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団地妻のあの人

いつまでも若く純愛

俺の名前は中野誠一、配達業をしている。その配達先に、どうしても気になってしまう家がある。団地の一角にある「斎藤家」……古びた5階建ての建物の中で、ひときわ異様な空気を漂わせている部屋だ。そこには、強面の男と、驚くほど清楚で美しい奥さんが住んでいる。そして、俺がどうしても目を逸らせない理由は、その奥さんが何度も男に暴力を振るわれているからだ。

ただの家のはずなのに、毎日のように配達に訪れるのだが、彼女の青あざや腫れた顔に出会ってしまい、そのたびに胸の奥が鈍く痛む。最初は単なる仕事の取引先に過ぎなかったのに、気づけば彼女のことが頭から離れなくなっていた。

ある日、思い切って「大丈夫ですか?」と尋ねた。彼女が男から一瞬でも解放される瞬間があればと思っての言葉だった。だが、彼女はいつも「大丈夫ですので」と静かに微笑むだけ。青ざめた頬に浮かぶその笑みは、儚くて、ただの強がりにしか見えない。その笑顔があまりに痛々しく、俺は悔しかった。助けたいと願う気持ちだけが募っていくのに、何もできない無力な自分が情けなくてたまらなかった。

次の集荷の時には、俺は少し思い切って、いつもより長めに雑談を試みてみた。彼女の表情が暗いままなのが気になり、「最近、夜冷えますね」と声をかけてみると、彼女は一瞬きょとんとしたあと、小さく微笑んで「そうですね」と返してくれた。それが、彼女の心が少しでもほぐれた瞬間に見えた気がして、なんだか心が軽くなった。

それからというもの、俺は毎回の配達で、彼女と少しずつ会話を重ねていった。たわいもない天気の話や、団地で飼われている野良猫のこと、近くの商店街で見かけた景色のこと……ただの世間話だったが、彼女の笑顔が少しずつ自然なものになっていくのが感じられた。

ある時、「伊藤舞香」という宛名の荷物を見かけ、ようやく彼女の名前を知った。それ以来、心の中で「舞香さん」と名前を呼ぶたびに、彼女との距離が少しずつ縮まっていくような気がした。

ある日、彼女は部屋から荷物を持ってきて「いつもありがとうございます」と言って深々と頭を下げた。その時、ふと俺の手元にある荷物の角に彼女の手が触れて、お互い一瞬、目を合わせた。彼女は驚いたように手を引っ込め、少し恥ずかしそうに笑った。

「こちらこそ、いつもありがとうございます」

俺がそう言うと、舞香さんの目にわずかに涙が浮かんでいるのが見えた。自分の胸が大きく高鳴るのを感じた。舞香さんにとってはほんの些細な接触だったかもしれないが、俺にとっては、彼女とのつながりが少しずつ確かなものになっていく瞬間だった。

数日後、仕事の終わりに友人に誘われて入った隣町のスナックで、思いがけない光景が目に飛び込んできた。そこで働いていたのは、舞香さんだった。予想もしなかった再会に、思わず息が止まった。彼女も俺に気づき、まっすぐこちらに歩み寄ってきた。

「今日は、お付き合いさせてください」

彼女がそう言って微笑むと、まるで夢の中にいるような感覚に包まれた。二人で向かい合って話をするのは初めてで、心臓が緊張で早鐘を打っていた。

やがて、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。

「実は、あの人とは…籍を入れてないんです。ただ、生活費のために、働かされているだけで…」

彼女の声はどこか震えていた。ふと目を伏せる彼女の表情から、抑えきれない悲しみと諦めが滲み出しているのがわかる。その言葉に込められた哀しみが、胸を鋭く刺してくる。どれだけの苦しみが、彼女の背負ってきた人生に刻まれているのだろうと想像すると、息が詰まるようだった。

「徹さんともっと早く知り合えていたら…」

そうつぶやき、彼女はぽろりと涙をこぼした。その涙を見た瞬間、俺も目頭が熱くなった。もしも俺にもっと早く勇気があれば、彼女に手を差し伸べられていたのかもしれない。だが、それでも俺には「俺が助けます」と言い切る自信がなく、ただ「大丈夫ですよ」と彼女を慰めることしかできなかった。

数日後、いつものように斎藤家の集荷に向かうと、団地の前にパトカーが数台止まっていた。嫌な予感がして急いで階段を駆け上がると、舞香さんが警察に連れられてエレベーターに向かっているのが見えた。

「舞香さん!」

思わず叫ぶと、彼女は振り返り、少しだけ微笑んでくれた。そしてそのまま、警察官と共にエレベーターに乗り込んでいった。

後で知ったことだが、あの男は薬物を売買していたらしい。大胆にもあの大量の荷物はすべてそれで、さらに売上金を持ち逃げしようとした結果、仲間内で男は殺されてしまったという。そして警察は、舞香さんもそのことを知っていたとして連行していったのだ。

舞香さんが拘置所にいる間、どうにか彼女を励ましたくて手紙を書くことにした。

「舞香さん、どうか心を強く持ってください。俺はあなたを助けたいと思っています。支援団体と相談し、身元引受人になる準備を進めています。あなたが自由になったときは、俺がそばで支えたいと思っています。」

どうにかしてでもこの気持ちを伝えたくて、少しでも彼女に希望を届けられるようにと祈るような気持ちで、一生懸命、生まれて初めて手紙を書いた。

しばらくして、拘置所から彼女の返事が届いた。小さな便箋に、慎ましやかな文字でこう書かれていた。

「徹さん、ありがとうございます。こんな私のために…誰かが私のことを気にかけてくれているなんて思ってもみませんでした。あなたの言葉がとても温かくて、少しだけ前を向ける気がします。あなたに会える日を信じて、私も強く生きてみます」

その手紙を読んだとき、胸が締め付けられるような思いがした。彼女が戻ってくる時には、今度こそ俺がそばで守る。もう二度と誰にも傷つけさせないと、心に強く誓った。

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