私の名前は鈴木友子61歳です。文章を書くのが下手糞なので読みにくいかもしれませんが、お聞きください。
正直に言えば私はこの年齢まで生きられるなんて夢にも思っていませんでした。なぜなら私は子供の頃から身体が弱く長くは生きられないだろうと言われ続けていたからです。自分でもそう思うくらい身体が弱かったこともあり、20代の時に結婚をして子供を産んだのですが、元義母から離婚を言い渡されて追い出されてしまいました。
「嫁が途中で死ぬなんて孫にも悪影響だわ。今のうちにさっさと出ていってちょうだい」
こんな言葉が義母から言われた最後の言葉です。普通は夫がそんなことをさせないのではないかと考える人もいるでしょう。だけど元夫は義母の言いなりな人でした。義父や親戚さえも義母には逆らえないという雰囲気がありました。身体の弱い嫁をかばってその矛先が自分に向くよりは、さっさと怒りの原因を追い出して平穏を取り戻したいという考えを持っていたのでしょう。着の身着のままとまでは言いませんが、離婚されて女がひとりで生きていくことに十分なお金などはもらえませんでした。義母にとっては他人になる女、しかも長く生きられるはずがない女に払うお金がもったいなかったのでしょうね。
離婚をしてから私は実家には戻らずひとり東京で暮らしていました。その日の生活さえ何とかなるお金を稼げばどうにかなると思い、清掃員の派遣のような仕事をして食いつないでいました。私にとって幸いだったのは、再婚をする男性と出会えたということです。同じ仕事をしている男性で、どうやら彼もワケアリのようでした。後になって分かったのですが、どうやら彼は奥さんに不倫をされてしまったそうです。奥さんの不倫が原因で離婚をして、ひとりで生きていこうと決めていたのだとか。どうして私と再婚をする気持ちになったのかと後で聞いたら「一緒にいて幸せだと思ったから」と言ってもらえたのです。
今の夫は私の身体が弱いことを知っても、「だったら一緒にいられる時間を大切にしないとね」と言ってくれました。実の親にさえいつも嫌味を言われていたので、その優しい言葉に思わず泣いてしまいました。突然泣き始めた私を今の夫はおろおろとしながら慰めてくれたのを今でも覚えています。ただ、再婚をしたのが40代ということ、私の身体が弱いということで子供は望めないと結婚前に伝えました。そして、元夫との間に子供がいることも同時に伝えました。彼自身は「子供が欲しいから再婚するわけじゃないよ」と笑いながら受け入れてくれたのです。
昭和初期の頃は40代でも子供を産む女性は珍しくなかったそうです。今の時代でも高齢出産ではありますが40代で産む人も少なくありません。だけど、私の場合は妊娠や出産は他の人以上に命がけになります。自分がきちんと親をできるか不安だったので子供は望まないという選択になりました。
そしてそれでも月日は過ぎ、先日お互い還暦を迎えたということでささやかなお祝いを出来ました。お祝いと言っても、普段はちょっと行きづらいオシャレなお店で食事をしたくらいなのですけどね。そして還暦のお祝いと言ってもいいのか分からないのですが、驚くべき出来事が起こりました。元夫との間の娘が私を訪ねてきてくれたんです。きっと恨まれているだろうと覚悟していたのですが、娘は「お母さんに会えて嬉しいです」と言ってくれました。どうやら、元夫や義家族とは上手くいっていなかったらしく、高校を卒業すると同時に家を飛び出してそれから帰っていないのだそうです。娘も結婚をしていて、その時に実の母がいることを知って、ずっと探したかったのだと言っていました。
娘が大変だったなんて夢にも思いませんでした。私には厳しかったのですが、元義家族は元夫や娘には甘い印象があったからです。恐らく娘も成長と同時に元義家族の歪な家族関係に気づいてしまったのでしょう。私は「苦労をさせてごめんなさいね」と言うと「ううん、お母さんほどじゃないと思うから。それに今お母さんが幸せそうで良かった」と今の夫と再婚していることを祝福してくれました。娘には子供もいて、私もいきなりおばあちゃんという立場になっていました。娘を育てたわけでもないのにおばあちゃんヅラをするのは図々しいと分かっているんですけどね。
娘と会うのもこれきりだろうと思っていたら、娘の方からこれからも会いたいと言ってくれました。元夫や元義家族とはどうなっているのか聞いてみたのですが、高校を卒業してからまったく会っていないそうです。どうやら元夫は再婚をしてその女性との間の子供に夢中のようです。元義家族も再婚相手の子供、娘とは腹違いの息子に夢中で蔑ろにされていたのだと聞きました。そんな状況であれば、もっと早くに調べて引き取れば良かったと後悔しかありません。そのことを娘に謝罪したのですが「お母さんは知らなかったんだから仕方ないよ」と困ったように笑って答えました。
娘はそう言ってくれましたが、きっと今のように考えられるまでに葛藤があったはずです。特に思春期の時には自分の境遇を嘆いたはずです。知らなかったから仕方ないと私自身が考えるわけにはいきません。娘とはこれからも交流を持つことになりました。今の夫も「若い時のきみにそっくりだね。僕も父親になったような感じがして嬉しいよ」と受け入れてくれたのです。不思議なことに娘は今の夫とすぐ打ち解けてくれました。その姿を見て、余計に後悔しました。娘は幸せに暮らしているはずだと思い込まずに、もっと早くに娘の状況を調べるべきだった、と。
その後、娘と旦那さん、そして孫は1ヶ月に数回の頻度で訪ねてきてくれています。娘の旦那さんも物腰が低く丁寧な人です。孫はやんちゃですが可愛くて仕方ありません。今の夫も孫にメロメロです。ジジ馬鹿ってやつなんでしょうか。まぁ、その気持ちもすごく分かるのですけどね。
娘には何も伝えていませんが、娘と再会後に私と夫は元義家族のことも調べてもらいました。今は費用こそかかりますが色々と調べてくれるところがあるのですごく便利ですね。調べたところ、元義家族は家庭崩壊を起こしていたのです。元夫や元義母が可愛がっていたであろう息子は現在引きこもりになっていて、家庭内でも暴力をふるっているだろうという噂があるのだとか。元義家族の写真を見せてもらいましたが、以前の面影はあるものの驚くほどやつれています。調査をしてくださった方が言うには、息子を可愛がり過ぎて善悪の区別がついていない、もしくは自分の思い通りにならないと暴れまわるという状況ではないだろうかとのことです。
恐らく腹違いの弟だけが可愛がられる状況に耐えきれず、娘は家を飛び出したのでしょう。だけど娘に対する愛情があれば、家を飛び出した時点で探すはずです。元義実家はそれなりに裕福な家庭だったので、お金を出せば娘の居場所など簡単に調べることができたでしょう。だけど、それがなかったところを見ると娘は離婚前の私のように疎まれていたのかもしれません。もしも、娘が元義実家と関わろうとしたら全力で止めるつもりです。娘自身にそのつもりはなくても、元義家族に何かあったら娘に連絡が来るでしょう。情にほだされて今の幸せを失わないように、その時は止めたいと思います。
今の夫と出会って私は幸せを手に入れました。娘とも再会できて、今が人生の中で一番幸せと言っても過言ではないかもしれません。だからこそ、娘を手放した時、娘のことを調べようとしなかった時のように間違わないよう気をつけたいものです。