が自然と前に進みそうになったとき、彼がぽつりと呟いたのです。「……京子?」
「え?」その一言で時間が止まったように感じました。胸の鼓動がさらに激しくなり、振り返ると、彼が真剣な眼差しで私を見つめていました。
「ごめんなさい……ちょっと昔の知り合いに似ていて。気にしないでください。」
そう言いながらも、彼の目は何かを探すように私をじっと見つめ続けていました。私は動けなくなってしまい、涙が一粒、頬を伝いました。
「……私、京子なんです。信じてもらえないかもしれないですけど、京子の生まれ変わりなんです。前世の記憶があるんです。」
その言葉を口にした瞬間、彼の困惑した表情が確信に変わり、目に涙が浮かんでいるのが見えました。
「……あぁ、本当に京子なんだね。ずっと君を……失ったことを後悔していたんだ。あの時、運転を頼まなかったら…俺が君を巻き込んでしまったんだ。ずっと、申し訳なくて……」裕太の声は震えていました。私の中の罪悪感と、彼の後悔が重なり合い、どうしようもなく胸が痛みました。
「君のご両親がずっと、俺のことを気にかけてくれていたんだ。それがなかったら、俺は立ち直れなかったかもしれない。君がいないことをようやく受け入れられたんだ、君の両親のおかげで俺はようやく立ち直れた。だから、パラリンピックに挑戦することに決めたんだ。何度も諦めかけたけど、こうしてもう一度夢を追いかけようって。」
私の両親が彼を助けるように声を掛けてくれていたことに、私の心は救われていくような気がしました。それに、私の言葉を信じてもらえたことが、何よりも嬉しかったんです。どうして私って気付いたのと聞くと、彼曰く、一目見ただけで、京子が来たと直感的に思ったそうなんです。それに前世も美人だったけど、今もすごい美女だから目を奪われたそうです。
そうやって冗談を言えるほど、裕太は立ち直っていて、今もなお前を向いて歩んでいることが、私にとってどれほどうれしかったか。それと同時に、前世の京子としてだけではなく、今の麻衣としても彼を支えたい、そう強く思うようになりました。それから、私の人生は大きく変わりました。仕事を辞め、東京に引っ越して、彼のパラリンピック挑戦を支える決心をしました。毎日練習場に通い、彼が全力を尽くせるようサポートしています。
そして驚いたことに、前世のお父さんとお母さんもまだご健在でした。お父さんは85歳、お母さんは84歳。会いに行くべきかどうか、ずっと悩んでいましたが、やはり彼らの元気な姿を見たいという気持ちが強かったのです。今度裕太さんに連れて行ってもらうことになりました。お父さんお母さんは私のことを分かってくれるかちょっと不安ですが、裕太はそんな私をそっと見守ってくれています。前世の記憶を持ちながらも、今の麻衣として生きていくことに少しずつ自信がついてきました。それも、彼のおかげです。
ある日、練習場でふと見上げた空は、驚くほど澄み渡っていました。裕太の背中を見つめながら、私は思います。前世の京子として、彼を守ることはできませんでした。でも、今の麻衣として、彼のそばにいられる。これが、私の生きる道なんだと。新しい夢に向かって、一歩一歩進む彼を、これからも支えていきたい。そして、私自身もまた、新しい人生を一緒に歩んでいきます。両方の人生を抱えて、今ここで私は再び生きているのだと、強く感じています。