
彼の手が、そっと私の体に触れたとき、私は思わず息をのみました。
この歳になって、誰かに触れられることを意識するなんて思ってもいませんでした。
けれど、彼の手はあたたかくて、久しぶりに男性の匂いがして、私は抵抗することもなく彼に身をゆだねていました。
でも、あまりの緊張に、私の心臓の音が耳の奥に響くのを感じるほどでした。
もうとっくに終わったと思っていた「女としての自分」が、ようやく目を覚ました気がしたのです。彼の手が頬に添えられ、ゆっくりと顔を近づけられたとき、私は目を閉じていました。自然とそうしていたのです。そして、唇が触れたとき、体の下からキュンと何かが這い上がってくるのを感じました。
私の名前は、前田敦子。もう61歳です。24歳で結婚し、三人の娘を育てあげ、4年前の春に夫が亡くなりました。定年退職を迎え、ようやく夫と二人きりの時間が持てると思っていた矢先のことでした。正直、今でも少し夢を見ていたんじゃないかと思うほどです。
朝起きたときのあの、妙に静かで広く感じる部屋の大きさ。台所で一人分の味噌汁を作っていると、思わず「ふたり分作っちゃった」とつぶやきたくなる衝動。娘たちはみんな独立していて、今はそれぞれ家庭を持っています。
一番近くに住んでいる下の子でも車で二時間ほどかかるので、娘たちが帰省してくるのはもっぱら大型連休の時くらいです。もちろん頻繁に電話はくれますし、気にかけてくれています。でも、やっぱり家の中がずっと静かなのは……寂しいものですね。
昔はよく「4姉妹ね」なんて言われたりすることもありました。それもあながち嘘ではなかったと思います。実際、娘と一緒に買い物に出かけると、何度か姉妹に間違えられたこともありました。娘たちが私を若くしてくれていたと思います。
けれど、それも今では過去の話。夫がいなくなってからというもの、私は身なりに気を遣うことが減りました。化粧もしなくなりましたし、服も夫が亡くなってから買っていません。同じ服ばかり着ています。
年相応だし、別にそれで十分だと思っていました。
そんな私を見て、ある日帰省してきた末娘が言ったのです。「お母さん、そんなんじゃただ更けるだけだよ!誰かと再婚しても良いんだよ!」と。私は思わず笑ってしまいました。相手もいないのに冗談だろうと。けれど娘は、割と本気だったようなのです。
彼女はいつのまにか勝手に、近所のシニア向けボウリング会に私の名前で申し込んでしまいました。
最初は呆れて、どうしてそんなことをするのかと文句を言いたくなりました。でも、娘の言葉の裏にある寂しさや心配は、ちゃんと伝わってきました。
「私達と同居するの嫌なんでしょ?これからずっと一人って何かあったらどうするの」──そう思わせてしまったことが、少し申し訳なくて。だから、とりあえず参加することにしたのです。
思えば、私は昔、ボウリングが大好きでした。中山律子さんに憧れて、専用のウェアやマイボールまで持っていたほど。
押し入れの奥にしまってあったウェアをこっそり引っ張り出して、一人で試着してみたときは、我ながら「何やってるんだか」と苦笑いしてしまいました。自分で言うのもなんですが、ミニスカを履いた姿を鏡で見た時はちょっと引いてしまいました。でも、少しだけ、ほんの少しだけ心が浮き立っていたのも事実です。
そんなふうにして、私は久しぶりに日常以外への“外”へ出ていくことになったのです。
ボウリング場に一歩足を踏み入れたとき、私は自分でも驚くほど緊張していました。参加してみてビックリ。その集まりの総数は80名程いるそうです。その日に参加していた人たちだけでも30名ほどいました。親切な方が色々と説明してくれている間も、懐かしい匂い、ピンの倒れる乾いた音、滑るように投げられるボールの感触……すべてが過去の記憶と重なって、私の中で“楽しい”という気持ちが、ふっと目を覚ましたような気がしました。
けれど、歳月というものは恐ろしいものですね。頭では覚えていても、体はすっかり昔のようには動いてくれません。
ぎこちなくフォームを作って投げたボールは、レーンの右端に吸い込まれていきました。
笑い声が響いた気がしましたが、それは私を馬鹿にしたものではなく、むしろどこかあたたかい空気でした。ふと隣を見ると、私と同じくらいの年齢に見える男性が、ゆっくりとこちらに歩いてきました。
彼の名前は松田武史さん。声をかけられたわけではありません。ただ、彼が黙って私の投球を見て、にこりと笑ったのです。
その笑顔が、不思議と印象に残りました。誰にでも向けられるような、でもどこか控えめで優しい笑みでした。
それから2ゲーム一緒に投げ、自然とお話するようになりました。松田さんはとても静かな人で、自分から多くを語ることはありませんでしたが、
合間に「昔やってたんですか?」とぽつりと尋ねてきたとき、私は少しだけ心を開いたように思います。
人と話すこと、それも初対面の異性と並んでレーンに立ち、共に時間を過ごすというのは、私にとって、思っていた以上に大きな出来事でした。けれど、なぜか心は落ち着いていました。
彼の所作が丁寧だったからかもしれません。私がボールを取ろうとすればさりげなくボウリングタオルを差し出してくれる。フォームに迷っているときは一言アドバイスをくれる。何気ないそういった一つ一つが、私の緊張をほどいていったのです。
終わってみれば、スコアは散々でした。3ゲームとも120以下でした。けれど、それが悔しいというよりも、
「また投げてみたい」と思っている自分がいたのです。
娘に言われるまでもなく、こうして人と関わることが、どれだけ心を元気にするか。私はやっと、実感として理解し始めていたのかもしれません。
帰り際、松田さんが「次の会も、来られますか」と静かに尋ねてきていたので、私は首を縦に振りました。それだけで充分でした。
家に帰る道すがら、私はずっとポケットの中に入れたままのスコアシートを、何度も握り直していました。
数字の羅列ではない、その紙切れに詰まった時間が、愛おしく思えたのです。ただ、翌日は生活が大変なほど全身筋肉痛でしたけどね。運動不足も痛感しました。
松田さんの顔や声が、ふとした拍子に浮かんでくるようになったのは、たぶんその日からです。恋なんて、そんな大それた感情ではありません。けれど、「また会って話したいな」と思う誰かができたのは、思いのほか胸を温めてくれるものでした。
松田さんと二度目に会ったのは、翌週のボウリング会でした。特別に約束したわけではありません。けれど、会場に入ったとき、すぐに彼の姿を探している自分に気づきました。彼もまた私を見つけて、静かにうなずいてくれました。それだけで胸の奥が、じんわりと温かくなるのがわかりました。人と会うというのは、こんなにも力をくれるものだったでしょうか。
忘れていた感覚でした。いえ、もしかすると、若い頃にもあまり感じたことのない種類の安心感だったのかもしれません。
その日も、私たちは一緒にゲームを楽しみました。以前より少しだけ打ち解けたような、そんな柔らかな空気が二人の間に流れていて、
言葉は少ないけれど、十分すぎるほど気持ちが伝わってきました。
帰り道、彼がぽつりと「お昼でもいきますか」と言ったので、近くの喫茶店に入りました。窓際の席に座り、湯気の立つコーヒーを前にして、ようやく落ち着いた呼吸ができたように思います。他愛のない話。昔見た映画のこと、最近あった小さな出来事。それだけの会話なのに、妙に胸がきゅうっとするのです。まるで、自分の中の何かが、ずっと欲しがっていたものに触れてしまったような。
けれど、その心地よさに浸りきれない自分もいました。この歳で、今さら恋なんて。子どもたちにどう思われるだろう。
世間から見れば、ただの老後の寂しさ紛らわし、そう見られてしまうかもしれない──そんな言い訳めいた思考が、頭の片隅でぐるぐると回っていました。
季節はちょうど、桜の終わりかけ。風に乗って舞う花びらが、道端に小さな薄桃色の絨毯を作っていて、
そのなかを歩く自分が、少しだけ軽やかに感じられたのです。
数日後、松田さんから電話がありました。何気ない声で「天気が良さそうなので、公園を歩きませんか」と。
電話を切ったあと、私は鏡の前に立って、自分の顔をまじまじと見つめました。何年も使っていなかった口紅を引き出しから出して、手の甲にすっと試し塗りをしてみました。ほんのりと、懐かしい色。夫が亡くなってから付けたのは始めてでした。
私は、その色をそっと唇に乗せ、髪を整え、淡いスカーフを首に巻きました。誰のために、というより、自分のために。きちんとしたいと思ったのは、本当に久しぶりのことでした。
公園では、なんと彼が手作りのサンドイッチを持ってきてくれていて、ベンチでそれを分け合いながら、柔らかい日差しの中で話しました。そのときふと、彼の手が私の頭を撫でたのです。
ドキッとしました。虫が止まっているのを払ってくれただけなのに、私の胸はドキドキとざわついていました。
正直言って顔が赤くなっていたかもしれません。ただただ、なんか照れ臭かったのです。髪の毛を触れられたことが。
でも、同時に怖くもなりました。こんなにもあっけなく、誰かを受け入れそうになっている自分が。
この歳になって、心を開くことがこんなにも脆く、そして美しいものだと、私は知りませんでした。そして、気づいてしまったのです。
私はもう、母でも妻でもなく、女を意識して松田さんの隣に座っているのだと──
その日の夜は、私はずっと眠れずにいました。公園で少し触れられただけ、たったそれだけのことなのに、私は松田さんに惹かれていました。基本的に結婚したら異性に触れられることなんて無くなりますし、ましてや夫亡くなったので、免疫が無かったのかもしれません。
なので、私にそんな資格なんてない、そんな年齢じゃない、そんな気持ちに蓋をして、自分自身に言い聞かせてきたのです。
でも、松田さんと過ごす時間が、穏やかで、やさしくて、なにより「さびしさ」という重荷から、少しずつ解放されているかのようでした。
それから何度か、お茶をしたり、買い物に付き合ってもらったりしました。他愛のないやりとりのなかで、私たちは少しずつ、お互いの生活に自然に溶け込んでいきました。特別な言葉はありませんでしたが、もう言葉など必要ないほどに、心は近くにありました。
ある日、彼のほうから「うちに来ませんか」と言われたときも、不思議と迷いはありませんでした。駅から少し離れたところにある、平屋建ての小さな家。玄関には手入れされた鉢植えが並び、室内にはよく磨かれた木の家具と、棚には、彼が大切にしている釣り道具が静かに置かれていました。
その空間に、私は意外と気後れすることもなくするっと入っていけました。なんの違和感もなく、まるで以前からそこにいたような、そんな感覚さえありました。
お茶を飲みながら、テレビを眺めていたとき、ふと彼の肩が私に触れました。その瞬間、私は心の中で小さな決心をしたのです。
もう、いいでしょう。もう一度、誰かを愛しても。彼が私の手を握り、ゆっくりとそのまま指を絡めてきたとき、私は目を閉じて、そのぬくもりを受け入れました。もちろん若い頃のような情熱ではありません。でも、それよりもずっと深く、やさしく、あたたかな時間でした。この歳になっても体は、正直なものでした。触れられるたびに溢れる吐息、思わず声も出てしまいました。その瞬間戸惑いも、恥じらいも、どこかへ消えていました。キスをしながらお互いゆっくりと服の脱がしあいました。お互い言葉もなく、漏れ聞こえるのは二人の吐息だけ。ただ、女として、この人に抱かれたい。そんな考えしかもう頭にありませんでした。うまく出来ない不安もありましたが、案外若い頃と同じようにできました。ちゃんと気持ちも良かったです。そしてその夜、私たちはお互いを抱きしめて、静かに眠りました。
何も語らず、ただ寄り添う。人の温もりがこんなにもありがたいのだと、すべてが伝わるような夜でした。
朝、目覚めると、彼は私の髪をそっと撫でてくれました。その仕草が、何よりも心をあたためてくれました。
私は思いました。あと何年一緒に生きられるかわからないけれど、この人となら。そう思えていました。
3人の娘たちには、少しずつ話をしています。最初は驚かれましたが、反対はされませんでした。
「お母さんがそうしたいのなら、それでいいよ」とそんな言葉をもらったとき、私は泣いてしまいました。
誰かを愛することに、年齢は関係ないのです。私はこれから先、もっと歳を重ねていきます。体はゆっくり衰えていくかもしれません。
でも、心はまだ、あたたかく揺れ動いています。人に触れられること、誰かの手を握ること、
言葉にしなくても、そこに愛があると感じられること──それは若い頃よりも、ずっと尊いものなのかもしれません。
私の人生は、少しずつ新しい色に塗り変わってきました。そして、いま思うのです。
人生に「遅すぎる」ということは、本当にないのだと。