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息子の健一郎が結婚することになったと聞いた時、心の奥に複雑な感情が湧き上がった。もちろん嬉しかった。私が妻を亡くして以来、ずっと父親としての役割だけを果たし続けてきた。その息子が自立し、自分の家族を築く。それは私にとって何よりも誇らしいことだった。
だが、その一方で寂しさもあった。健一郎の人生から、私の存在が少しずつ薄れていくような気がしたのだ。それが正しい形だとわかっていても、心は簡単には割り切れない。
息子の婚約者の麻衣さんとはまだ会ったことがなかった。健一郎からは「すごくしっかりした人だよ」と聞いていたが、今日は初めて彼女と彼女の家族とも顔を合わせる日だ。麻衣さんの父親はすでに亡くなっているとのことで、今日は母親だけが同席するらしい。
「どんな人なんだろうな」と車を運転しながら考えていた。同じように配偶者を亡くして子どもを育ててきた人と聞くと、どこか親近感が湧く一方、どんな気まずい会話になるかも想像がつかない。定年してから久しぶりに味わう緊張感だった。
麻衣さんの家に着くと、玄関で真衣さんが迎えてくれた。「麻衣です。今日はありがとうございます。健一郎さんは少し遅れるそうで。」と笑顔で丁寧に頭を下げる彼女に、私は「こちらこそよろしくお願いします」と少しぎこちなく返事をした。麻衣さんは明るくて感じの良い女性で、健一郎が選んだ人らしいと思えた。
リビングに通されると、そこにいたのが麻衣さんの母親、明美さんだった。彼女は柔らかな雰囲気を纏い、どこか凛とした印象を持つ女性だった。落ち着いた物腰と、上品な微笑み。年齢のわりに若々しい彼女の姿に、私は少し驚いた。
「遠いところをありがとうございます」と明美さんが挨拶をしてくれる。「こちらこそ、息子がいつもお世話になっております」と返すと、「健一郎さん、素敵な方ですね。麻衣がいつも感謝しているんですよ」と微笑んだ。その表情には、どこか芯の強さが垣間見えた。
健一郎も合流し会話が進むうちに、明美さんがピアノ教室をしていることを知った。「ピアノ教室ですか」と私が興味を示すと、「ええ、もう長いことやっています」と彼女が答えた。私は思わず口を開いた。
「実は、私も小学生の頃にピアノを習っていたんです」
その一言で、彼女の目がぱっと輝いた。「そうなんですか? どんな曲を弾かれていました?」と聞かれ、私は少し照れながら「いやもう何も覚えてないくらいで」と答えた。
「今度また始めてみましょうよ!」と手を叩いて喜ぶ彼女。その表情がとても柔らかで、その場の空気を明るくするようだった。会話は自然に弾み、麻衣さんと健一郎も、ほっとしたように微笑んでいた。
顔合わせは和やかに進んだが、私はその帰り道、どうしても明美さんの笑顔が頭から離れなかった。彼女の声のトーン、落ち着いた物腰、そして時折見せる朗らかな笑い声。その一つ一つが、私の心を妙に温めてくれるようだった。
数日後、私は思い切って明美さんに連絡を取った。お礼を伝えるだけのつもりだったが、電話で話すうちに「もしよかったらまた今度お茶でもどうですか」と誘ってしまった。彼女は少し驚いていたが、「いいですよ」と快く応じてくれた。
それがきっかけで、私たちは時折会うようになった。彼女と話していると、不思議と自分が前向きになれるのを感じた。彼女が話すピアノ教室のこと、麻衣さんを育ててきた苦労話。それらを聞いていると、自分が抱えてきた孤独や寂しさが少しずつ和らいでいくようだった。
そんなある日、彼女がふと口にした。「友原さん、最近なんだか表情が柔らかくなりましたね。何か良いことでもあったんですか?」
私は少し考えてから答えた。「明美さんと一緒にいる時間が楽しいからかもしれません」
その言葉に彼女は微笑んで、「私も……ちょっと楽しいんですとぽつりと言った。その一言が、私の心の中に新しい光を灯した。
あの日から、私と明美さんの距離はさらに近づいていった。ピアノ教室を手伝うようになり、子どもたちに簡単な音符の読み方を教えたり、教材の準備をしたりと忙しい日々が続いた。そんな中で、私自身の中に湧き上がる新たな感情を認めざるを得なかった。彼女と一緒にいる時間が、私にとってかけがえのないものになっていた。
しかし、息子たちの結婚式が近づくにつれて、私たちの関係をどうするべきか悩む日々が始まった。このまま隠し続けるのは誠実ではないし、かといって突然話して受け入れられるかどうかの不安もあった。
結婚式の準備が進むある日、私は意を決して健一郎と麻衣さんを夕食に招き、明美さんとの関係を打ち明けることにした。明美さんも「ちゃんと話したい」と言い、私たちは二人で話す為に食事会を開いた。
「実は……」と私が切り出すと、健一郎は箸を置いてこちらをじっと見た。「明美さんと、お付き合いをしています」と続けると、健一郎の表情は一瞬で硬くなり、麻衣さんも驚いた様子で母親を見た。
「……冗談だよな?」健一郎がそう言うのに、私は静かに首を振った。「本当だ。ずっとどう伝えようか悩んでいたんだ」
「なんでそんなこと今言うんだよ!」健一郎は声を荒げた。「俺たちの結婚式が近いのに、そんな話を持ち出されたって困るよ!」
麻衣さんも「お母さん、どうして私たちに黙ってたの?」と責めるような口調だった。明美さんは静かに「なかなか言うタイミングが無くて…」と答えたが、二人の表情は険しいままだった。
結局、その夜は話が平行線のまま終わり、明美さんも私も打ちひしがれて帰宅した。
その数日後、私たちに試練が訪れた。ピアノ教室で明美さんと一緒に子どもたちのレッスン計画を立てていた時、彼女の様子がおかしいことに気づいた。話す言葉が不明瞭になり、立ち上がろうとした時にバランスを崩してよろけたのだ。
「明美さん、大丈夫ですか!?」と声をかけたが、「なんでもないわ」と無理に微笑む。その瞬間、嫌な予感が胸をよぎった私は、迷わず彼女を病院に連れて行った。
診断は脳梗塞だった。しかし、早期発見だったおかげで後遺症はほとんど残らないと医師から言われた。「ここまで早く気づけたのが凄いです」と医師が話すのを聞き、私はほっと胸を撫で下ろした。
病室で、明美さんは涙を浮かべながら「友原さん、ありがとう。あなたがいなかったら、どうなっていたかわからないわ」と小さく呟いた。その声を聞いた瞬間、私は自分の中にある彼女への想いが揺るぎないものだと確信した。
明美さんの一件を知った麻衣さんは、病院に駆けつけて私に深々と頭を下げた。「お、お義父さん、本当にありがとうございました。お母さんを守ってくれて……感謝してもしきれません」と涙ぐみながら言う。私は「いや、すぐに気付けてよかったよ」と答えたが、その後の麻衣さんの言葉に驚かされた。
「私も母の幸せを考えるべきだと思いました。父がいなくなってから、母はずっと一人で頑張ってきた。だから……どうか母を幸せにしてあげてください」と言ったのだ。
健一郎も渋々ながら「父さんがそこまで本気なら、俺も何も言えないよ」と言ってくれた。彼の言葉に、私はようやく肩の荷が下りる思いだった。
息子たちの結婚式は無事に終わり、私と明美さんは新しい生活を始めることになった。一緒に暮らし始めた私たちは、彼女のピアノ教室を共に支えながら、穏やかで充実した日々を送っている。
ある夜、リビングで二人でコーヒーを飲みながら明美さんがぽつりと言った。「これから20年、いや30年、一緒に楽しい人生を送りましょうね」
私は何度も頷き、彼女の手をそっと握りしめた。「もちろん。長生きしような」と答えながら、私は心の底から思った。人生何があるかわからないものだなと。