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隣人~鬼の居ぬ間に~

純愛

「香織のいない間だけですよ!」敦子さんは、いたずらっぽい笑顔で俺の手を握った。その瞬間、心臓が一瞬止まりそうになった。彼女の温もりは、いつも冷たい妻とは違っていた。

隣に住む敦子さんは、妻の香織と親友のような関係だ。妻が骨折し入院したため、敦子さんは親切にも家事を手伝いに来てくれている。いつも明るく、彼女の存在が俺の気分を晴らしてくれた。妻と敦子さんは四六時中一緒にいるほど仲が良い間柄で、互いの家を行き来し、おかずの交換までしている。敦子さんがいると妻の機嫌も良いのだが、彼女がいないと俺への扱いは冷たい。定年後、俺の存在そのものが妻を苛立たせるようになった。食事の支度を手伝おうとすれば「余計なことしないで」とため息をつかれ、友人と出かければ「また遊び歩いて」と冷たい目で見られる。何をしても、妻との溝は深まるばかりだった。正直、熟年離婚も頭をよぎるほどだったが、財産分与や年金の問題で踏み切れない。そんな中、敦子さんの存在は、妻にとっても俺にとっても救いだった。

ある日、突然家中が揺れるほどの音が響いた。階段の方へ駆けつけると、妻が倒れているのを見つけた。すぐに救急車を呼び、心臓が激しく鼓動するのを感じながら彼女の手を握り続けた。幸い頭は無事だったが、腰の骨折で全治3か月。入院準備をしていると敦子さんが心配そうに近づいてきた。事情を説明すると「そう、良かった」とほっとした様子だった。
妻の入院後、慣れない家事に追われていた俺のもとに、敦子さんが夕食を持ってきてくれた。「香織がいないから大変でしょ?」と言われ、苦笑いするしかなかった。「しばらく食事は私が手伝ってあげますね」と敦子さんが提案し、それ以来毎日夕食を持参してくれるようになった。彼女の優しさと真心、そして屈託のない笑顔に俺は次第に癒されていた。ある日、敦子さんが紙で手を切り、「イタッ!」と言った瞬間、俺は「大丈夫ですか?」と駆け寄り、慌てて絆創膏を取り出して彼女の手に貼ってあげた。敦子さんは「香織にもそんなに優しい目をしてあげていますかぁ?」と問いかけ、俺は「してますよ」と答えたが、内心では、妻相手だったら(なにしてんねん)と怒っていたかもしれないなと思い返していた。敦子さんは「そんなに優しい旦那さんなら私が代わりに奥さんになってあげましょうか?」「ふふっ。香織がいない間だけですよ」と手を握ってきた。久々の他人の肌に内心は心臓がドキドキしていたが、「からかわないでくださいよ!でも感謝しています」と誘いには乗らなかった。それからも敦子さんは様々な手助けをしてくれた。優しく、笑顔が素敵な敦子さんに気持ちが揺れなかったわけではないが、妻への申し訳なさと妻への感謝の気持ちが芽生えていた。妻に対してもっと優しくすべきだったと後悔していた。「ようやく退院だな。しばらく車いす生活だけど、一緒にリハビリを頑張ろうな」と俺が言うと、妻は涙を浮かべながら「うん、ありがとう」と珍しく素直な返事が返ってきた。それからはリハビリに付き添い、以前のようなギスギスした空気は全くなくなっていた。
後日、敦子さんから聞いた話では、妻は階段から落ちた瞬間に「このまま死ぬのかもしれない」と思い、俺がすぐに助けてくれたことに頼もしさを感じたという。退院後、俺が昔のように優しい目に戻ったことに気づき、妻は「このまま一緒に生きていける」と心から嬉しそうに話していたそうだ。それを聞いた俺は胸が熱くなり、このまま死ぬまで仲良く過ごして行けるようにと、強く願っていた。

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