私の名前は志島ユキエ、70代の主婦です。私の夫は亭主関白な気質を持っています。そのため、息子はともかく娘からは距離を置かれている状態です。夫としてもそのことを不満に思っているわけではないようで「元気にしているならいい」と言っていました。友人や娘からは「モラハラされているんじゃないの?」なんて言われますが、私自身が女性は男性をたてるものという考えで育ってきたのであまり苦痛ではありません。時代遅れと言われるかもしれませんが、私が嫌がっているならともかく受け入れているのだからソッとしておいてほしいというのが本音だったりします。
それに、夫は家族を大事にしないと思われがちですがそうではないのです。私と夫が出会った時、正直に言えば「気難しそうな人」という第一印象でした。役所勤めということもあって余計に気難しい人に見えていたのかもしれません。そのため、結婚しても上手くやっていけるだろうかという不安の方が強かったんです。
私自身は不安を表に出さないようにしていたのですが、きっと夫はそんな私の気持ちに気づいていたのでしょう。顔合わせが終わって、ふたりでデートをした時に真剣な表情で言ってきたのです。
「俺はこの通り気の利いたことひとつ言えませんが、家族を大事にすると誓います。あなただけではなく子供ができて、子供が困ったら全力で守ります。だから俺と結婚してください」
むすっとした表情しかできないのかと思っていたら顔を真っ赤にしながら言ってきました。こんな風に可愛い顔もできるんだと思ったら「結婚します」と無意識のうちに言っていました。顔を真っ赤にしながら私が安心できるように言葉を選んでくれるこの人となら幸せな家庭を築けると思ったからです。夫は友人たちからも不評で「無口すぎるけど大丈夫なの?」と心配されてましたけれどね。
私が若い頃は女性の価値は若ければ若いほどいいと考えられていました。分かりやすく言えば女性の年齢がクリスマスケーキに例えられる時代だったんです。20代半ばで未婚だったら行き遅れと言われる時代だったのですから。私自身クリスマスケーキぎりぎりの年齢で結婚をしたので、両親としても世間体のために早く結婚してくれとストレートに言われていたほどです。
だけど、私は結婚を焦っていたから夫のプロポーズを受けたわけではありません。どちらかと言えば私は変わり者と言われていまして、結婚できなくてもいいやと思っていたのです。恐らくその原因は両親にあるのでしょう。両親が私の結婚を焦れば焦るほど私の方が冷めた考えになっていたのです。
「あなたは私を選んでくれましたけど、あなたほどの男性なら女性を選び放題のでは?」
「突然どうしたんだ?」
「いえ、昔から思っていたんです。私なんかよりもきれいな女性はたくさんいたはずなのにって」
夫の仕事や収入などを考えれば当時の女性からは引く手あまただったはずです。それなのにどうして私なんかと結婚をしたんだろうと昔から疑問に思っていました。
「なんかって言うな」
「はい?」
「……俺が選んだ女だぞ。私なんかって言葉で自分を貶めるな」
新聞を見ながらぼそっと呟いた夫はあの頃と同じように顔を赤く染めていました。
「うふふ、もしかしてあなたはすごーく私のことが好きだったりします?」
「……そうじゃなければ何十年も一緒にいようとは思わん」
ぶっきらぼうな言い方ですが、愛情を感じる言葉に胸の奥がドキドキとしました。こんなおばあちゃんになってときめくなんてびっくりしましたが、それだけ私は夫のことが大好きなのでしょう。そりゃ自分勝手なところもありますけど、私が困っている時にはすぐに助けてくれました。
「そういえば、あなたはお義母さんにいびられている時も助けてくれましたね」
「そうだったか?」
「うふふ、覚えているくせに。俺の大事な嫁さんが気に入らないなら絶縁するって言ったでしょう」
「……あれは自分で紹介してきていびるってことが許せなかっただけだ」
夫はそう言いますが、義父母だけではなく親戚にもしっかり話してくれたことを知っています。親族の中で夫は一番と言ってもいいほど出世をしました。そのため「自分たちの誇りだ!」と言ってくる親戚もいるのです。そんな夫が絶縁をしたとなればご近所さんからの評判も悪くなるでしょう。夫もそれが分かっているから逆手に取ったやり方で「俺の妻に余計な苦労は掛けさせないでくださいね」と釘を刺すように言ってくれたのです。
その後、完全に嫌味などがなくなった……わけではありません。今までが10だったとすれば夫が言ってくれた後は2くらいには収まりました。おかげで義父母を100%嫌いにならなくてすみました。
「娘もお父さんは優しいんだってことに気づけばいいんですけどねぇ。あの子は表面上のあなたしか見ていないからずっと誤解したままじゃないですか」
娘も過剰な避け方はしていませんが、やはり不仲という雰囲気があります。親子が不仲というのは悲しいので仲直りをしてもらいたいとは思うのですが、夫がこの調子なのでどうしようもできません。
「子供たちにはそれぞれ自分の家族がある。自分の家族を大事にすれば何も問題はない」
「でも寂しくないですか?」
「別に寂しいとは思わん。俺にはお前がいてくれるだろう」
少し小さな声で、だけどはっきりと言ってくれました。男性に対して可愛いと思うのは失礼かもしれませんが、私の夫はこんなにも可愛いところがあるんです。だからこそ余計に子供たちにも父親の可愛い部分を知ってもらいたいと思うのかもしれません。
「……ふふ、あなたの優しいところも可愛いところも私だけが知っていればいいですもんね」
「別に優しくも可愛くもないがな」
私は子供たちにも知ってもらいたいと思いますが、子供たちの立場になればちょっと違うかもしれません。今までは厳格だと思っていた父親に可愛いところがあったなんて複雑になるでしょう。それを考えれば今のままの方がいいのかもしれませんね。
「あなた、今日は何が食べたいですか?」
「肉じゃが」
「ふふ、私が聞いた時はほとんど肉じゃがですねぇ。別の料理でもいいんですよ?」
「……お前の肉じゃがが一番好きなんだ」
そう言えば私が肉じゃがを作った時は普段よりもたくさん食べてくれます。夫自身は自分から料理のリクエストをしないのでたまに私から聞いているのですがいつも「肉じゃが」と言うのです。もしかしたらもっと肉じゃがの日があってもいいと思っているのかもしれません。
娘からは「お父さんと一緒で窮屈じゃないの?」と言われますが、私はすごく居心地が良いのです。夫が適度な距離を意識してくれているからなのでしょう。他の人から見れば「そっけない」と思われるかもしれませんが、私はこの距離感がちょうどいいのです。それに、初めて会った時に約束してくれた通り家族を大事にしてくれています。お見合いという出会いではありましたが、恐らくその辺の夫婦より強い絆を結べているのではないかと思っているのです。寡黙な人だから付き合いづらいと考える人もいますが、寡黙で何もしない人ならともかく夫はいざという時には頼りになる人です。
子供たちも結婚をしているので、そのうち夫の優しさなどに気づいてくれる日がくるかもしれません。夫が望まない以上私から何かを言うつもりはありませんが、妻としての私の本音を言えば子供たちにも分かってもらいたいと思う気持ちもあるのです。
「さぁて、肉じゃがを作りますか。明日も食べられるように多めに作っておきますね」
「あぁ」
馴れ初め話なんて大げさなものではありませんが、特別なことは何もなくても私は夫過ごす毎日が幸せで仕方ありません。こんな素敵な人と結婚できて本当に良かったと思います。