私の名前は恵子。67歳。私は長年専業主婦として夫の世話をしてきた。結婚した頃は、愛し合っていると思っていた。夫も私を大切にしてくれたし、頼られることが嬉しかった。しかし、いつの頃からか、夫の態度は変わってしまったのだ。今では私の生活は、まるで召使いだ。
朝早く起きて朝食を用意する。夫は起きると、すぐに新聞を読みながら食卓につき、無言で食べ始める。「ありがとう」という言葉もなく、ただ食べ終わった食器をそのままにして立ち去る。
その後、洗濯物を干し、掃除をし、昼食を準備する。夫は外で働いているが、帰宅すればまた、私にあれこれと指図する。食事が冷めていないか、テレビのリモコンが手元にあるか、ビールの缶が冷えているか。
まるで私が当たり前のようにすべてを準備しておくべきだという態度だった。
私はそれに対して何も言わなかった。長い間、反論することなく従ってきた。少しでも文句を言えば、「これだからお前は…」とため息混じりに責められるのが分かっていたからだ。
それに、夫は怒ると口だけでは収まらないこともあった。若い頃は、そんなことはしない人だったのに…。でも、私はこの生活が普通なのだと思っていた。おそらく、このまま一生彼に仕えて終わるのだろうと諦めていた。
そんな私のことを心配してくれていたのが、妹の真由美だった。彼女はいつも「お姉ちゃん、もっと自分を大切にしなきゃだめだよ」と言ってくれていた。真由美は夫とは違って、優しくて面倒見の良い人だ。彼女は何度も私に「こんな生活を続けていて幸せなの?」と問いかけてきた。そして、「もし離婚するなら、私が力になるから」とまで言ってくれた。
離婚…。その言葉を聞くたびに、私は胸が締め付けられるようだった。夫と離れるなんて、想像もできない。どれだけひどい扱いを受けても、それが私の役目だと思い込んでいたからだ。だけど、真由美が言うように、このままの生活を続けていても幸せにはなれないかもしれない。彼女の言葉はいつも私の心に引っかかっていた。
ある日、真由美が家に遊びに来た時、彼女は少し真剣な顔でこう言った。
「お姉ちゃん、いい加減、決断した方がいいよ。お姉ちゃんが今までどれだけ我慢してきたか、私には分かる。でも、このままじゃお姉ちゃんの人生が無駄になるだけじゃない?だから、私から提案があるの」
私はその言葉に驚き、何も言えずにいた。「提案って?」と聞くと、真由美は少し笑って言った。「夫婦交換をしてみない?お姉ちゃんが直接お義兄さんに何かを言うのは難しいだろうから、私が彼に言ってやるわ。その間、お姉ちゃんは私の夫と一緒に過ごしてみて」
夫婦交換なんて、聞いたこともなかった。私は思わず「そんなの、できるわけがないじゃない!」と拒否したけれど、真由美はさらに言葉を続けた。
「お姉ちゃんが直接言い出す必要はないわ。私がすべて手配するから。ただ、ちょっとの間でも、お姉ちゃんがどんなふうに扱われるべきかを感じてほしいの。今の生活を変えるために、どうしてもやってみたいの」
最初はそんな話を受け入れられるはずもなかった。夫に提案するなんて、考えるだけで震えてしまう。でも、真由美の真剣な顔を見ていると、少しだけ心が動かされている自分に気づいた。真由美は私が何も言えずにいるのを察して、「大丈夫、私に任せて」と言ってくれた。
翌日、夫が帰宅した時、私の心は不安でいっぱいだった。真由美はすでに夫に話をつけていたらしい。私がキッチンで夕食の支度をしていると、夫が「おい、ちょっと話がある」と言って私を呼んだ。何事かと思いながら向かうと、夫は少し照れたような顔をしていた。
「真由美ちゃんがさ、夫婦交換を提案してきたんだけど…」
やっぱり怒られると思っていたのだが夫は意外な反応を見せてきた。
「まぁ、そんな悪い話でもないと思ってな」
私は耳を疑った。夫が、真由美の提案を受け入れるなんて…。それほどまでに私の存在がどうでもいいのかと考えると、胸が痛んだ。でも、私はただ静かに頷くだけだった。こうして、夫婦交換の話が現実となったのだ。
その夜、私は眠れなかった。義弟、つまり真由美の夫とどう過ごせばいいのか、まるで想像がつかなかった。夫婦交換という奇妙な状況が始まることに、不安と少しの期待が入り混じった複雑な気持ちが心を支配していた。私は、自分の生活がどう変わるのか、その変化を受け入れる覚悟を決めることにした。
それから夫婦交換がスタート。私は真由美の夫である義弟の裕太と一緒に過ごすことになった。初めての夜、私は緊張していたが、裕太は優しく私に話しかけてくれた。
彼は、これまでの私の生活について何も聞かず、ただ「今日はゆっくり過ごそう」と言って、温かい紅茶を入れてくれた。そのさりげない優しさが、私にはとても新鮮だった。
裕太と一緒に過ごす中で、私の心は次第にほぐれていった。彼は私が言葉に詰まった時も、無理に話を引き出そうとはしなかった。ただ、優しく笑って「大丈夫だよ」と言ってくれる。食事も、私が用意しようとすると「今日は僕が作るよ」と言って、キッチンに立った。夫との生活では、考えられないような光景だった。
私は今まで、自分がしてもらうことなど何一つないと思っていたから、その優しさに思わず涙がこぼれた。
「どうしたの?」と心配そうに尋ねる裕太に、私は「ごめんなさい、こんなことされるのが久しぶりで…」と正直に答えた。彼は少し驚いた顔をしたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべて、「それなら、もっとたくさん甘えていいんだよ」と言ってくれた。その言葉が、私の心をじんわりと温かく包み込んだ。
でも、そんな優しい裕太に対して、私はどこか引っかかるものを感じていた。彼が私に優しくしてくれる一方で、何かを隠しているような気がしたのだ。ある晩、私は意を決して裕太に尋ねてみた。「あなた、何か隠していることがあるんじゃない?」と。彼はしばらく沈黙していたが、やがて静かに口を開いた。
「実は…この夫婦交換の話、真由美が仕組んだことなんだ。理由を知ったら、恵子さんはきっと驚くと思うけど…聞いてほしい」
その言葉を聞いて、私は耳を疑った。どういうことなのか、全く想像がつかなかった。
裕太は、少し躊躇いながらも話し始めた。
「真由美とお義兄さん…実は、数年前から浮気をしていたんだ。僕もそのことを知ってしまって…真由美は恵子さんに離婚させて、お義兄さんと一緒になりたいと考えてる…」
その瞬間、頭が真っ白になった。信じられなかった。真由美が、あの妹が、私を裏切るようなことをしていたなんて…。裕太はさらに続けた。
「僕は真由美に止めるように言ったけど、彼女は聞く耳を持たなかった。そこで、少しでもお姉さんが幸せになれる方法を考えたくて、この夫婦交換の提案を受け入れたんだ」
私は言葉を失った。真由美が私に離婚を勧めていたのは、自分のためだったのか…。その事実があまりにショックで、裕太に「嘘だって言って…」と泣きながら訴えた。でも、彼の目は真剣で、冗談や嘘を言っているようには見えなかった。私はその場で泣き崩れ、裕太にすがりついた。
彼は「ごめんね、こんなこと言わなきゃいけないのが辛いけど…でも、君には本当のことを知ってほしかった」と、私の背中をそっと撫でながら言った。
その夜、私は裕太の勧めで真由美の家に向かうことにした。真由美に直接会って、どうしてそんなことをしたのか聞かずにはいられなかった。真由美の家の前に着いた時、私は一瞬躊躇ったが、意を決してドアを叩いた。すると、ドアの向こうから聞こえてきたのは、楽しそうに話す真由美と夫の声だった。その瞬間、胸が締め付けられるような痛みを感じた。
ドアが開き、私を見た真由美と夫の顔が一瞬にして青ざめた。それが、すべての答えだった。二人は親密そうに寄り添っていて、まるで何も隠していないかのようだった。私は言葉を発することもできず、ただ立ち尽くしていた。真由美が何か言い訳をしようと口を開いたが、私はそれを遮って「もういい」と言って、裕太の元に戻った。
泣きながら帰った私を、彼は優しく迎え入れてくれた。「もうあの二人のことは忘れよう。これからは僕が恵子さんを守るから」と言われた時、私は初めて本当に救われた気がした。夫と妹が裏切っていたことは、到底許せることではなかったけれど、今目の前にいる優しい義弟の存在が私を支えてくれていた。
数日後。私と裕太、そして夫と真由美の四人で話し合いをすることになった。裕太が「これ以上、恵子さんを傷つけるつもりなら、僕は二人を許さない」と言った時、夫も真由美も黙り込んだ。
私はその場で、夫に離婚を切り出し、真由美にも「これからは好きにすればいい。でも、私の人生はもうあなたたちのためには捧げない」と伝えた。
その後、私は夫と正式に離婚し、裕太との新しい生活を始めることになった。穏やかな日々が戻り、私はようやく自分の人生を取り戻した気がする。今、裕太と二人でひっそりと暮らしている。もう誰に仕えることもなく、ただ平穏な日々を楽しんでいる。
これからの人生は、自分のために生きようと心に決めた。召使いのような生活を真由美が終わらせてくれたと考えたら、あの子にも少しは感謝している。でも浮気は絶対に許さないけどね……
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